日本語と日本文化


大本営政府連絡会議:日米開戦への無責任な意思決定


NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第4回は、「開戦、リーダーたちの迷走」と題して、昭和16年12月に行われた日米開戦の意思決定が、いかに無責任なプロセスだったかを、当時の指導者たちの肉声を記録したテープなど、第一級資料をもとにあぶりだしていた。

番組はまず、一枚の写真を視聴者に突きつける。大本営政府連絡会議のメンバーを写した記念写真だ。東条英機以下当時の政府のリーダーたちが写っているが、この人々によって、日米開戦の決定がなされたわけだ。写真に写った彼らの表情には、日米開戦へ向けての決意と同時に、やっかいな課題を何とか潜り抜けたという安堵感が見て取れる、と番組はいう。

やっかいな課題だというのは、対米戦争がまったく勝ち目のない戦と誰もがわかっていながら、それをやらざるをえないという、不合理きわまる課題を、連絡会議のメンバーたちが突きつけられていたという意味だ。

なぜそんな馬鹿げたことが、まかり通ったのか。

テープに肉声を残した連絡会議のメンバーたちは、誰もが異口同音に、アメリカ相手の戦争をしても勝てるわけがないと認めている。なにしろ国力はアメリカが日本の80倍もある、その上石油資源をはじめ戦争遂行に必要な資源をアメリカに握られている。こんな状態でアメリカと戦争を始めるのは、自殺行為に等しい。

一人の人間としては、誰もがこう考えている。ところがそれが組織の一員という立場に立たされると、正反対のことを言うようになる。

陸軍は満州事変以後、満蒙の権益擁護にのめりこんで、今更すべての行きがかりを無にして、兵を引き上げるわけにはいかない。

海軍は陸軍の向こうを張って、南方に進出し、資源の生命線を確保する動きに出ている。今更時間を引き戻して、何もなかったことにするわけにはいかない。

自分が作った既成事実に引きずられて、軍部も政府も撤退ということばを言い出せず、自縄自縛の状態に陥っていたのである。

それに加えて、政府連絡会議が日本的な意思決定のあり方に縛られて、全会一致の原則を採用していたことが事態を厄介なものにした。全会一致であるから、一人でも反対するものがあると、意思決定が行えない。であるから、決定はベターな事態ではなく完璧を求めてなされる。ところが完璧な決定などというものは、この世には存在し得ないから、決定はいつまでもダラダラと引き延ばされる。

こうして国家の最高意思決定機関である政府連絡会議は、国家の一大事に際して、なんらの有効な意思決定ができないまま、問題をずるずると先延ばしにする、そのような事態が常態化した。

そんな彼らがついに対米開戦に踏み込む決定をした、何故そんな決定ができたのか、アメリカ相手の戦争に勝てるわけがないということを、誰より知っていたはずの彼らが。

ここに日本的な意思決定システムの不合理性が浮かび上がってくると、番組はいう。全会一致という意思決定システムは、構成員のすべてにとっての最小公倍数に基づく決定だ、この場合の最小公倍数とは、自分たちの当面の利害に反しないということだった。つまり問題を先送りする中で、銘々が自分たちの組織の惰性に従って行動していれば、当面は矛盾が激化せずにやり過ごせる、そういう打算が働いたわけだ。

こうして誰もが大局観を欠いた状態の下で、目先の得失に従って判断した結果、負け戦に向かって一斉に走り出すことになった。走っている人たちは当然、自分の走っている道がコースを外れていることを知っている、知っていながらそうするよりほかに方法がない、それが日本的な意思決定システムのあり方なのであるから。こういう具合で、番組を見ながら、どうも天に唾するような、情けない気持ちに陥ったものだった。


    

  
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