日本語と日本文化


能「鉢木」:北条時頼の廻国伝説


能「鉢木」は、鎌倉幕府五代執権北条時頼の廻国伝説に託して、武士の意地を描いたものだ。

雪の降り敷く寒い日に、僧侶に扮した時頼が落ちぶれた武士(佐野常世)の家に一夜の宿を借りると、常世は粟飯を差し出し、大事にしていた鉢の木を焚いてもてなす。そして今は落ちぶれてはいるが、武士の意地を忘れてはいない、いざ鎌倉というときには、老体に鞭打って一番駆けをするという。

鎌倉に戻った時頼は、諸国の大名小名に鎌倉参集を命ずる。すると常世は破れた具足を身につけ、老いぼれた馬にまたがって真っ先に鎌倉に駆けつける、それを見た時頼は、常世をまことの武士とたたえ、所領を安堵するという筋書きだ。

この筋書きからわかるように、水戸黄門伝説によく似ている。徳川時代には、時頼の廻国伝説が大いに人気を博し、なかでもこの鉢木の物語は最も人気があった。

しかし能としては、いささか常道を外れたつくりになっている。舞やかけりといった、能にとって本質的な要素が欠けている。そのかわり、シテとワキが延々とした会話を交わす。会話がすべてだといってよいほどだ。その意味で近代的な演劇に通じるものがある。

会話主体の能としては、俊寛や景清が思い浮かぶが、鉢木はそれ以上に会話劇といってよい。シテが一貫して直面で通すことも、この能の会話劇としての性格を強めているといえる。

テクストも普通の能作品に比較して倍ほどもある。構成は前後に分かれているが、複式無限能と異なり、二つの場面は時間的に連続したものとして扱われる。中入りはあるが、断絶はしていないわけである。

前段では、時頼は旅の僧侶、常世は落ちぶれた老人として現れ、後段では、時頼は鎌倉殿、常世は老いた武士として現れる。ワキが前後で衣装を取り替えるのは、能としては非常に珍しい演出だ。

以下紹介するのは、先日NHKが放送した喜多流の能、シテは友枝昭世、ワキは宝生閑がつとめていた。

舞台にはまず、シテツレ(常世の妻)が現われ、ついでワキの僧侶が現れる。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキは時頼の仮の姿、諸国を歩く旅の僧侶に設定されている。その僧侶が雪催いの空の下で、一軒の家に宿を乞う。

ワキ次第「行方さだめぬ道なれば。行方さだめぬ道なれば。来し方も何くならまし。
詞「是は一処不住の沙門にて候。我此ほど信濃の国に候ひしが。余りに雪深くなり候ふほどに。まづ此度は鎌倉に上り。春になり修行に出でばやと思ひ候。
道行「信濃なる。浅間の嶽に立つ煙。浅間の嶽に立つ煙遠近人の袖寒く。吹くや嵐の大井山捨つる身になき友の里。今ぞ浮世を離坂。墨の衣の碓氷川。下す筏の板鼻や。佐野の渡に。着きにけり佐野の渡につきにけり。
詞「急ぎ候ふほどに。上野の国佐野の渡に着きて候。あら笑止や又雪の降り来りて候。此処に宿を借らばやと思ひ候。いかに此屋の内へ案内申し候。
ツレ「誰にてわたり候ふぞ。
ワキ「これは修行者にて候。一夜の宿を御かし候へ。
ツレ「安き御事にて候へども。主の御留守にて候ふほどに。御宿は叶ひ候ふまじ。
ワキ「さらば御帰までこれにこれに待ち申さうずるにて候。
ツレ「それはともかくもにて候。わらはは外面へ出で迎ひ。此由を申さばやと思ひ候。

