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法華経:西行を読む


「山家集」には、法華経を読んでの感想を詠んだ歌が十数首収められている。このほか「聞書集」には、「法華経廿八品」と題して、法華経二十八品のそれぞれすべてに対応する歌が収められている。これらはみな西行の若い頃に詠んだものと考えられる。待賢門院の落飾を祝うために、若い西行が法華経の書写を有力者に求めたことが藤原頼長の日記「台記」にあるし、また西行が出家して最初に修行のためにこもった鞍馬寺が、延暦寺の末寺として法華経を講じていたらしいことなどから、若い頃の西行が法華経に強い関心を持っていたことは十分に考えられる。法華経を詠んだ以上の一連の歌は、そうした境地から生み出されたのであろう。

「山家集」に収められた法華経関係の歌は、気にいったものをアトランダムに並べたという印象が強い。「はかなくなりにける人の跡に、五十日のうちに一品経供養しけるに」といった詞書が見られるところから、折に触れて詠んだ歌を無造作に並べたという印象を受ける。それに対して「聞書集」に収められた一連の歌は、明確なコンセプトに従って、体系的なものとして詠まれたという印象が伝わってくる。法華経二十八品すべてについて、それぞれ印象深い経文を引用した上で、それについての西行の感想を歌にしている。

ここでは、「聞書集」所収の法華経関係の歌から、いくつか取り上げてみたいと思う。

     序品
   曼珠沙華 栴檀香風
  つぼむよりなべてにも似ぬ花なれば梢にかねて薫る春風(聞1)
「序品」は、法華経全体の総論のようなもので、法華経の功徳を説く。引用されている部分は、弥勒菩薩が釈迦の奇瑞を曼珠沙華に喩えている言葉だ。それを西行は、仏の功徳は蕾のときから春風に乗って香ってくる花のようなものだと詠っているわけである。歌としてはたいした特徴は感じられないが、法華経の功徳を言い顕すには十分かもしれない。

     方便品
   諸仏世尊唯以一大事因縁故出現於世
  天の原雲吹き払ふ風なくは出でてややまむ山の端の月(聞2)
方便品第二は、十方仏土の中にただ一つの教えがあり、それが法華経だと教えるものである。引用部分は、「諸の仏・世尊は、唯、一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまふ」と読み、仏が出現したのは、衆生に仏の智恵を教えるためだという意味である。これを西行は、衆生の迷妄を吹き払う仏の智恵の風がなければ、真如の月も山の端にとまったまま悟りをもたらさない、と詠んだわけである。

     譬喩品
   今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子
  乳もなくていはけなき身のあはれみはこの法見てぞ思ひ知らるる(聞3)
譬喩品第三は、有名な三界火宅の比喩が出てくるように、比喩を通じて仏の智恵を教えるものである。引用の部分は、釈迦が述べた偈の一節。三界とは衆生が生死輪廻する迷いに充ちた世界のことを指す。西行は、そんな世界に生きている人を、乳飲み子にたとえ、そのあわれさは、法華経を読んであらためて思い知らされるというわけである。

     提婆品
   我献宝珠 世尊納受
  今ぞ知るたぶさの玉を得しことは心を磨く譬へなりけり(聞13)
提婆品第十二は、「提婆達多品」といい、悪人成仏と女人成仏を説く。引用部分は、龍女が仏に宝珠をささげたことで成仏できたと語る偈の一節。西行は、なぜか、宝珠を献上した龍女ではなく、それを収めた仏の立場に立って、こうして仏が女から玉を納受したことは、女の心を磨くことの譬えなのだといっているわけである。

     勧持品 
   我不愛身命 但惜無上道
  根を離れ繋がぬ舟を思ひ知れば乗り得むことぞうれしかるべき(聞14)
勧持品第十三は、法華経の教えを信じる人は、己の身命を惜しまずに教えを広める覚悟を持たねばならないと説く。引用の部分は、その不惜身命の決意を表明した言葉である。西行は、その教えを舟にたとえ、それに乗り得ることの喜びを詠う。大乗の教えを西行なりに語っているところだと思う。


     不軽品
   億々万劫 至不可思議 時乃得聞 是法華経
  万世を衣の岩に畳み上げてありがたくてぞ法は聞きける
不軽品第二十は、「常不軽菩薩品」といい、常不軽菩薩の教えを説いたものだ。常不軽菩薩は、その名(常に人を軽んぜず)のとおり、どんな人でも仏性があるとして軽んじることなく礼拝した。引用部分は、常不軽菩薩のありがたさを説く偈の一節。西行は、法のありがたさを賛嘆するばかりで、常不軽菩薩が自分に向かっても礼拝しているに違いないことの意味合いまでは思っていないようだ。

以上を見た限り、西行が法華経のありがたさを心から信じているらしいことは伝わってくるが、どこまで法華経の内容を理解していたかまでは、どうも伝わってこないようである。


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