日本語と日本文化


明恵と慈円:西行を読む


西行は、自分の手では歌論らしきものを残していないが、彼と触れ合いのあった人々が、その一端に触れているものはある。たとえば、伊勢神社の神官で、西行の歌の弟子となった荒木田満良が蓮阿という名で紹介しているものなどである。ここでは、西行の晩年の歌境に触れているものとして、明恵と慈円を紹介しよう。

明恵は、神護寺の高僧として知られ、その肖像画がいまも伝わっている。西行よりは五十歳も年下で、孫の世代といってもよい。西行が神護寺に文覚上人を尋ねたさいに、そこに同席していたとする見方もあるが、明恵の弟子喜海のあらわした「明恵上人行上記」には、それについての記述は見られないので、あまり信憑性はないとも考えられる。とはいえ、明恵は十六歳で神護寺に入っているから、老年の西行が会っていても不思議ではない。実際、喜海の別の著作「栂尾明恵上人伝記」には、若い明恵と西行とが、歌をめぐって議論するさまが記されている。以下の文がそれである。

「西行法師常に来りて物語して云はく、我歌を読むは、遙かに尋常に異なり。 華、郭公、月、雪 都て万物の興に向ひいても、凡そ所有相皆是虚妄なること眼に遮り耳に満てり。 又読み出す所の言句は皆是真言にあらずや。華を読むとも実に華と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず只此の如くして、縁に随ひ興に随ひ読み置く処なり。紅虹たなびけば虚空いろどれるに似たり。白日かゞ やけば虚空明かなるに似たり。然れども虚空は本明かなるものにあらず、又色どれるにもあらず。我又此の虚空の如くなる心の上にをいて,種々の風情を色どると雖も、さらに蹤跡なし。此の歌即ち是れ如来の真の形体なり。されば一首読み出ては一体の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ。我れ此の歌によりて法を得ることあり。若しこゝに至らずして、妄りに此の道を学ばゝ邪路に入るべし と云々。さて読みける 
  山ふかくさこそ心はかよふともすまであはれは知らんものかは
喜海、其の座の末に在りて聞き及びしまま、之を注す」

文のなかで引用されている歌は、西行の家集には見えないから、喜海が勝手に作ったものかもしれない。また、文章の中で触れられている西行の考え方が、華厳経を踏まえたものであることから、華厳経の信奉者であった明恵の思想を反映したものと考えられなくはない。これが西行の思想をストレートに語ったものなのかどうか、疑問の余地はあるのだが、それを一応脇へ置いて、そこに語られているものを見ると、次のようになるだろう。

花とか月とかを詠むとき、それらの景物自体は虚妄でしかない、だがそれらを詠んだ歌の言葉は真言である。信仰の厚さが、歌の言葉を真言にするからだ。つまり、歌において、信仰と美とが一致するのである。そのわけは、世界の万物は毘盧遮那仏が顕現したものであり、すべての微小なものにも全世界が反映されており、したがって歌で読まれた景物もそうしたものとして、全世界を反映している。それが美しくないわけはない。一即一切、一切即一、というのが華厳経の教えであるが、それは西行のいう信仰と美との一致にもあてはまるわけである。こう考えれば、西行晩年の歌境が華厳経の世界に通じていたと考えられないでもないが、それはあくまで、華厳経の信奉者の目から見た、一方的な見方なのかもしれぬ。

慈円も西行よりずっと若く、四十年近い年の差があるが、西行はその差を気にせず、若い慈円と親しくしていたようである。その慈円が比叡山の無動寺にいたときに、西行がたずねてゆき、歌のやりとりをした。その折のことを慈円が、後に「捨玉集」の中で記している。
「円位上人無動寺へ登りて、大乗院の放出に湖を見やりて
  にほてるやなぎたる朝に見わたせば漕ぎゆく跡の浪だにもなし
帰りなんとて、朝のことにてほどもありしに、今は歌と申すことは思ひ絶えたれど、結句をばここにてこそつかうまつるべかりけれ、とてよみたりしかば、ただに過ぎがたくて和し侍りし 
  ほのぼのとあふみの海を漕ぐ舟の跡なきかたにゆく心かな

西行と慈円が比叡山の上から琵琶湖を見下ろし、過ぎ去ってゆく舟の行方を眼で追う。西行は、舟が波もたてずに静かに過ぎ去ってゆくさまに無常を感じているように思える。その無常は、この世のはかなさを感じさせるとともに、舟が向かってゆくさきの極楽浄土を思い起こさせる。そんな西行の気持に感応した形で慈円も歌を詠んだ。慈円もまた、舟が静かに向かって行く先に心を馳せているが、それもやはり極楽浄土を思わせる。慈円は天台僧として、浄土思想にも馴染んでいただろうから、極楽浄土を夢想するのは不自然ではない。

以上二つの文章を読み比べると、一方は華厳経の一切即一の思想によって西行の歌を読み解こうとし、他方は浄土思想によって西行の歌を読み解こうとしているように見える。どちらが西行の真の姿に近いのか、このささやかなエピソードからはなんとも判断がつかない。




  
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