シテツレは僧侶の申し出を主人のシテに伝えるが、主人はみすぼらしい宿を理由に僧侶の申し出をいったんは断るが、僧侶が困り果てているのを見て、泊めることに同意する。

シテ「あゝ降つたる雪かな。如何に世にある人の面白う候ふらん。それ雪は鵞毛に似て飛んで散乱し。人は鶴〓{しやう}を着て立つて徘徊すと言へり。されば今ふる雪も。もと見し雪にかはらねども。我は鶴〓を着て立つて徘徊すべき。袂も朽ちて袖せばき。細布衣陸奥の。けふの寒さを如何にせん。あら面白からずの雪の日やな。
詞「あら思ひよらずや。此大雪に何とてこれに佇みて御入り候ふぞ。
ツレ「さん候修行者の御入り候ふぞ。一夜の御宿と仰せ候ふほどに。御留守の由申して候へば。御帰まで御待あらうずるよし仰せ候ふほどに。これまで参りて候。
シテ「さてその修行者はいづくに渡り候ふぞ。
ツレ「あれに御入り候。
ワキ「我らが事にて候。いまだ日は高く候へども。余りの大雪にて前後を忘じて候ふほどに。一夜の宿を御かし候へ。
シテ「やすき程の御事にて候へども。余りに見苦しく候ふほどに。御宿は叶ひ候ふまじ。
ワキ「いや/\見苦しきは苦しからぬ事にて候。ひらに一夜を御かし候へ。
シテ「留め申したくは候へども。我等夫婦さへ住みかねたる体にて候ふほどに。なか/\御宿は思ひもよらぬ事にて候。これより十八町あなたに。山本の里とてよき泊の候。日の暮れぬさきに一足もはやく御出で候へ。
ワキ「さてはしかと御借あるまじいにて候ふか。
シテ「御痛はしくは存じ候へども。御宿は参らせがたう候。
ワキ「あら曲もなや。よしなき人を待ち申して候ふものかな。
ツレ「あさましや我等かように衰ふるも。前世の戒行つたなき故なり。せめてはかやうの人に値遇申してこそ。後の世の便ともなるべけれ。然るべくは御宿を参らさせ給ひ候へ。
シテ詞「さやうに思し召し候はゞ。何とて以前には承り候はぬぞ。いやいや此大雪に遠くは御出で候ふまじ。某追附き留め申し候ふべし。なう/\旅人御宿参らせうなう。余りの大雪に申す事も聞えぬげに候。痛はしの御有様やな。もと降る雪に道を忘れ。今ふる雪に行方を失ひ。一処に佇みて。袖なる雪を打ち払ひ打ち払ひし給ふ気色。古歌の心に似たるぞや。駒とめて袖うちはらふ陰もなし。
詞「佐野の渡の雪の夕暮れ。かやうによみしは大和路や。三輪が崎なる佐野のわたり。
地下歌「これは東路の。佐野の渡の雪の暮に迷ひつかれ給はんより。見ぐるしく候へど一夜は泊り給へや。
上歌「げにこれも旅の宿。げにこれも旅の宿。仮初ながら値遇の縁。一樹の蔭のやどりも此世ならぬ契なり。それは雨の木蔭これは雪の軒ふりて。憂き寝ながらの草枕。夢より霜や結ぶらん。夢より霜やむすぶらん。

客僧を泊めることとしたが、もてなす者もない貧しさに、主人は恐縮し、せめてはと、粟の飯を差出し、また鉢の木を切ってそれをもやし暖を取ろうとする。その様を見て客僧はいたく感じ入る。

シテ「いかに申し候。お宿は申して候へども。何にても候へ参らせうずる物もなく候ふはいかに。
ツレ「をりふしこれに粟の飯の候ふほどに。苦しからずはまいらせられ候へ。シテ「さらば其由申し候ふべし。いかに申し候。御宿をば参らせて候へども。何にても参らせうずる物もなく候。をりふしこれに粟の飯のあるよし申し候。苦しからずは聞し召され候へ。
ワキ「それこそ日本一の事にて候賜はり候へ。
シテ「なうきこし召されうずると仰せ候。急いで参らせられ候へ。
ツレ「心得申し候。
シテ「総じて此粟と申す物は。古世にありし時は。歌に詠み詩に作りたるをこそ承りて候ふに。今は此粟をもつて身命を継ぎ候。げにや盧生が見し栄花の夢は五十年。その邯鄲の仮枕。一炊の夢のさめしも。粟飯かしく程ぞかし。あはれやげに我もうちも寝て。夢にも昔を見るならば。慰む事もあるべきに。なう御覧ぜよかほどまで。
地「住みうかれたる故郷の。松風寒き夜もすがら。寝られねば夢も見ず。何思出のあるべき。
シテ詞「夜の更くるについて次第に寒くなり候。何をがな火に焚いてあて参らせ候ふべき。や。思ひ出したる事の候。鉢の木を持ちて候。これを切り火に焚いてあて申し候ふべし。
ワキ「げに/\鉢の木の候ふよ。
シテ「さん候某世にありし時は。鉢の木に好き数多木を集め持ちて候ひしを。かやうの体に罷りなり。いやいや木ずきも無用と存じ。皆人に参らせて候さりながら。今も梅桜松を持ちて候。あの雪もちたる木にて候。某が秘蔵にて候へども。今夜のおもてなしに。これを火に焚きあて申さうずるにて候。
ワキ「いや/\これは思ひもよらぬ事にて候。御志はありがたう候へども。自然又おこと世に出で給はん時に御慰にて候ふ間。なか/\思ひもよらず候。
シテ「いやとても此身は埋木の。花咲く世に逢はん事。今此身にてあひ難し。ツレ「唯いたづらなる鉢の木を。御身の為に焚くならば。
シテ「これぞ誠に難行の。法の薪と思し召せ。
ツレ「しかも此程雪ふりて。
シテ「仙人に仕へし雪山の薪。
ツレ「かくこそあらめ。
シテ「我も身を。
地「捨人の為の鉢の木切るとてもよしや惜からじと。雪打ち払ひて見れば面白やいかにせん。先冬木より咲きそむる。窓の梅の北面は。雪封じて寒きにも。異木よりまづ先だてば梅を切りや初むべき。見じといふ。人こそうけれ山里の。折りかけ垣の梅をだに。情なしとをしみしに。今更薪になすべしとかねて思ひきや。
クセ「桜を見れば春ごとに。花すこし遅ければ。此木やわぶると心をつくし育てしに。今は我のみわびて住む。家桜きりくべて緋桜になすぞ悲しき。
シテ「さて松はさしもげに。
地「枝をため葉をすかして。かゝりあれと植ゑ置きし。そのかひ今は嵐吹く。松はもとより常磐にて。薪となるは梅桜。切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火はお為なりよくよりてあたり給へや。

主人のもてなしに感心した客僧は、主人の氏素性を訪ねる。すると主人は、いまはこうして落ちぶれてはいるが、武士としての心得は忘れてはいない、いざ鎌倉というとこには、老体にムチ打って一番に駆けつける所存だと語る。

ワキ詞「近頃よき火にあたり寒さを忘れて候。
シテ「御出により我等も火にあたりて候。
ワキ「いかに申し候。主の御苗字をば何と申し候ふぞ承りたく候。
シテ「いや某は苗字もなき者にて候。
ワキ「何と仰せ候ふとも。唯人とは見え給はず候。自然の時の為にて候。なにの苦しう候ふべき御苗字を承り候ふべし。
シテ「此上は何をか包み候ふべき。これこそ佐野の源左衛門の尉常世がなれの果にて候。
ワキ「それは何とてかやうのさん%\の体には御なりさふらふぞ。
シテ「其事にて候。一族どもに押領せられて。かやうの身となりて候。
ワキ「なうそれは何とて鎌倉へ御上り候ひて。其御沙汰は候はぬぞ。
シテ「運の尽くる所か。最明寺殿さへ修行に御出で候ふ上は候。かやうにおちぶれては候へども。御覧候へこれに物の具一領長刀一えだ。又あれに馬をも一匹つないで持ちて候。これは只今にてもあれ鎌倉に御大事あらば。ちぎれたりとも此具足取つて投げかけ。錆びたりとも長刀を持ち。痩せたりともあの馬に乗り。一番に馳せ参じ着到に附き。さて合戦始まらば。
地「敵大勢ありとても。敵大勢ありとても。一番に割つて入り思ふ敵と寄合ひ打合ひて死なん此身の。此侭ならば徒らに。飢に疲れて死なん命。何ぼう無念の事さうぞ。
ロンギワキ「よしや身の。かくては果てじ唯頼め。我世の中にあらんほど。又こそ参り候はめ暇申して出づるなり。
シテツレ二人「名残をしの御事や。始めはつゝむ我が宿の。さも見苦しく候へどしばしは留まり給へや。
ワキ「留まるは名残のまゝならば。さて幾たびか雪の日の。
シテツレ二人「空さへ寒き此暮に。
ワキ「いづくに宿を狩衣。
シテツレ二人「今日ばかり留まり給へや。
ワキ「名残は宿にとまれども。いとま申して。
シテツレ二人「御出でか。
ワキ「さらばよ常世。
シテツレ二人「また御入。
地「自然鎌倉に御上あらば御尋あれ。けうがる法師なりかひ%\しくはなけれども。披露の縁になり申さん。御沙汰捨てさせ給ふなといひすてゝ出船のともに名残や。をしむらんともに名残や惜むらん。

