日本語と日本文化


保元の乱:西行を読む


保元の乱は西行にとって生涯最大の政治的事件だった。これは鳥羽法皇の死をきっかけに崇徳上皇が起こした反乱だったが、すぐに制圧されて、崇徳上皇は配流、藤原頼長以下崇徳上皇に味方したものは、死んだり配流されたりした。この乱は、武士が歴史の表舞台に進出するきっかけとなったもので、武士出身の西行には思い複雑なものがあったはずだが、表向きには一切自分の考えを表明していない。出家の身として政治とは一線を画していたのか、あるいは軽率な言動で自分の身に禍を招くのを恐れたか。

鳥羽法皇が死んだのは保元元年七月二日(1156年7月20日)のことだが、その直前に西行は、たまたま高野山を下りて都に来ていた。その折に鳥羽法皇崩御の報に接したわけだが、その時の自分の気持を次のように歌っている。
「一院崩れさせおはしまして、やがての御所へ渡しまゐらせかる夜、高野より出であひてまゐりあひたりける、いと悲しかりけり、この後おはしますべき所御覧じ初めけるそのかみの御供に、右大臣実能、大納言と申しける候はれけり、忍ばせおはしますことにて、また人候はざりけり、その御供に候ひけることの思ひ出でられて、折しも今宵にまゐりあひたる、昔今のこと思ひつづけられて詠みける
  今宵こそ思ひ知らるれ浅からぬ君に契りのある身なりけり(山782)

右大臣実能とは、西行が若い頃仕えた徳大寺実能のことで、その実能とともに、鳥羽院にお目見えしたときのことを思い出しているのである。西行は他の機会にも鳥羽上皇にお目見えしたことがあったのだろう、自分の詠んだ歌を鳥羽上皇に褒められて有頂天になった話が「西行物語」の中に出てくる。そういうめぐり合いを踏まえて、浅からぬ契りと言っているわけであろう。

保元の乱が起るのは保元元年七月十一日だから、鳥羽法皇の死後十日もたっていない。乱の直接の原因は、摂関家の内紛だとされるが、日頃鳥羽法皇に意趣を抱いていた崇徳上皇が、忠実、頼長父子に味方して、鳥羽法皇の愛顧深かった白河天皇に弓を引く形になった。だが反乱は直ちに鎮圧され、上皇は髪をおろして仁和寺に身を寄せた。仁和寺には、上皇の同母弟覚性法親王が座主を勤めていたのだが、法親王は上皇を見捨て、上皇はとらえられて四国の讃岐に配流される。

この崇徳上皇と西行は特別に親密な関係にあった。上皇は西行が仕えた徳大寺家の出身である待賢門院の子であり、また西行が敬愛していた鳥羽上皇の、表向きは子ということになっていた。したがって西行としては、鳥羽法皇への恩愛と崇徳上皇への愛惜との間で引き裂かれるような気持になったに違いない。だが西行は、崇徳上皇について、格別な動きを見せていない。事態の成り行きを見守っているだけである。ただ、上皇の運命に同情する歌を残している。
「世の中に大事出で来て、新院あらぬ様にならせおはしまして、御髪おろして、仁和寺の北院におはしましけるにまゐりて、兼賢阿闍梨出てあひたり、月明かくて詠みける
  かかる世にかげも変らずすむ月を見るわが身さへ恨めしきかな(山1227)
大変な事態が世の中に起きているのに、月だけは何事もないように変らぬ光を投げている、と言って上皇の不運に同情しているのであるが、西行のしたことは同情だけであって、決して政治的な動きは見せなかった。

上皇は四国の讃岐に配流になり、八年後の長寛二年(1164)に崩じた。生きている間、上皇の怒りはすさまじく、生きながら天狗となって国家滅亡の誓いを立てたといわれる。そんな上皇を西行は、生前一度も訪れることはなかった。それ自体が政治的行動と見られることを恐れたからだろう。

もっとも、手紙のやりとりはひっそりと行っていたフシがある。「山家集」の次の歌がその手がかりを与えてくれる。
「新院讃岐におはしましけるに、便につけて女房のもとより(山1136)
  みづぐきの書き流すべきかたぞなき心のうちは汲みて知らなん
かへし
  ほど遠み通ふ心のゆくばかりなほ書き流せみづぐきの跡(山1137)
また女房つかはしける
  いとどしく憂きにつけてもたのむかな契りし道のしるべたがふな(山1138)
このなかで女房とされているのは実は新院自身であって、その新院つまり上皇と西行とが歌を読み交していたとも解釈できるのである。同じようなやり取りを記したものも、「山家集」のほかの部分に見られる。そうだとすれば西行は、上皇とずっと心のつながりを保っていたということになる。




  
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