日本語と日本文化


陸奥への旅(五)平泉:西行を読む


西行の最初の陸奥への旅のハイライトはやはり平泉だったろう。平泉を根拠地としていた藤原氏は、西行とは同族だったから、丁寧に接待されたとも考えられるが、西行が具体的にどのような接待を受けたかはわからない。ただ、山家集から推し量ると、西行は冬の初めから翌年の春先まで平泉にいたようである。これだけ長く滞在していたというのは、藤原氏から大事にされたことを物語っているのではないか。当時の西行はまだ無名だったから、藤原氏が西行を大事にする理由は、同族であるという以外にない。

山家集は、平泉に到着した直後の様子を次のように記している。
「十月十二日、平泉にまかり着きかりけるに、雪降り嵐激しく、ことの外に荒れたりけり。いつしか衣河見まほしくて、まかりむかひて見けり。河の岸につきて、衣河の城しまはしたる事柄、やう変りてものを見る心地しけり。汀凍りてとりわけ冴えければ
  とりわきて心もしみて冴えぞわたる衣河見にきたる今日しも(山1131)
旧暦の十月十二日といえば、今日の十一月の中旬から下旬にあたり、初冬といえるが、寒冷の地である平泉では、寒さは厳しいものがあっただろう。だがそれにも増して心が寒さにしみわたる、と歌っているこの歌に、西行はどのような感慨を込めているのか。

一冬を平泉で過ごした西行は、翌年の春、衣河の彼方の束稲山に桜が咲いているのを見て吉野を思い出す。その様子を山家集は次のように記している。
「陸奥の国に平泉にむかひて束稲山と申す山の侍るに、異木は少なきうやうに桜の限り見えて、花の咲きたりけるを見て詠める
  聞きもせず束稲山の桜花吉野のほかにかかるべしとは
吉野のほか、束稲山にもこんなに桜の花が咲いているとは聞いたこともなかった、というふうに、陸奥で桜を見た喜びを語っている。

これらの歌に触れられている衣河に、西行はかなり拘っているように見えるが、その理由はよくはわからない。また、西行が、金色堂や毛越寺など平泉の名所というべきものを訪ねたのか、また訪ねたとしたらどのような気持を抱いたのか、それについてもわからない。

山家集によれば、西行はこの後、出羽の国の滝の山や象潟、また陸奥の国の外の浜などにも立ち寄った形跡がある。実際に西行がそこまで行ったのかどうかは、わからない。先人の能因法師は、それらの地を実際に訪れているので、西行は能因を思慕するあまり、自分も行った気になっただけなのかもしれない。

芭蕉もまた陸奥に旅したときには、平泉から山寺を経て象潟にまで行っているが、芭蕉の場合には、能因と西行が実際にそこへいったものと信じていたようである。その折の感慨を芭蕉は、奥の細道に次のように記している。
「其朝天能晴れて、朝日花やかにさし出づる程に、象潟に舟をうかぶ。先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念を残す・・・松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂をなやますに似たり
  象潟や雨に西施がねぶの花




  
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