中入早鼓間 この能には、アイが二人出てくる。そのうちの一人が早打と称されるもので、間狂言を演じる。

鎌倉に戻った時頼が、諸国の大名小名に参集するように触れるのが役目だ。これは、常世が自分のいったことを守るかどうか試すために、時頼が仕組んだ芝居なのである。

後シテ詞一声早笛「いかにあれなる旅人。鎌倉へ勢の上るといふは誠か。何おびたゝしく上る。さぞあるらん。東八個国の大名小名。思ひ/\の鎌倉入。さぞ見事にて候ふらん。白金物打つたる糸毛の具足に。金銀をのべたる太刀刀。飼ひに飼うたる馬に乗り。乗替中間きらびやかに。うちつれ/\上る中に。常世が常にかはりたる馬物具や打物の。物其ものにあらざる気色に。さぞ笑ふらんさりながら。所存は誰にも劣るまじと。心ばかりは勇めども。勇みかねたる痩馬のあら道おそや。
地「急げども。/\。弱気に弱気。柳の糸の。
シテ「よれによれたる痩馬なれば。地「打てどもあふれども。先へは進まぬ足弱車の乗り力なければ負ひかけたり。
後ワキ詞「いかに誰かある。
ワキツレ「御前に候。
ワキ「国々の軍勢どもは皆々来りてあるか。
ワキツレ「さん候悉く参りて候。
ワキ「其諸軍勢の中に。いかにもちぎれたる具足を着。さびたる長刀を持ち。痩せたる馬を自身ひかへたる武者一騎あるべし。急いで此方へ来れと申し候へ。ワキツレ「畏つて候。いかに誰かある。
狂言「御前に候。
ワキツレ「君よりの御諚には。諸軍勢の中にちぎれたる具足を着。錆たる長刀を持ち。痩たる馬を自身控へたる武者有るべし。急いで尋ねて御前へ参れとの御事にて候。
狂言「畏つて候。いかに申し候。
シテ「何事にて候ふぞ。
狂言「急いで御前へ御参り候へ。
シテ「何と某に御前へ参れと候ふや。
狂言「なか/\の事。
シテ「あら思ひよらずや。定めて人違にて候ふべし。
狂言「いや/\其方の事にて候。其子細は諸軍勢の中に。いかにも見苦しき武者をつれて参れとの御事にて候ふが。見申せば其方ほど見苦しき武者も候はぬ程に。さて申し候。急いで御参り候へ。
シテ「何とたとへば諸軍勢の中に。いかにも見苦しき武者に参れと候ふや。
狂言「なか/\の事。
シテ「さては某が事にて候ふべし。畏つたると御申し候へ。
狂言「心得申し候。
シテ「げに/\これも心得たり。某が敵人謀叛人と申し上げ。御前に召し出され頭を刎ねられん為な。よし/\それも力なし。いで/\御前に参らんと。大床さして見渡せば。
地「今度の早打に。今度の早打に。上りあつまる兵きら星の如く並み居たり。さて御前には諸侍。其外数人並み居つゝ。目を引き指をさし笑ひあへる其中に。
シテ「横縫のちぎれたる。
地「古腹巻に錆長刀。やう/\に横たへ。わるびれたる気色もなく。参りて御前にかしこまる。
ワキ詞「やあ如何にあれなるは佐野の源左衛門の尉常世か。これこそいつぞやの大雪に宿かりし修行者よ。見忘れてあるか。いで汝佐野にて申せしよな。今にてもあれ鎌倉に御大事あるならば。ちぎれたりとも其具足取つて投げ懸け。錆びたりとも其長刀を持ち。痩せたりともあの馬に乗り。一番に馳せ参るべきよし申しつる。言葉の末を違へずして。参りたるこそ神妙なれ。先々今度の勢づかひ。全く余の義にあらず。常世が言葉の末。真か偽か知らんためなり。又当参の人々も。訴訟あらば申すべし。理非によつて其沙汰いたすべき所なり。先々沙汰の始めには。常世が本領佐野の庄。三十余郷かへし与ふる所なり。又何よりも切なりしは。大雪ふつて寒かりしに。秘蔵せし鉢の木を切り。火に焚きあてし志をば。いつの世にかは忘るべき。いで其時の鉢の木は。梅桜松にてありしよな。其返報に。加賀に梅田。越中に桜井上野に松枝。合はせて三箇の庄。子々孫々に至るまで。相違あらざる自筆の状。安堵に取り添へ給びければ。シテ「常世は之を賜はりて。
地「常世は之を賜はりて。三度頂戴仕り。これ見給へや人々よ。始め笑ひしともがらも。これほどの御気色。さぞ羨ましかるらん。さて国々の諸軍勢。皆御いとま賜はり故郷へとてぞ帰りける。
シテ「其中に常世は。
地「其中に常世はよろこびの眉を開きつゝ。今こそ勇め此馬に。うちのりて上野や。佐野の舟橋とりはなれし。本領に安堵して。帰るぞうれしかりける。帰るぞうれしかりける。


    

  
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