日本語と日本文化


狂言「文山立」:山賊の喧嘩


狂言「文山立」は、山賊の喧嘩を描いたもので、「集狂言」に分類されている。集狂言というのは、狂言における代表的な人物類型に収まらない雑多なものを集めた分類で、「その他の狂言」といったところである。

折角獲物になる通行人を見つけた二人の山賊のうち、片方(山賊乙)は弓をもって「やるまいぞ やるまいぞ」というのに対し、もう一人(山賊甲)は「やれやれ」といってはやし立てるうち、通行人は去ってしまう。そこで、乙が甲に、おぬしが「やれやれ」というので逃がしてやったというと、甲は「やれやれとは捕らえろという意味だ」といって、相手の不手際をお互いに罵る。このことから二人の間で喧嘩が始まるが、そのうちにお互いに命がおしくなって仲直りするという他愛ない筋書きである。筋が他愛ないだけ、とぼけた演技の味で、観客を喜ばせなければならない、なかなか難しい狂言と云える。

ここでは、先日NHKが放送した大蔵流の狂言を紹介する。シテ(山賊甲)は山本則俊、アド(山賊乙)は山本則秀。(テクストは山本東本から)

さて、追剥の仕事が失敗したのは、互いに相手のせいだと考えた二人は、それぞれ自分の武器を地面にたたきつけて非難しあう。こうして二人の敵愾心は次第に高まっていく。

アド「もはや堪忍ならぬ、果し合おう
シテ「負くることではない
アド「いざ おりゃれ(刀に手をかけ、身構える)
シテ「いざ おりゃれ(刀に手をかけ、身構える)
シテ・アド「イイヤア、イイヤア、イイヤア、イイヤア(互いに相手の胸をとり、中央で横に左右に動きながら押し合う)
アド「(ワキ座寄りに押されて)アア、まず待て、まず待て
シテ「何事じゃ
アド「うしろはしたたかな崖じゃ
シテ「それこそさいわい、突き落いてやろう
アド「まず待て、まず待て、これへ落ちたならば命があるまい、真ん中へでて勝負致そう
シテ「それがよかろう
シテ・アド「(中央へ行き)イイヤア、イイヤア、イイヤア、イイヤア{押し合う}
シテ「(常座寄りに押されて)アア、あぶない、あぶない
アド「何とした
シテ「うしろはしたたかな茨畔じゃ
アド「それこそさいわい、突き落いてやろう
シテ「まず待て、まず待て、これへ落ちたならば痛うてなるまい、真ん中へでて勝負致そう
アド「それがよかろう

喧嘩を始めたといっても、このように中途半端なもの。互いに怪我をするのが怖くて、徹底的な攻撃ができない。そのうち、見物する者がいなくては張り合いがないとか、このまま死んでは犬死になるから、妻子たちに遺言を残しておこうとかということになる。

遺言を書く段になって、アドには書き物の用意がないというので、シテが懐から紙と矢立を取り出して、いよいよ書く段取りにはなったが、どんな文章にしたらよいか、なかなか名文が浮かばない。

「一筆啓上せしめ候」でもおかしいし、「新春の御慶」でもおかしい。そこで「さてもさても」と書き出すこととした。「さてもさても、ただかりそめに家を出で、山賊をし、人の物をばえとらずして、結句友同士口論し、引くなよ我も引かずして、刀の柄に手をかくる」というわけである。文章が完成すると、二人で喜びの歌を歌う。

シテ・アド「このままここにて死するならば、上り下りの旅人に踏み殺されたと思うべし、かまえてかまえてこのことを、人々に語り伝えよと、書きとどめたる水茎の、あとにとどまる女房や、娘こどものほえんこと、思いやられてあわれなり

そのうち二人は更に気が変り、そもそもこんなふうに死ぬのは犬死でもあるし、お互いに死にたくないと言い出す。だいたいが、いきさつを知っているのは二人だけなのだから、ここで喧嘩をやめても、他人様にとやかく言われることもあるまい、「中を直いて死ぬことをやめよう」というふうに落ち着く次第である。

最期に二人は仲直りをして、喜びの歌を歌いながら退場する。

シテ「思えば無用の死になりと(文を引き裂いて捨て)
シテ・アド「思えば無用の死になりと、二人の者は仲直り、{向かい合い}さるにても、(二人は立ってそれぞれ常座、地謡座の前に行き)かしこあやまちしつろうと、(それぞれの道具を持って、肩にして)手に手を取りて我が宿へ、(手を取り合って)犬死にせでぞ帰りける、犬死せでぞ帰りける


    


HOME能楽の世界

  
.

検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2010
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである