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二見が浦:西行を読む


「西行物語」は、西行は伊勢参拝の折に二見が浦に庵を結んだと書いている。二見が浦というのは、五十鈴川が流れこむ付近の海岸であり、伊勢神宮とは近かった。海上に夫婦岩があることで有名である。そこに西行は庵を結んだというのだが、西行がそこに庵を結んだのは、最初の伊勢参拝のときではなく、晩年に近い頃のことだったというのが、今日の通説のようである。

西行は、生涯のうち何度も伊勢を訪ねているが、最終的には、治承四年(1180)に高野山を下りて伊勢にゆき、そこから東大寺再建の勧進のために奥州に旅立つまでの七年間をここで暮らした。西行が二見が浦に庵を結んだのは、その折のことだった可能性が高い。

ともあれ「西行物語」は、次の詞書と歌二首を載せて、西行が二見が浦に庵を結んだことについて語っている。
「いづくもつひのすみかならねば、かたじけなくも天照大神の庭に侍りて、後世菩提の事を祈り申さばやと思ひて、同じくは名にし負ふ所なればとて、二見の浦に庵を結びて、輔親の祭主が玉くしげ二見の浦の貝しげみ蒔絵に見する松の群立ち、と詠ぜし事ども思ひ出でて、霞の隙より漏りくる月影、遠き波間にかすかなりける折ふし
  思ひきや二見浦の月を見て明け暮れ袖に浪かけむとは 
  浪こすと二見浦に見えつるは梢にかかる霞なりけり(山13)

二首のうちの一首目は、「西行上人集」の追加の部分に載っているが、西行自身のものかどうかは、疑問がある。二首目は、山家集に、「同じ心(海辺の霞といふ事)を、伊勢に二見といふ所にて」という詞書とともに載っている。梢にかかる霞とは、夫婦岩の松の梢に波飛沫がかかっているさまを詠んだのだろう。この夫婦岩には今でも松が生えているはずだが、そこに波飛沫がかかっているかは、太鼓判を押せない。

西行は、伊勢神宮では天照大神に大日如来の権現を見たのであったが、二見が裏の夫婦岩には何を見たのだろうか。単に波飛沫が霞のようにかかる景色を眺めて得心したわけではあるまい。

二見が浦について歌った歌はほかにもあるが、それらはみな高野山から下りたあとの晩年の頃のものであって、すでに老境にさしかかった西行の、悟りのような気持ちが反映されているので、最初に伊勢に来た頃の、まだ二十台半ばの西行の若々しい気分を感じることはない。


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