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狂言の歴史


狂言は歴史的には能とともに歩んできた。現在では、能と狂言を合わせて能楽と呼び習わしているが、そう称されるようになったのは明治時代以降のことで、徳川時代以前には申楽と呼ばれていた。明治政府が外国人をもてなす演目として申楽を選んだ際、名称が風雅に欠けるというので、能楽の字をあてたのである。

猿楽はもともと、大寺社や農村の神社の神事に芸を奉納する集団の芸能から始まった。当初は鬼の物まねなど、神事を引き立てる雑多な芸を披露していたと思われるが、やがて能とよばれるものが分離してきた。大和の結崎座に観阿弥が属していたことはよく知られているが、おそらく結崎座とは申楽の諸芸全体を含み、その中に観阿弥の能の一団があったのだと思われる。申楽の中でも、能は観衆に迎えられること甚だしかったから、ついには能の太夫が申楽全体を代表するようにもなったのだろう。

能には歴史上のある時期、観阿弥、世阿弥親子という天才が出現し、その後も優れた作者を輩出したので、早くから芸能としての完成を達することができた。現在上演されている能は、世阿弥の頃と基本的に異なるところはないのである。

これに対し、申楽を構成したもう一方の狂言には、世阿弥に相当するような天才も現れず、また、もともと即興を重んじる芸であったので、長い間、演者たちのばらばらな工夫にゆだねられるところが大きく、芸能としての確たるものと、それを踏まえた伝統を蓄積することがなかった。

世阿弥の時代の狂言がどのようなものであったか、世阿弥自身が「習道書」の中に書いている。それによれば、当時の申楽の興行は能三番、狂言二番からなるといっているから、ほぼ現在に伝わる能と狂言との関係が出来上がっていたようだ。だが、狂言は滑稽な所作や秀句(洒落)などの言葉遊びを主体とした即興芸であったようで、その芸術としての完成度は低かったようである。世阿弥は狂言師に向かって、間狂言においては観客を笑わせてはならないといったり、「笑みのうちに楽しみを含む」ような、優美で高級な演技を目指すべきだと諭している。

狂言の世界に台本らしきものが現れるのは、天正六年(1576)の「天正本」と呼ばれているものが最初である。能に比べると150年以上の遅れである。これには、103曲収められ、そのうち80曲は原行曲と共通するところがあるので、この頃には演目として能と同じような固定化が始まっていたと思われる。ただ、筋立ての概略を記したのみで、台本というよりは、役者の手控えのようなものに過ぎない。狂言は能とは異なり、かなり後の時代まで、流動的かつ即興性に富んだものだったことを伺わせる。

狂言師の状況は能役者ほど知られていない。室町時代後期に書かれた「四座役者目録」には、観世流の狂言方として日吉満五郎というものが出てくるが、これは後に大蔵流の祖となる大蔵弥右衛門の師である。面白いことに、鷺、和泉の両流派も日吉満五郎を流祖のうちに数えている。まるで、狂言三派が同じ流れから分岐したような言い分である。その後の狂言が、互いに交流しあい流派を跨いで同じような曲を演ずるようになるのは、こうした経緯によるものだろう。

織豊時代、猿楽は中興の時期を迎え、狂言も新たな発展を見せる。信長自身は幸若舞を好んだとされるが、狂言も贔屓にし、十一世大蔵弥右衛門に虎の字を与えて「虎正」と名乗らせた。秀吉も金春の能を贔屓にする一方、自ら狂言を演ずるほど狂言好きであった。

徳川時代に入り、申楽が武家の式樂とされ、五座の体制が整うのにともない、狂言のほうも再編成された。五座の筆頭とされた観世座は、座付狂言として鷺流を採用、古い伝統を誇る大蔵流は、江戸にあっては金春など他の座についた。一方和泉流は、京都、尾張、加賀などで勢力を張り、禁裏出入りの狂言師としても活躍、江戸とは一線を画しながら活動を続けた。

寛永十九年(1642)、十三世大蔵弥右衛門虎明が、237曲所収の狂言台本「虎明本」を完成、万治三年(1660)には狂言伝書「わらんべ草」を完成させた。寛政四年(1792)には、十九世大蔵弥右衛門虎寛が165曲所収の「虎寛本」を完成するが、これは現行のものとほとんど異ならないまでになっている。

明治維新後、能楽は庇護者を失い極端に衰微した。この低迷の中で、鷺流は没落し、大蔵、和泉両流派の家元も断絶した。現在まで存続して活躍しているのは、大蔵、和泉の弟子方狂言師四派である。

狂言は長らく能の付属物のような地位に甘んじてきたが、昭和も戦後になって、ようやく伝統芸能としての価値が認められるようになり、今日では能と並んで能楽を構成する伝統芸能としての地位を確立するまでに至っている。


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