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昭和史覚書


昭和時代は、敗戦までの20年間とその後の四十年間に区分できる。前の20年間を、司馬遼太郎は「異胎の時代」と名付け、それを明治時代と対比させて、明るい明治・暗い昭和という対立軸に還元した。そして後の40年間を、暗い昭和を乗り超えて、明治の明るさを取り戻すことを使命としたように描いたのだったが、事態はそんなに単純なものではない。

昭和の前の20年間は、明治・大正と深く結びつき、明治時代こそが昭和の前の20年間を用意したのだったし、後の40年間もまた、それ以前の日本と深く結びついている。昭和の前の20年間を、司馬のように、前後の時代と切り離して、出来ればなかったことにしたいという願望は、日本という国を考えるうえで健全なものではない。

このサイトは、昭和という時代を、もっと大きな展望の中でとらえたいと思う。昭和史覚書と題したのは、小生が折々に考えたことを、覚書風にしたためたためである。


佐倉連隊にみる戦争の時代

海軍反省会の記録:軍令部の暴走

玉砕 生きて虜囚の辱めを受けず

外交敗戦 孤立への道:日本人はなぜ戦争へと向かったのか

巨大組織陸軍暴走のメカニズム:日本人はなぜ戦争へと向かったのか

熱狂はこうして作られた:メディアの戦争責任

大本営政府連絡会議:日米開戦への無責任な意思決定

円の戦争:日本は戦費をどう調達したか

半藤一利「昭和史」を読む

証言記録 日本人の戦争

昭和史の中の昭和天皇:半藤一利「昭和史」から

広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右:半藤一利「昭和史」から

戦争を煽った新聞社:半藤一利「昭和史」から

昭和天皇独白録を読む

アジア・太平洋戦争と大東亜共栄圏

餓死、水没死、特攻死:アジア・太平洋戦争

東条英機:アジア・太平洋戦争

日本海軍はなぜ過ったか:海軍反省会をめぐって

半藤一利「遠い島ガダルカナル」

ウェーキ島の攻略:児島襄「太平洋戦争」

シンガポールの華僑処刑事件:児島襄「太平洋戦争」

バターン半島攻略と死の行進:児島襄「太平洋戦争」

ミッドウェー海戦:児島襄「太平洋戦争」

ガダルカナル島の死闘:児島襄「太平洋戦争」

連合艦隊司令長官山本五十六の戦死:児島襄「太平洋戦争」

アッツ島の玉砕:児島襄「太平洋戦争」から

悲劇のインパール作戦:児島襄「太平洋戦争」

日本兵は何故皆殺しにされたか:児島襄「太平洋戦争」

東京大空襲の記録

早乙女勝元「東京大空襲」

原爆の投下訓練:パンプキン爆弾

生かされなかった極秘情報:広島・長崎への原爆投下

広島・長崎65年目の夏

児島襄著「東京裁判」を読む


林博史「BC級戦犯裁判」


眠れぬ英霊たち:菅首相の硫黄島訪問

フィリピンでの遺骨収集に見る厚生省のお役所体質

戦場の軍法会議~処刑された日本兵

終戦 なぜ早く決められなかったのか

棄民:自力で脱出した日本人たち

北朝鮮の日本人埋葬地について

山口昌男「挫折の昭和史」を読む

狂気の戦場ペリリュー

昭和天皇実録をどう読むか:保坂正康氏の読み方

住民は何故無差別に殺されたか:NHKスペシャル「沖縄戦全記録」

原武史「昭和天皇」

NHKの731部隊調査報道

橋川文三の超国家主義論

満蒙開拓団の性接待

鴻上尚史「不死身の特攻兵」

昭和天皇の敗戦後の言説

敗戦後論:加藤典洋

日本への原爆投下は不必要だった:英米の研究者が指摘

吉田裕「日本軍兵士」

吉田裕「日本の軍隊」

小林英夫「日本軍政下のアジア」

吉田裕「日本人の戦争観」

失敗の本質

天皇の昭和史:藤原彰ほか

保坂正康・東郷和彦「日本の領土問題」

なぜ日本は<嫌われ国家>なのか:保坂正康

「歴史認識」とは何か:大沼保昭・江川紹子

大沼保昭「東京裁判から戦後責任の思想へ」

大沼保昭「慰安婦問題とは何だったのか」




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