日本語と日本文化


昭和史の中の昭和天皇:半藤一利「昭和史」から


昭和史の中で昭和天皇が果した政治的な役割と云うのは、意外と大きいものだった。半藤一利さんは、「昭和史」のなかでそんな評価をしているようだ。それも昭和天皇を、世界情勢を自分なりに認識されたうえで、この国を誤った方向から救い出そうと努力された人として見ているところがある。実際に日本がたどった道を見れば、昭和天皇の意思とは異なった方向に走ってしまったわけだが、天皇は立憲君主制の枠の中で、機会が訪れるたびに、自分の意思を表明しようとされた。

昭和天皇が、天皇と云うものの政治的な機能について真剣に考えさせられた事件がある、と半藤さんはいう。張作霖爆死事件だ。

この事件が関東軍の謀略であることは、政府部内では公然の秘密であった。そこで天皇みずから、この事件の真相を調査して、責任者を厳重に処分せよと、総理大臣の田中義一に命じたところ、田中はふにゃりふにゃりとして、半年も無駄に過ごし、一向に事件の始末をつけようとしなかった。そこで天皇は御怒りになり、「おまえなぞやめてしまえ」といわれた。

田中総理大臣は天皇に怒られて恐縮し、内閣総辞職をした直後に死んでしまった。一説には自殺したともいわれる。

この事件がきっかけになって、軍部の方は、天皇の側近たちが正しく進言しないからこんなことがおきるのだと、彼らを「君側の奸」と呼んで敵視するようになった。

一方天皇は、自分の介入が政治を混乱させたことを反省し、「この事件あって以来、私は内閣の上奏するところのものはたとえ自分が反対の意見を持っていても裁可を与えることに決心した」

側近中の側近である西園寺公望が、「国務と統帥の各最上位者が完全な意見の一致をもって上奏してきた事は、仮に君主自身、内心においては不賛成なりとも、君主はこれに裁可を与ふるを憲法の常道なりと確信する」と昭和天皇を説得したことも大いに影響したようだ。

天皇は若い頃に英国に留学されたこともあって、イギリスとアメリカに対して親和的な感情を持たれていた。基本的には、体英米協調路線を支持されていたわけである。だが、日本の政治は軍部が中心になって、次第に半英米的な色彩を強くする。そうした傾向に、天皇は非常に不安を感じておられたが、なるべくその不安を表には出さないようにしておられた。

そんな昭和天皇だが、昭和12年に勃発した2.26事件の際には政治の表舞台に乗り出された。天皇は側近から事件の一報を聞くと、すぐさま軍服に着替え、「反乱軍」の鎮圧のために第一線にたたれた。

天皇はこれを「陸軍の反乱である。したがって軍事問題であって内政問題ではない。大元帥として対処すべきだ」と考えたに違いないと半藤さんはいっている。つまり天皇は大元帥の立場から反乱軍の鎮圧に乗り出したのだと。

天皇をそうさせたのは、若手将校たちが自分の育ての親ともいうべき人たちをひどい目にあわせたことへの怒りがあったとも半藤さんはいっている。襲われた鈴木貫太郎侍従長は天皇にとっては子供の頃から父親代わりの人、その妻のたかさんは乳母として自分を育ててくれた敬愛すべき女性だ。そのたかさんから、侍従長が弾丸四発をうちこまれて瀕死の重傷を蒙ったと知らされた天皇は怒り心頭に発したというのだ。

昭和天皇が政治に対して露骨に干渉したことがもうひとつあった。昭和14年に独ソ不可侵条約の締結が明らかにされて、平沼内閣が「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を呈しましたので」という迷文句を残して総辞職し、そのあとを陸軍大将阿部信行が引き継ぐことになったが、その阿部に向かって天皇は厳しい条件を出した。

・英米に対しては強調しなければならない
・陸軍大臣は自分が指名する。三長官(陸軍大臣、参謀総長、教育総監のこと)がどういおうとも、梅津か畑のどちらかにしろ。

これはあまりにも異常な事態といわねばならない。それほどまでに天皇は、暴走する軍部に苦い思いをしていたに違いないのだ。

だがその後、天皇は、事態がますます自分の意見とは正反対の方向へと動いていくのを前にして、殆ど何もいわなくなった。陸海軍の暴走ぶりに時に激しく怒ることはあっても、政治的な場で政治的な発言をすることは慎しまれたのである。

そんな昭和天皇がいやがおうでも、政治的な役割を引き受けざるを得なくなる事態が、もう一度やってくる。戦争終結へ向けて国論を統一し、無条件降伏と云う屈辱的な決定をすることだ。

こうしてあの「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という言葉を以て、戦争に明け暮れた昭和の一時代が幕を閉じることになる。


    

  
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