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僧西行:僧として歌人として生きる |
西行は数え年二十三歳で出家して僧となった。それ以前は、佐藤義清と名乗る武人であり、徳大寺家の家人として仕える一方、鳥羽院に北面の武士として仕えたこともあった。そんな武人佐藤義清がなぜ出家したのか。詳しいいきさつはわかっていない。藤原頼長の日記「台記」に、若き頃より仏道に心をひかれ、その願いを実現したとの記述がある。その一方で、失恋の痛手をあげつらう者もいる。西行の失恋の相手は、待賢門院璋子だとする説もあり、それは待賢門院が佐藤義清の仕えていた徳大寺家の娘であることに眼をつけるのであるが、待賢門院は西行より十七歳も年上である。当時十七歳の年齢の開きは、母子の間のそれに相当していたので、義清が璋子に失恋したというのは、無理のある説である。いずれにしても西行は、出家後も世俗とのかかわりを立ち切ってはいない。むしろ積極的に世俗とかかわりあい、高名な歌人として四季折々の歌を詠んだり、恋をしたりしている。西行は多感な男だったのである。ここではそんな西行の、男盛りの時期に光を当ててみたい。 西行の出家(一):西行を読む 西行の出家(二):西行を読む 出家後の西行:西行を読む 伊勢神宮に参る:西行を読む 二見が浦:西行を読む 陸奥への旅(一)清見潟:西行を読む 陸奥への旅(二)富士の煙:西行 陸奥への旅(三):武蔵野の隠者 陸奥への旅(四)白河の関:西行 陸奥への旅(五)平泉:西行を読む 待賢門院の死:西行を読む 上西門院:西行を読む 高野山に入る:西行を読む 天野の尼たち:西行を読む 大峰修行:西行を読む 熊野詣:西行を読む 保元の乱:西行を読む 四国への旅:西行を読む 善通寺:西行を読む |
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