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たはぶれ歌:西行を読む


「聞書集」に、「嵯峨に住みけるに、戯れ歌とて人々よみけるを」という詞書を添えて十三首の歌が載せられている。子どもの遊びを詠ったもので、年老いた西行の子どもに寄せる視線が新鮮に感じられるものだ。今日の我々にもストレートに訴えかけるものがある。寂聴尼は、西行が二度目の陸奥への旅から帰り、最後の住処としての弘川寺に移るまでのある時期に嵯峨に住んだと推測しているが、西行最晩年の作に違いないと思われる。

日本の文学的伝統には、良寛や一茶のように子どもに暖かい視線を向ける流れがあり、また一休伝説のように子どもを主人公にした話が多くあるが、西行のこの戯れ歌は、そうした伝統の先駆をなすものとも言ってよいだろう。子どもへの視線は西行独自のものではなく、ほぼ同時代になった「梁塵秘抄」には、「遊びをせむとや生まれけん」といった子どもの遊びをうたったものがあるなど、日本の文芸に特徴的なことだったとも言える。その点は、子どもが子どもらしく扱われていないとされる西洋の文化的伝統とは大いに趣を異とするわけだ(もっともイギリスにはナーサリーライム、フランスにはシャンソンといった、子守唄の伝統はあるが)。いずれにしても西行には、日本人が子どもに寄せる視線を代表するようなところがある。

ここでは、十三首のなかからいくつか取り上げて、西行の視線の先を眺めてみよう。
  うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声におどろく夏の昼ぶし(聞165)
小さな子がいたずらで鳴らす麦笛の声に驚いて、昼寝から覚めてしまった、と詠ったもの。西行はおそらく家の奥で夏の暑さを避けて昼寝をしていたのだろう。そこを小さな子どもたちが庭先で遊びながら麦笛を吹いた。その音で眼がさめてしまった、しかしそのことをとがめるわけでもない、といった長閑な光景が浮かんでくるような歌である。

  昔かな炒粉かけとかせしことよ衵の袖を玉襷して(聞166)
これは、子どもの遊び、おそらくままごとのようなものを見て、自分の幼い頃を思い出した歌だろう。幼い西行が、男の子の徴である衵の袖に、女のする玉襷をかけて、泥でつくった饅頭に炒粉をまぶしてと、おそらく女の子に向かって叫んでいる昔の自分を思い出しているのだろう。

  竹馬を杖にもけふは頼むかな童遊びを思ひ出でつつ(聞167)
これは幼い頃に乗って遊んだ竹馬が、年老いた今では杖の役目を果たすと詠んだもので、自分が年をとってしまったことを、昔を思い出しながら、感慨をもって受け止めているのであろう。

  昔せし隠れ遊びになりなばや片隅もとに寄り伏せりつつ(聞168)
これは昔よく遊んだかくれんぼを思い出した歌だ。こうやって家の片隅に寝転がっていると、まるでかくれんぼをしているような気がする、と詠ったものだ。おそらく子どもらがかくれんぼをして遊んでいるのを見て、自分も子どもの頃に帰りたいと思ったのだろう。

  篠ためて雀弓張る男の童額烏帽子のほしげなるかな(聞169)
これは男の子らしい弓矢遊びを見ての感想だろう。男の子が雀を射るための弓を張っている、その姿に我ながら見とれて、できたら本物の武士らしく、烏帽子をかぶってみたいとその男の子は思っているに違いない、自分でもそう思うに違いなから。そんな感想をこめた歌だ。

  いたきかな菖蒲冠の茅巻馬はうなゐ童のしわざと見えて(聞172)
いたきかな、とは素晴らしいという意味。小さな男の子が作った菖蒲冠の茅巻馬のできばえが素晴らしいと歌ったものだ。茅巻馬とは、茅などを巻いて馬の形にしたおもちゃのことだ。

  恋しきを戯れられしそのかみのいはけなかりし折の心は(聞174)
まだ幼かった昔、恋しい思いをうちあけた相手の女の子から、冗談として聞き流されて切ない思いをした、という幼年時代の女性への慕情を甘酸っぱくうたったもので、西行が幼い頃から色好みであったことを伺わせるものである。


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