日本語と日本文化


司馬遼太郎の統帥権論


司馬遼太郎は、昭和初期の十数年間を日本史にとって異常で異胎な時代だったと言い、日本にとっては「別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた」と言いつつ、この「わずか十数年間の"別国"のほうが、日本そのものであるかのようにして内外で印象づけられている」のは残念だという気持を強く抱いたようだ。

司馬はこの、日本を「別国に変えてしまった魔法の杖は、統帥権にあった」と言い、軍部の参謀本部の将校たちが、この統帥権を振りかざして日本をあらぬ方向に持って行ってしまったことが諸悪の根源であった、というような総括をしている。そこで、この"統帥権"なるものの本質と、それが軍部によって振りかざされた仕方が問題になるわけだが、司馬は一応その問題意識に、司馬なりに応えようとして、いくつかの考察を加えている。「この国の形」シリーズの第四冊目には、そうした論考が収められている。

まず、統帥権の本質を規定する制度的な特質については、司馬は統帥権が、立法、司法、行政の三権の上に立つ超越的な権力であった、ということに着目する。そんな権力だから、政治を無視して軍事が暴走できるように、制度的に保証されていたわけだ。昭和初期の日本が軍国主義国家となって、軍事があらゆることに優先されるようになるには、こうした制度的な保障があったわけだが、司馬はその面にはさらりと言及するだけで、突っ込んだ考察を加えていないようである。

司馬が、統帥権を論じる際に力点を置くのは、それを振りかざした軍部の動向のほうである。日本の軍部は、明治・大正の頃まではきちんと統制のとれた立派な軍隊だったが、昭和の初期になるとその統制が乱れ、軍部の中の一部、つまり参謀本部の将校たちが暴走して、日本を破滅させた。その際に統帥権が錦の御旗として振りかざされ、それに対しては誰にも手出しが出来なかった。昭和の初期の軍部こそ、日本を破滅させた張本人であり、ほかの日本人は軍部の命令にいやいやながら従った、と司馬は言いたいようなのである。

しかし軍部といえども急におかしくなるわけではないだろう。司馬は、昭和の軍部の「存在とその奇異な活動は日本史上の非遺伝的な存在だ」と感じつつも、そう言っては問題の追求が行き詰まってしまうので、昭和の軍部が暴走を始めるについては、歴史的な助走といえるような部分があったと認めている。それは簡単に言えば、維新及び明治初期における武力衝突(内乱)に始まる。

司馬は、戊辰戦争前後に官軍の武力を担った薩長土の兵力が、下級武士たちの専断によって動かされ、領主の同意を得なかったばかりか、その意思に反した部分もあったことを取り上げて、これらの武力行使は戦争の基本概念たる統帥権を逸脱したものだったといっている。統帥権というものは本来主権者、この場合には領主たちにあるわけだが、その主権者の意思を無視して武力行使が行われたわけだ。これは、西南政争の場合も同様で、西郷は官軍の大将の立場のままで戦争を引き起こした。これは官軍の大将が官軍を相手に戦争をしかけたわけだから、統帥権の面ではもっと始末の悪い出来事だった、と司馬の論理ではいえるわけである。司馬はその論理を踏まえて、この統帥権の乱れが西南戦争という未曾有の内乱を引き起こし、その乱れが隔世遺伝のように昭和の陸軍に遺伝したという。そして「昭和陸軍軍閥は、昭和六、七年以来爆発をつづけ、ついに国をほろぼしたが、その出発は明治初年の薩摩系近衛兵の政治化にあった」と結論付けている。

要するに昭和初期という異常な時代を用意したのは、薩摩の芋侍だったと言っているに等しい。

論考の前段の部分では、近代日本では統帥権は三権を超越した絶対的な権力であったとしながら、後段の部分では、その統帥権の乱れが軍部の一部の暴走を許したといっているわけで、多少の論理の乱れが見受けられるが、司馬は歴史学者ではなく、通俗小説作家なので、あまり学問的な厳密性を期待するのは気の毒かも知れぬ。それにしても、折角日本的な統帥権の特殊性(三権を超越した絶対的性格)に気付いたのであるから、その統帥権の運用をめぐる乱れについて細かい議論をする前に、何故そのような絶対的権力が国家の制度として組み込まれ、それがどのようにして貫徹して行ったか、を論じるのがわかりやすいやり方だろうと思う。

ともあれ、昭和軍閥の暴走を用意した張本人は薩摩の芋侍(薩摩系近衛兵)だったとする司馬の意見には、筆者はいろいろ言いたいことがあるが、それについては後日の話題に取っておこうと思う。




  
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