日本語と日本文化


広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右:半藤一利「昭和史」から


昭和時代前期の戦争の時代に登場する日本の政治家には、遠大な展望と精緻な分析をもとに国家を正しい方向へと導けるようなスケールの大きな政治家はいなかった。日本国民にとって不幸なことに、近視眼的な展望と混濁した意識しか持ち合わせない矮小な政治家はいくらでもいた。その連中が、日本と云う国を誤らせた、これが昭和史前期の政治家群像に関する半藤一利さんの基本的なスタンスだ。

半藤さんが忌々しそうに語るそうした矮小な政治家たちの中でも、最も我慢がならないのは、広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右の三人のようである。

広田弘毅は、作家の城山三郎が「落日燃ゆ」のなかで持ち上げたために、たいそう立派な人間のように思っている人が多いが、それはとんでもないことだ。彼が2.26事件の後にやったことと云えば、軍部の要求をいちいち取り入れて、「従来の秕政を一新」することだった。秕政とは悪い政治という意味だ。そうした悪い政治を排して軍部が独走する、そんな道筋を立てたのが広田内閣なのである。

まず、「軍部大臣現役武官制」というものを20数年ぶりに復活させた。これは現役の軍人でなければ陸軍大臣や海軍大臣になれないという制度だ。軍部はこれを盾に取ればいとも簡単に内閣をひっくり返すことができる。気に入らぬ内閣には現役の軍人を送らねばよいからだ。

二つ目には、ドイツとの間で防共協定を結んだ。なにもこの時点でドイツとそんな協定を結ぶことは少しも必要なかった、むしろドイツと接近することで英米との距離が大きくなる危険があった。昭和天皇はそのことを大いに憂えたが、あえて口をはさむことはしなかった。

三つ目には、陸軍の統制派が握る幕僚グループが海軍の軍令部と手を握り、国の政策を決定するようなあり方に道筋をつけた。その政策の大綱とは、ソ連に対して北を守りながら、南へと進出する「北守南進」の政策だった。

これに加えて、広田内閣は「不穏文書取締法」を作り、ありとあらゆる言論を弾圧するようになった。

つまり日本と云う国を軍国主義に染め上げていくうえで、広田弘毅は決定的な役割を果たしたというのである。

近衛文麿は優柔不断なインテリと云った印象があるようだが、実際はそうではない。彼なりに確固とした信念があり、その信念に基づいて一貫した行動を通した。だが国民にとって不幸なことは、その信念なり行動なりが、日本の国益と齟齬をきたしていたことだ。そんな近衛を半藤さんは「まことに始末に負えない首相」と断じている。

近衛は第一次内閣の時の昭和12年にシナ事変に遭遇した。遭遇したというのは、自分が政治的に主導した事件ではなく、軍部が起こした事件を追認したに過ぎないという事情があるからだ。これだけでも問題なのに、近衛は大きな戦争に発展する可能性が高いこの事変をまじめに収束しようとはしなかった。それどころか、「蒋介石を相手にせず」などと、唯我独尊的なことをいって、和平の試みを退け、事変がなし崩し的に拡大していくのを放置した。

また国家総動員法を制定して、日本の国力のすべてを戦争遂行と云う目的のために動員する体制を築いた。近衛は筋金入りの好戦主義者という側面を持っていたのだ。

近衛は昭和15年に第二次近衛内閣をつくるが、その時代に、日独伊三国同盟を締結した。

近衛はどうも反英米主義者であったらしく、アングロサクソンの世界制覇に対して懸念するところがあった。彼のドイツびいきは、アングロサクソンへの対抗意識がもたらしたものらしいのである。

いづれにしても、近衛内閣のもとで、日本は着実に対英米戦争への道を進んでいった。心配した昭和天皇が、英米相手に勝ち目はあるのかと近衛に問いただしたところ、若しも負けたら自ら討ち死にする覚悟ですなどと、話にならない返答をしたということだ。

近衛は自尊心の強い男だったらしいが、松岡の方は、自尊心と云うより、自己愛の塊のような男といってよかった。とにかく、目立ちたがり屋だった。国際連盟を脱退するときのポーズなどは、自ら酔いしれているような風情がある。

松岡は日独伊三国同盟調印のために、ドイツまでいってヒットラーと会った帰りに、モスクワにたちよってスターリンと会った。するとスターリンの方から、日ソ中立条約の締結を持ちかけてきた。

松岡はこの思いがけない申し出に飛びついた。ソ連はドイツとの間でも不可侵条約を結んだばかりだ。もしそのソ連と中立条約を結ぶことができれば、日本は満州国境を心配することなく、南進政策を進めることができる、そう判断したのだ。実際は、独ソ不可侵条約はこの直後に破られ、ヒットラーはソ連侵攻を決断する。スターリンはスターリンで、そのことを察知して、日本との関係を無害なものにしたうえで、対独戦に臨もうという配慮が働いていたものと考えられる。

こうしたことは露も解しない松岡は、帰国後大規模な歓迎の挨拶を受け有頂天になる。しかしそんな彼には、世界史の流れを冷静に見つめる目は備わってはいなかったのだ。その曇った目が、日本をあらぬ方向へと導いていくひとつの原動力ともなったわけだ。


    

  
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