日本語と日本文化


陸奥への旅(三):武蔵野の隠者:西行を読む


「西行物語」は、西行が隠者と出会った話を語っている。この隠者は、九十歳を超えた老人で、武蔵野の人里離れた原野に庵を結び、そこで読経三昧の生き方をしているように見えた。西行がその素性を聞くと、自分はもと郁芳門院に仕えていた侍だったが、女院の死後出家して諸国を修行して歩くうち、ここ武蔵野の野が仏道修行の隠れ家に便ありと聞いて、ここに庵を結んで、以来六十余年の間読誦して過ごした、その数は七万四部だ、と答えた。西行も郁芳門院とは縁があったので、互いに語り合って夜を過ごした、というような話である。

夜が明けて暁方に別れる際、西行は次の歌を歌った、と「西行物語」は続けている。
  いかでわれ清く曇らぬ身となりて心の月の影をみがかん(山904)
  いかがすべき世にあらばこそ世をも捨ててあな憂の世やとさらにいとはむ
一首目は、山家集に「心に思ひける事を」という詞書を添えて載せられており、二首目は「西行法師家集」に「行基菩薩の、何処にか一身を隠さんと書給ひたる事、思ひ出でられて」という詞書を添えて載せられている。家集には「いかがせん世にあらばやは世を捨ててあな憂の世やとさらに思はむ」となっている。いづれにしても、陸奥の旅とは直接関係ないと思われるのだが、「西行物語」は、西行の修行の過程がうかがわれるとして、これらの歌をここに挟んだのだと思われる。

西行が武蔵野で隠者と出会ったという話は、「発心集」や「撰集抄」にも出てくるから、古くから伝説化していたのであろう。「発心集」には、「郁芳門院の侍、武蔵野に住む事」と題して、次のように記している。
「西行法師、東の方修行しける時、月の夜、武蔵野を過ぐる事ありけり。頃は八月十日あまりなれば、昼のやうなるに、花の色々露を帯び、虫の声々風にたぐひつつ、心も及ばずはるばると分け行く程に、麻の袖もしぼるばかりにかりにけり。ここは人住むべくもあらざる野中に、経の声聞ゆ・・・」

武蔵野に隠者が隠れ住んで読経三昧の日々を送るという話には、背景がある。武蔵野などの東国は、仏法修行に理想的な土地だという観念があって、修行をしたいという人々をひきつけていたらしいのである。その事情を「東関紀行」は次のように記している。「東国はこれ仏法の初道なれば、初心沙弥のことさらに修行すべき方なり」。つまり東国で仏法を修行して道を究め、西方の極楽浄土に行くというのが理想とされていたらしいのである。この武蔵野の隠者も、そうした求道者の一人だったことは十分に考えられる。修行中の身である西行は、そんな隠者に、自分の理想像を見たのだろうと思われる。

こういう視点から上の歌を読んでみると、とくに二首目などは、腑に落ちるところがある。詞書のなかで西行は行基菩薩に言及しているが、菩薩である行基でさえ、浮世を捨てて修行すべき土地を求めていた。その土地が東の方の武蔵野であることは十分自然なことであるので、西行は行基菩薩を武蔵野の隠者の原像のようなものとして考えたのではないか。

そうだとすれば、西行が修行の旅の目的地として東国を選んだことには、もうひとつ別の、ある意味ではもっと重要な動機が隠されていたということになる。西行は東国で道を求め、行基菩薩のように発心したうえで、西方の極楽浄土に成仏したいと願ったのではないか。




  
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