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自民党改憲草案を読む4:グローバル時代の階級国家像


以上の考察を通じて筆者は、自民党改憲草案が、立憲主義を排して国権主義を復活させようとするものであり、基本的人権よりも公益や公の秩序を優先させるものであり、平和国家であることをやめて、アメリカ並みに年中戦争をしているような国をめざすものだと言った。それを第三者から見れば、筆者は自民党が明治国家の精神に戻ろうとしている、すなわち彼らの改憲案には復古思想がまとわりついている、と判断している、と見えるかもしれない。しかし、自民党の改憲草案は、復古思想一点張りではない。その中には、将来をにらんだグローバルな視点も含まれている、と筆者は考えている。そうした視点からは、単なる国民国家の回復ではなくて、日本という国がグローバルな世界で生き延びていくための戦略も含まれている。つまり、グローバル時代の国家像のようなものを、自民党の改憲草案は想定している、と考えているのである。

自民党改憲草案が想定しているようなグローバル時代の国家像とはどのようなものか。それを考えるには、明治憲法が想定していた国家像をもう一度よく考えてみる必要がある。明治憲法は欽定憲法といわれるように、天皇によって上から与えられた憲法であり、そこに保障されていた諸々の権利は、天皇に賜った恩恵だった。立憲主義などという寝言はそもそも問題にならず、人権の余沢は天皇の意向に逆らわない範囲にとどまり、戦争は天皇の意向一つ(或は天皇の権威を利用した好戦的な勢力の意向次第)で簡単に行われた。だからもう一度明治憲法体制に戻ろうというのであれば、自民党改憲草案のいうように、立憲主義や基本的事件を排するとともに、戦争ができるような国にしなければならない。それは確かなことだ。その意味で自民党改憲草案は筋が通っている。

しかし一口に明治憲法体制と言っても、抑圧的な面ばかりではなかった。抑圧一点張りの体制がそんなに長く続くわけはない。明治憲法が、様々な課題を抱えながら、少なくとも敗戦まで、国民大多数に支持されてきたのは、そこに国民にとってプラスの面もあったからだ。それは一口で言えば、国民国家の理念である。

明治憲法体制は強烈な国家意識によって支えられていた面がある。その国家意識においては、国民は皆天皇の赤子として平等の立場(少なくとも表向きは)にあった。国民は平等な立場で国による様々な恩恵に与る資格があった。政府の方では国民一人一人を差別なく食わせていく意思をもっていた。つまり、国民は、人権などというものを多少制限されていたにしても、政府によって包括的に、その生存を保障されていた。だからこそ国民は徴兵制度を受け入れ、無能な指導者たちによって無駄死にさせられようとも、お国のために戦う姿勢を持っていたわけである。

明治憲法体制は、究極的には軍国主義体制へと収斂し、国民全体を戦争に駆り立てたわけだが、その一方で、働き手を兵士として送り出した家族が路頭に迷わず、また兵士の方も残した家族を心配しないでいいように、様々な政策が実施された。それは今でいう社会福祉の充実と変わらないものである。政府は国民に手厚い福祉を保証することで、国民全員が不安なく戦争に邁進できるように、日々考慮を巡らしていたのである。あの岸信介でさえ、国民への手厚い保護が戦争遂行への欠かせない条件だと認識していたのだ。

明治憲法体制というのは、このような意味での、国民国家思想(国民あっての国家という思想)を伴っていたのである。ところが自民党の改憲草案にはそれがない。自民党改憲草案は、基本的人権を制約する一方、国民を平等に食べさせていく責任を放棄するものなのである。

自民党改憲草案が想定している国家像とは、国民あっての国家ではなく、国家あっての国民というものである。国家は国民の福祉にそんなにかかずらわってはおれない。国民は国に期待するのではなく、家族同士が助け合い、自助自立に努めるべきだ。では国は何をするのか。国はグローバル時代の世界にあって、日本という国の名声を高めるようなことに専念する。それは、一つは戦争に勝って世界中から一目置かれることであり、また日本企業の名声を高めることである。少なくとも、国民一人ひとりのことにかかずらわることでない、というわけだ。

しかし、日本という国の名声が高まったり、日本企業が儲けたりすることによって、誰が恩恵を被るのか。少なくとも、一般庶民にはその恩恵は及ばない、どころか、損な目にばかりあわせられるだろう。庶民は、日本の名声を高めるためと称して戦争に駆り立てられる一方、家族の生活が果してどうなるのか気になって仕方がないだろう。何しろ国は、働き手を奪っておきながら、家族同士助け合って自活をせよというばかりなのだから。

また、日本企業が世界中に進出してぼろ儲けをしたところで、海外で儲けた金を、日本国内のために使おうなどと、そんなけなげなことは考えない可能性の方が大きい。

つまり、自民党改憲草案が想定しているのは、一種の階級社会なのではないか、そんなことを感じさせられる。これまでも自民党は、国民の間での格差を拡大させてきた。その結果国民は勝ち組と負け組に分断された。これは新たな階級制度ともいえるものだ。何故なら格差は定着する傾向があり、一旦負け組に振り分けられたものは、子々孫々に渡って負け組から出られない可能性が高いからだ。

これからの日本は、ますます格差が拡大するだろう。その結果、国民は勝ち組と負け組に分断され、日本は強固な階級社会になる。その中で政府は、負け組に対しては、自助自立と国への奉仕を求めつつ、勝ち組が世界をまたに稼げるような条件を追求していく。それが自民党改憲草案の抱いている考えではないのか。どうもそんな風にうつる。

これが下種のかんぐりに終わらないのであれば、自民党改憲草案の目指すところは、グローバル時代における階級国家の実現だということになる。




  
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