日本語と日本文化


海軍反省会の記録:軍令部の暴走


日本が対米開戦に突っ走ったプロセスについては、これまで詳細が明らかになっていなかった。第一級資料が公開されてこなかったこともあるが、そもそもそうした原資料の大部分が軍及び政府関係者の手によって消滅させられていたという事情もあったらしい。

ところが昨年、原資料の不在を補うことを目的にしたかのような、半ば私的な資料が大量に見つかった。海軍反省会といわれるものの、議論を吹き込んだテープである。

海軍反省会とは、旧海軍の幹部たちが戦後集まって、開戦にいたった諸事情と敗戦の原因について、ざっくばらんな議論を戦わせた場だ。反省会という言葉から伺われるように、自分たち海軍関係者が行ったことについて、真剣に反省しようとする態度が見られる。

メンバーは元大尉から中将まで、参加者は延べ40人にのぼる。その中には、日米開戦に大きな影響を及ぼした軍令部の幹部も含まれていた。彼らは昭和55年に第一回の会合を開いて以来、ほぼ毎月集まっては平均三時間にのぼる議論を重ね、平成3年に解散するまで、130回、合計400時間分の議論の記録を残したのである。

NHKはこれらのテープを再現したうえ、その概要を戦争指導者たちの告白の記録として紹介した。余計な解説は極力避け、当事者の言葉をそのまま伝えるという、抑制した報道姿勢が、かえって多くのことを視聴者に考えさせたのではないか。

反省会の議論は、次のような共通の了解のもとに始められた。

この戦争の責任は東条英機ひとりに帰するわけにはいかない。海軍にも責任があった。当時の海軍は日米開戦の意義を真剣に検討していなかった。意思決定は脆弱な根拠によってなされ、無責任といわれても仕方のないものがあった。その背景には、海軍あって国家なしとする、思い上がりと驕りとがあった。その結果海軍は暴走して、国の破滅を招いたのだ。

だからその過ちの原因を、当事者の立場から徹底的に解明して、同じ過ちを次の世代に繰り返させないことが肝要だ。だが議論の中身は非公開としよう。まだ公開するには時期尚早だし、公開を前提としては自由にものが言えなくなる。当分は海軍への置き土産として、この議論の結果を残しておこう。

こうした了解に基づいて始まった議論は、10回目あたりから白熱さを増し、参加者は赤裸々に語るようになった。議論の骨格はいくつかあるが、筆者がとりわけ興味を覚えたのは、開戦の意思決定プロセスと、それを担った組織のあり方についてだった。

日米開戦を強く主張していたのは陸軍であり、海軍はそれについて醒めた見方をしていたという説が、いまでも根強く流布されている。しかし実際は海軍も日米開戦に強くかかわっていたのであり、陸軍に比して責任が軽いわけではないと、反省会のメンバー自身が言っている。真珠湾攻撃を立案したのは海軍であるし、勝算もないままミッドウェー海戦を始めたのも海軍だったと認めるのである。

では何故こんな無謀な戦争を始めたのか。その問いかけに対しては、誰もきちんとした答えができないことを、自ら認めている。皆一様に、時代の流れがそうさせたのだとか、開戦への抗いがたい勢いがあった、海軍はそれに飲まれてしまったのだというような、きわめて非合理な弁解が聞かれるだけだ。つまり物事に対する責任意識が希薄だったことを、当事者自ら認めているのである。

彼らが本音として持ち出した理屈のひとつに面白いものがあった。当時陸軍右翼を中心に高まっていた開戦への要求に対して、もし海軍が反対したなら袋叩きにあっていただろう。陸軍は面子にかけても、海軍を粉砕し、国を戦争に引っ張っていっただろう。そうなれば組織としての海軍は陸軍に屈服させられ、めちゃくちゃにされる恐れがあった。だから開戦は、海軍の組織を陸軍や右翼から守るための、やむにやまれぬ選択だったのだと。

こんな理屈を聞かされると、筆者などは背筋の寒くなる思いがする。軍隊とは敵の脅威から国民を守るために作られたものではないのか。それが自分の身を守るために国民を巻き添えにする、実に本末転倒な話だ、そんな風に受け取れたのである。

開戦の意思決定を担った組織のあり方にも問題があった。それは軍令部という組織のあり方であった。

軍令部とはもともと作戦を立案する部署だ。あくまでも政治とは距離を置いて、軍事作戦を成功裏に遂行することを任務とした組織だ。ところがこの軍令部が、ある時点から政治的な影響力を行使し始める。日米開戦という高度に政治的な意思決定も、この軍令部が深く関わっていた。

軍令部が政治力を持つようになるのは、皇族の伏見宮を総裁に担ぐようになってからだ。軍令部は伏見宮の影響力を利用して、自らの権力拡大を図った。陸海軍や連合艦隊が表向きは行政のコントロール下にあるのに対して、軍令部は天皇直属の機関であった。それを盾にとって、軍令部は対外的に政治的影響を及ぼす反面、外からの批判に対しては統帥権の不可侵を理由に、耳を貸そうとしなかった。

こうして天皇以外誰からも文句をいわれない軍令部は、あらゆる責任から開放されて暴走を始めた。肥大化する軍令部の威力の前では、天皇ですら奏上を飲むほかなかった。こうして無責任な連中による無責任三昧が横行し、日本は破滅に向かって突き進んでいった。

反省会の議論の内容を聞いていると、こんな構図が見えてくるのである。


    

  
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