日本語と日本文化


証言記録 日本人の戦争


今年は日米開戦70周年とあって、真珠湾攻撃日の12月8日に向けて、NHKが戦争経験者たちの証言集を放送していた。真珠湾から70年、敗戦からでも66年たっているから、戦争を身を以て体験した人も、かなり高齢化している。実際テレビのインタビュー場面に登場した人々はみな、80歳代後半から90歳代の人たちだった。彼らの多くは、今までは口の重かった人たちだ。その彼らがやっと、口を開いて、自分の経験した辛い出来事を話していた。

今回は第一回目として、「アジア 民衆に包囲された戦場」、第二回目として、「太平洋 絶望の戦場」と題して、それぞれに送られた戦場で、兵士たちがいかに非人間的な極限体験をしたか、また占領地の住民たちや沖縄の一般国民がいかに理不尽な目にあわされたか、克明に追っていた。

インタビューに登場した人々は殆ど、自分が陥った地獄のような状況の責任を他者に求めるようなことをしなかった。むしろ多くの戦友が死んでいった中で、自分だけが奇跡的に生き残って日本に帰ってきた、そのことが申し訳ないと、自分自身を責めていた。そのことに何ともやりきれない気持ちにさせられた。彼らはなにも、自分自身を責めることはないのだ。彼らが生き残ったのは、自分の選択の結果ではなく、運命の取り計らいだったのだから。

でも自分自身の選択によって生き残った人々もいた。たとえばニューギニアの絶望的な状況の中で、集団で敵に投降した部隊の人々だ。他になんらの可能性もない状況では、敵に投降して捕虜となることは恥ずべきことではない、というのが国際的な了解だ。だが日本人はそうは思わなかった。

投降した人々の話に及ぶと、やはりそれは許せないという気持を表す人がいる。命が助かりたいのは誰でもが持つ自然な感情だ。それはわかる。だがほとんどの戦友が「生きて虜囚の辱めを受けず」と、投降を拒否して死を選んだ中で、何故彼らは投降を選んだのか、やはりその行為を素直に受け止めることはできない。その人はそう感じるのだ。

そう感じる人がいるとわかっているから、投降した人々もそのことを生涯恥とせずにはいられなかった。捕虜の中には、日本に送還されることに強い拒絶反応を示し、送還するならむしろ殺してくれと懇願する者もいたそうだ。恥の感情が日本で生き続けることを難しくさせていたのだ。

捕虜にならずに生き残った人々の中でさえ、自分だけが生き残ったことを深く恥と感じ続けてきた人もいる。そういう人は人間としてはもう、この世に生きていないと同然だと言えた。そういう人は社会的な交わりを一切たって、自分一人の世界に閉じこもってしまうのだ。

この他、戦場で起きたおぞましい出来事、沖縄では少年少女までが戦闘に駆り立てられたこと、防空壕の中で泣き叫ぶ子供を、他の人の目を憚って窒息死させた母親の話など、やりきれない出来事が淡々とかたられていた。言葉で語りえないことどもについては、語り手の表情に浮かんだ深い苦悩が物語っていた。


    

  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME日本史覚書昭和史次へ




作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2012
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである