日本語と日本文化


日韓関係はこうして築かれた:日本と朝鮮半島


NHKスペシャル「日本と朝鮮半島」の最終回は「日韓関係はこうして築かれた」と題して、1965年の日韓基本条約の制定に焦点をあてていた。この条約は、日本による朝鮮半島の統治に結末をつけるとともに、その後の日韓関係の礎石となったものであり、いろいろな意味で、今日の両国関係のあり方に決定的な影響を与えたものである。

番組はこの条約の締結にあたって重要な役割を演じた二人の政治家にスポットライトをあてていた。韓国側のパクチョンヒ(朴正熙)と日本側の岸信介である。

パクチョンヒは1961年の軍事クーデターを経て韓国の大統領となり、北に対抗できる国力の充実に腐心していた。一方岸のほうは、1960年の安保条約改定後、混乱の責任をとって首相を退いていたが、いまだ強力な政治的影響力を持ち、とりわけ朝鮮半島を始めとするアジア情勢をめぐっては公然たる発言力を有していた。

番組はこの二人を満州人脈のなかに位置づけ、彼らの間には運命的な絆があったかのように描いていたが、それは少し踏み込みすぎの解釈だろう。ありうる事態としては、イスンマン(李 承晩)時代に冷え込んでいた日韓関係を正常化して、それをてこに日本からの経済協力を引き出し、韓国の近代化とその結果としての北に対する優位を勝ち取ろうとしたパクチョンヒの思惑が、アジアを反共の防波堤にしようと考えていた岸の思惑と一致したといったところだろう。

日韓の間には大きな課題が三つあったと番組は提起する。植民地支配下の韓国人民の被害に対する補償、日本による韓国併合の法的正統性、竹島の領有権である。

このなかでパクチョンヒがもっともこだわったのは、補償の問題だった。それが日本にとっては、都合のよい結果につながった、と番組はいう。

というのも、日本は経済補償と引き換えに、朝鮮統治の負の遺産を金の問題として解決できたから、しかもその額は、かつての敗戦国ドイツの例などと比較して問題にならないほどの低い金額であり、またその多くが有償無償の経済援助であったことから、日本企業にも多大のビジネスチャンスがめぐってきたからだ、そう番組は分析する。

これに対して、第二、第三の問題は、中途半端な妥協での決着が図られた。日本による朝鮮統治については、韓国がこれを無効だったと主張したのに対して、日本側は、かつては有効だったが今は無効であるといった風に、それぞれ勝手な解釈の余地を残し、正面からの対決を避けた、また竹島の領有権については、問題自体を先送りしようとする態度をとった、こう番組は続ける。

こうして成立した日韓基本条約は、その後の領国関係の基礎となった。韓国は日本の経済援助をてこにして驚異的な経済成長を遂げ、ハンガン(漢江)の奇跡とよばれる事態を実現した。

だが両国にとって本質的な問題に触れなかったことは、重いツケとなって残った。それはその後の日韓関係の節目節目でさまざまな軋轢となって表面化することになる。今日でも日韓両国は、安定した関係にあるとはいえない。

NHKが5回にわたって追跡してきた日韓関係の本質的な姿は、こうした見方に集約されるようである。


    

  
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