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ミッドウェー海戦:児島襄「太平洋戦争」


ミッドウェー海戦は、日本にとって太平洋戦争の命運を左右する分岐点となった戦い。この闘いで日本海軍は歴史上初めて負け戦を喫した。しかも戦力の上では圧倒的な有利を誇っていたにもかかわらず、作戦上の隙を米軍につかれ、本来日本海軍の得意とした奇襲攻撃を米軍に許して、散々な敗北を喫した。いいところが全くなかったのである。

真珠湾の奇襲に成功した後、山本連合艦隊長官は、引き続き米海軍の殲滅に向けて勢力を注ぐべきだと主張していたが、彼の意見は軍令部の認めるところとはならなかった。相手に時間を与えれば、アメリカはすぐに打撃から立ち直り、圧倒的な戦力を整えたうえで、雪辱を期して襲い掛かってくるだろう。だから早めにアメリカ海軍を殲滅して、彼らの戦闘意欲を失わせることが肝要だ、こう山本長官は考えたのだったが、太平洋戦争の初戦の成功に慢心した陸海軍の中枢部は、アメリカの力を見くびっていた。

ところが、そうした雰囲気を一変させる重大な出来事が起こった。アメリカ海軍の戦闘爆撃機による東京空襲である。1942年4月18日午後0時半、太平洋上の空母ホーネットから発艦したB25十六機が東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸などを爆撃して、疾風のように中国大陸に向かって飛び去って行った。この空襲で死傷者363人、家屋損壊350個の被害が出た。

この空襲は、参謀本部や軍令部にとっては大変なショックだった。国民の前では、開戦以来勝利に次ぐ勝利を自慢していたところへ、いきなり空襲をくらったわけだから、無理もない。

こんな空襲を許したのは、アメリカの海軍力を温存させたことの結果だ、日本本土をアメリカの空襲から守るためには、アメリカ艦隊を殲滅する以外にない。こうした論調が一気に高まる中で、山本長官の連合艦隊がかねて主張していたミッドウェー作戦が実施されることとなったのである。

何故ミッドウェーなのか、いまだによくわからないところがある。アメリカ大平洋艦隊の根拠地はハワイだから、本来ならハワイを攻撃しなければならないところだ。しかしいきなりハワイでは、成功しない可能性もある。だからとりあえず、ミッドウェーを攻略してアメリカ艦隊をおびき寄せ、得意の迎撃作戦で殲滅しよう、こういう意図だったのかもしれない。

日本海軍はこの作戦に、海軍の総力を動員した。動員された艦船350隻、飛行機1000機、将兵は実に10万人を超えた。これらが各地からミッドウェーを目指して集まってくる。しかしこれだけ大規模な作戦であるにもかかわらず、その目的は必ずしも明確ではなかったと児島氏は批判する。ミッドウェーの攻略が目的なのか、敵艦隊の殲滅が目的なのか明らかでなかったというのである。敵艦隊の殲滅が目的ならば、なるべく相手に発見されずに隠密行動をとった方が有利だ。島の攻略が目的ならば、いやおうなく自分の存在を公示することになる、そういうわけである。

山本長官の決選方式にも問題があったと児島氏はいう。ミッドウェー部隊の配備は、先頭に潜水部隊、続いて空母を中心とした機動部隊、それからかなり遅れて戦艦などからなる主隊、主体をはるか遠くに臨むような形で警戒部隊がいる。これは、総力をあげて一気に形をつけようというのではなく、漸進的あるいは波状的に攻撃しようというものである。

しかし近代戦にとって重要なのは時間だと氏は言う。空母同士が戦うときには、勝敗は比較的に短い時間で決する、そこで味方の空母の状況に応じて主隊が効果的な応援をするためには、空母と離れていては意味がない。主隊は機動部隊と行動をともにしてこそ意味のある活動ができる。こんなことは分かっているはずなのに、山本長官はあえてそうしなかった。やはりそこには米軍の戦力軽視、あるいは自己の能力の過信があったのではないか、そう氏は推測する。

対して米軍のほうは、戦力の上では日本にははるかに及ばない。だからまともにぶつかっては相手にならない。そこで奇襲というか、攻撃のタイミングが大切になるわけだが、ミッドウェーではそのタイミングが、米軍にとってことごとくうまく働いた。

その前に米軍は、日本軍の暗号を解読して、その動きを事前に十分にキャッチしていた。日本側はそのことに全く気付いていなかった。だから米軍の待ち伏せしている中に、みすみす飛び込んだ形になったわけだ。

このことに加えて、米軍は索敵活動を活発に行って日本軍の機動部隊を先に発見した。このことが勝敗に決定的に作用した。米軍は日本側を不意打ちするような形で、機動部隊の空母4隻に集中的に襲い掛かり、戦いの初戦で日本の機動部隊をほぼ壊滅させることに成功したのである。それに対して日本軍は、偵察行動を軽視していたきらいがある。戦争は武力のみではなく、情報を巡る戦いだということを、日本の軍人は十分に理解していなかった、そういわれても仕方がない側面がある。

ミッドウェー海戦で日本の蒙った損失は、空母4隻、重巡洋艦1隻、飛行機322機、兵員3500人、たいしてアメリカ側の損失は、空母1隻、駆逐艦1隻、飛行機150機、兵員307人だった。

ミッドウェー海戦の結果は日本国内にはひた隠しにされ、空母1隻喪失、一隻大破、巡洋艦1隻大破、未帰還機35機と発表された。


    

  
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