日本語と日本文化


伊勢神宮に参る:西行を読む


西行はたびたび伊勢神宮に参拝しているが、その最初のものは出家後間もない頃のことだったと思われる。山家集の次の歌が、その折の気持を歌ったものだと考えられる。
「世を遁れて伊勢の方にまかるけるに、鈴鹿山にて
  鈴鹿山憂き世をよそに振り捨てていかになり行くわが身なるらん(山728)

この歌は遁世して間もない頃の歌だと、詞書から推測されるし、歌そのものにも出家直後の不安な気持ちが盛られていると考えてよい。これは、僧侶として長い経験を積んだ者の気持ではない。いざ出家したはいいが、思惑通りに心の平安が得られるものか、不安に感じている者の気持だろう。

「西行物語」は、「さても大神宮に詣で侍りぬ。御裳濯河のほとり、杉の群立ちの中に分け入り、一の宮鳥居の御前にさぶらひて、遥かに御殿を拝し奉りき」と記したあとで、伊勢大神宮についての由来話や効験などについて縷々説明している。それによると、伊勢神宮はもともとわが国の神である天照大神をまつるものであったが、実は天照大神は大日如来が権現したものであって、したがって神と仏が一体になったものなのだという。そして神宮の神域は曼荼羅がそのまま展開したものであり、外宮は金剛界を、内宮は胎蔵界をあらわすと説明する。要するに、神仏習合の思想が語られているわけである。

こうした神仏習合の観念は、西行自身も持っていたらしく、それは次のような歌から察することができる。
「伊勢にまかりたりけるに、大神宮にまゐりてよみける
  榊葉に心をかけんゆふしでて思へば神も仏成りけり(山1223)
「思へば神も仏成りけり」とは、日本の神が仏教の仏の化身であるとする神仏習合の観念を物語るものだ。神仏習合、あるいは本地垂迹説は、鎌倉時代に入ってから民衆の間に広く伝わるようになり、それについては八幡信仰が大きな役割を果たしたといわれているが、西行の時代にもすでに、普及していたのかもしれない。もっとも「西行物語」は、鎌倉時代の半ば以降の成立になるもので、必ずしも歴史の実情を正確に反映していないかもしれぬが。

「西行物語」には、このほか伊勢参拝にかかわるいくつかの歌を載せているが、それらには西行晩年のものも混じっており、必ずしも出家直後の気持を歌ったものばかりではない。その中で、御裳濯河歌合に載せた次の歌が、伊勢神宮についての西行の敬虔な感動を詠ったものとして注目される。
  深く入りて神路の奥を尋ぬれば又上のなき峰の松風(御71)
この歌は、千載集の神祇の部に取り上げられている。

西行が始めて伊勢神宮に参ったときの新鮮な驚きを歌ったものとしては、西行の私家集に見えない次の歌も注目すべきであろう。
「大神宮の御祭日によめる
  何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼれて
この歌は西行のものかどうか疑われているのだが、古来西行の歌として、「伊勢参詣記」の類に頻出するもので、いかにも西行らしい雰囲気を漂わせている。




  
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