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敗者たちへの想像力:山口昌男「敗者の精神史」


山口昌男氏の「敗者たちの精神史」第6章は、「敗者たちへの想像力」と題して、前章に引き続き、維新の敗者側に立った人々を取り上げている。前章は新島襄のところで終わっていたが、ここでは、新島を出発点にして、新島と吉野の森林王といわれた土倉庄三郎がとりあげられ、庄三郎の息子六郎の友達として川田順が取り上げられ、川田順の父親川田甕江の友人と云う資格で、再び依田学海が登場する。筆者にとってもっとも肝心だったのが、この学海であることはいうまでもない。

依田学海と川田甕江は若年の頃よりの親友で、学海の日記「学海日録」には、甕江は第一巻(安政3年)から登場する。また、学海の妾宅日記「墨水別墅雑録」にも頻繁に登場し、杉浦梅譚の63回、淡島椿岳の51回に次いで、甕江は37回の多きを数える、と山口氏はいっている。

森鴎外が、「ウィタ・セクスアリス」のなかで、文潤先生といっているのは、依田学海である。その文潤先生のことを、鴎外は次のように描写している。

「度々いくうちに、十六七の島田髷が先生の御給仕をしてゐるのに出くはした。帰ってから、お母様に、今日は先生の内の一番大きいお嬢さんを見たと話したら、それはお召使だと仰しやった。お召使といふには特別な意味があったのである」

ここで、森鴎外が言及しているお召使とは、学海の愛妾山崎瑞香のことである。鴎外は、向島にあった学海の別荘「墨水別墅」に、漢文の指導を受けに行った時に、瑞香を見たわけであろう。

瑞香とは、学海が日記の中で言っている名前であるが、本名はおせきといったらしい。そのへんのことを、川田順が回想文の中で触れている。

「或る雪の日の朝、父は私を連れて、右の屋形船に乗った。大分長い時間かかって、船は向島に近づいたが、その時、雪は既に降りやんでゐた。白髪の老翁と、若い小柄の女とが土手の上まで迎へに来てゐた・・・白髪の人は依田学海翁で、小柄の女は愛妾おせきさんであった。その両三年前、私の生母の存命中、或る雪の朝、依田翁はおせきさんを連れて根岸の別荘に入来した。父は、その日の事がなつかしく、雪中に船をやとって向島に答礼したのであったらう」

川田順の母かねもまた、妾であった。上の文のなかで「根岸の別荘」とあるのは、甕江が側室母子のために用意した住居で、ここに学海とおせきさんが訪ねたわけなのだろう。だから上の文章には、妾を抱える男同士と、男に抱えられる妾同士の、特別な絆が読み取れるようにも思える。

なお、川田順が11歳の時に母親のかねが死に、順は父親の家に迎え入れられた。甕江の妻は、妾の子に寛容であった、と山口氏は書いている。




  
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