日本語と日本文化


東条英機:アジア・太平洋戦争


東条英機は評価の揺れの激しい政治家である。プラスの方向に評価する者は、彼の実践力とまじめな性格を強調する。昭和天皇が東条に好意的だったことは良く知られているが、それは天皇が東条のまじめさを評価したからだった。

他方、マイナスの方向に評価するものは、彼が日本をひきずって、どう見ても勝ち目のない戦争に国民を巻き込んだ張本人であり、そのスタイルの独善性とあいまって、日本という国を誤らせたに点を非難する。

「アジア・太平洋戦争」の著者吉田裕氏も後者の立場に立っている。氏は東条政権を独裁政治とまで言い切っている。

その理由は基本的には日本の政治体制を、戦争遂行を目的とした全体主義体制として再構築し、国民に対して抑圧的に臨んだことにある、と氏はいう。日本の政治を戦争目的に従属させていくという点では、東條の前の近衛内閣からその傾向が強められていたが、東条はそれを大規模な形で完成させた。しかも強制の外観をまとわず、あくまでも国民の支持のもとでという外観を持たせたうえで。

1942年4月に、東条は総選挙を実施した。実に5年ぶりの選挙だったが、この選挙に東条は徹底的に介入し、自分の意に従う議会を作り上げた。翼賛政治会の成立である。東条はこのために候補者たちを金で買収した。その金は臨時軍事費からひねり出した。公金を私物化したわけである。

東条はまた宮中の有力者たちも金で買収した。その資金源はおそらく、中国でのアヘン売買からでているのだろうと、近衛はいったそうだ。

軍部内での東条の足場は強固なものだった。東条は首相と陸軍大臣を兼ねることによって、権力を自分の手に集中し、政治と統帥の両面から決定を下す立場に立った。それが東条の独裁政治を支える基盤として機能したというのだ。

東条は自分に反対する者を効果的に粉砕するために憲兵組織を使った。憲兵はもともと軍隊内の規律違反を取り締まる組織だが、東条は一般人の取り締まりにも憲兵を動員し、反戦運動や反軍気運の弾圧、政敵の監視や弾圧にもあたらせた。憲兵の私物化といわれるこうしたやり方は、東条のイメージを暗くする上で、大きな役割を果たしたことは否めない。

東条は自分の独裁に強い根拠を持たせるために、民衆からの直接の支持を獲得しようとした。東条の独裁性がヒトラーと対比されるのは、民衆を前にした彼らの派手なパフォーマンスの共通性に主な理由がある。

映像や音声を最大限利用した最初の政治家として、東条にはヒトラーと共通するところがある。彼は国策映画を作らせて、それに登場することで民衆の前に直接姿を現した。民衆はそんな東条を見て、初期の華々しい戦果を東条の姿に重ね合わせて熱狂したという。

東条はまた、絶えず民衆の目に自分の姿をさらすように努めた。ヒトラーを気取ってオープンカーを乗り回し、抜き打ち視察と称して様々な場所に出没しては民衆と直接語らった。この点ではヒトラー以上にスター性にこだわったわけだ。

宇垣一成はそんな東条を苦々しく思い、「陸軍大臣や総理になった時の様子を見ると、何かと芝居がかりの点が多い。かねて聞いていたが、東条の家は元々能・狂言の筋だというから、これも尤もだろう」と日記にしたためた。実際に、東条の曽祖父は能楽宝生流の出であったという。

戦局がまだ日本に傾いている間は、東条の国民的な人気は圧倒的なものだった。彼は一躍時代のアイドルになったのだ。作家の保坂正康はその頃の東条についてつぎのように書いている。「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れ渡り、その姿を一目見ようと路次の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという<神話>が生まれた」まさに軍神扱いである。

しかし戦局が日本にとって怪しくなってくると、東条の人気にも陰りが見えてくる。東条はもともと極端ともいえる精神主義者として知られていたが、その精神主義が鼻持ちならぬ方向へと傾いた。

1944年5月、東条は陸軍航空士官学校を抜き打ち視察したが、その折に生徒を捕まえて敵機は何で落とすかと訊いた。生徒が機関銃で、と答えると、東条は、「違う、敵機は精神力で落とすのである」と恫喝して、学校長らに鼻しらむ思いをさせた。学校長は東条の言葉を無視して、生徒たちに科学的精神を持つように訓示したというのである。

独裁者として威光を極めた東条が失脚したのは、天皇に見放されたことが原因だったとされる。マリアナ諸島の失陥によって日本の敗戦が誰の目にも明らかになった時、反東条・早期和平のグループが結束して東条の追い落としにかかった。この攻防の過程で、天皇と木戸内大臣は東条を見捨てた、その結果さしもの東条も舞台から降りざるを得なくなった、というのである。

結局日本の政治舞台には独裁者は相応しくないのだろう。東条の場合には天皇が政治的な重しとして作用し、彼の独裁の永続を阻んだといえる。


    

  
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