日本語と日本文化


狂言「成上がり」


狂言「成上がり」は、短いながらなかなかウィットに富んだ作品である。主人の供をして清水に参詣した太郎冠者が、通夜で寝ている間に、抱いていた主人の太刀をすっぱに抜きとられ、その代わりに竹杖を持たされてしまうのだが、それを何とかして言い逃れするために、主人に言葉遊びを仕掛けるというものだ。

太郎冠者は、世の中にはつまらぬものが立派なものに変じる成り上がりの例がたくさんあることを紹介し、主人が納得したところを見計らって、今まで持っていた太刀が竹杖に変じたと言いくるめにかかる。だが主人は納得せずに太郎冠者を責める。そのやりとりが何とも面白い。

これから紹介する大蔵流の山本東本では、太郎冠者が言訳をとがめられて主人に怒られる場面で終わるが、和泉流ではその後、主人と太郎冠者がすっぱを捕らえ、さんざん打擲する場面が加わっている。それでも二人は、最期にはすっぱに逃げられてしまうという点で、間抜けな主従であることには変わりは無い。

舞台には、主人と太郎冠者が現れる。主人は、今宵は清水の縁日であるから参詣しようといい、太郎冠者にも供をするように言いつける。(以下テクストは「山本東本」から引用)

主「これはこのあたりに住まい致す者でござる。今日は清水の御縁日でござるによって、参詣致さうと存ずる。まず太郎冠者を呼び出だいて、供を申し付きやう。ヤイヤイ太郎冠者、あるかやい。
太郎冠者「ハアー。
主「ゐたか。
太郎冠者「お前にをりまする。
主「念無う早かった。汝を呼び出だすは別なることでもない。けふは清水の御縁日じゃによって、参詣しやうと思ふが何とあらうぞ。
太郎冠者「これは一段とようござりませう。
主「それならば汝は太刀を持って供をせい。
太郎冠者「畏まってござる。御太刀を持ちましてござる。
主「何と、持ったか。
太郎冠者「なかなか。
主「それならばおっつけて行かう。
太郎冠者「それがようござりませう。

太郎冠者は主人の太刀を大事そうに抱えて、清水まで供をする。清水の境内は参詣の客で大賑わいである。

主「サアサア来い。
太郎冠者「参りまする。
主「さてけふは天気もよいによって、さだめてにぎやかであらうぞ。
太郎冠者「仰せらるるとほり一段の天気でござるによって、さぞにぎやかでござりませう。
主「また戻りにはゆるりと慰うで戻らうぞ。
太郎冠者「それがようござりませう。
主「イヤ何かといふうちにはや清水へ参った。
太郎冠者「まことに清水でござる。
主「汝もこれへ寄って拝め。
太郎冠者「畏まってござる。
主「さていつ参ってもしんしんとした殊勝なお前ではないか。
太郎冠者「まことにしんしんと到いた殊勝なお前でござる。
主「さて今夜は通夜をするほどに、汝もそれへ寄って休め。
太郎冠者「心得ました。
主「夜が明けたならば早う起せ。
太郎冠者「畏まってござる。
主「エーイ。
太郎冠者「ハアー。

主人からここで通夜をするから、どこか適当な場所を探して寝ろといわれ、太郎冠者は、太刀を抱いて眠りにかかる。

太郎冠者「さてもさてもいつもとは申しながら、今夜も大参りでござる。さらば某もこのあたりに休まう。

そこへすっぱ(すり)が現れ、なにかよい獲物はないかとあたりを物色する。太刀を抱いて寝ている姿を見つけたすっぱは、その太刀が立派なのでこれを調義してやろうとするが、はじめのうちはうまくいかない。太郎冠者がしっかり抱えているからだ。そこで竹杖を見つけてきて、これを太刀のかわりに抱かせる。

すっぱ「まかり出でたる者はこのあたりに住まひ致す者でござる。今日は清水の御縁日でござるによって、あれへ参り、何ぞよい物もあらば調義致さうと存ずる。まずそろりそろりと参らう。イヤまことに、今日は天気もようござるによって、さだめてにぎやかでござらう、何ぞ仕合せのないと申すことはござるまい、イヤあれへ何者やらよい太刀を持って余念もなう寝てゐる。さらばこれを調義致さう。のうのううれしやうれしや、一段の仕合せを致いてござる。急いで参らう。今日は一段の仕合せを致いてござる。うれしやうれしや。

眼が覚めた太郎冠者は、いつの間にか太刀が竹杖に変わっているのを見て、大いにうろたえる。

太郎冠者「ア、アア、よう寝た。見れば夜が明けた。さらば頼うだ人を起さう。ヤ、これはいかなこと。みどもは頼うだ人の太刀を持ってゐたはずじゃが、いつのまにやらこのやうな杖竹になった。さてさて苦々しいことじゃ。何と致さう。イヤそれそれ致しやうがござる。

ここで太郎冠者は、なんとかして言い逃れをして、主人の怒りをかわそうと決心する。

太郎冠者「申し申し。
主「何事じゃ。
太郎冠者「世が明けましてござる。
主「まことに夜が明けた。さらば下向しやう。
太郎冠者「ようござりませう。
主「サアサア来い来い。
太郎冠者「参りまする参りまする。

それでも太郎冠者は、いままでのことはもしや夢ではないかと疑い、自分の持っている物を確かめるが、竹杖が太刀になることはない。

太郎冠者「さてさて苦々しいことじゃ。まだお太刀に成らぬか。

太刀が竹杖になったことにまだ気づかない主人は、太郎冠者に向かってなにか珍しいことはなかったかと問いかける。そこで太郎冠者はさっそく、ものが変じて別のよいものに成り上がる例を色々と話し出す。

主「さていつもとはいひながら、夜前は大参りであったなあ。太郎冠者、太郎冠者。
太郎冠者「何事でござる。
主「大参りであったではないか。
太郎冠者「まことに大参りでござった。
主「あの大参りの中で何も珍しい話はなかったか。
太郎冠者「さればそのことでござる。私の居ましたあたりで色々の雑談を申してござる。なかにも物の成り上がると申す話を致いてござるが、聞かせられてござるか。
主「イヤイヤみどもは聞かぬが、それは何といふ話じゃ。言ふて聞かせい。
太郎冠者「世間で嫁が姑に成るは早いものじゃと申してござる。
主「それは年寄れば姑に成らいで叶はぬものじゃ。何ぞ珍しい話はないか。
太郎冠者「またえのころが親犬になるも早いと申してござる。
主「それも次第送りといふて親犬にならいで叶はぬものじゃ。珍しい話はないか。
太郎冠者「渋柿が熟致いて甘うなると申してござる。
主「さてさてむさとした。これも熟すれば甘うならいで叶はぬものじゃ。

太郎冠者のいう成り上がりは、次第送りといって別に珍しくもないと主人は言う。太郎冠者は主人を言いくるめることができないで次第にあせる。

主「サアサア来い来い
太郎冠者「参りまする参りまする

そこで太郎冠者は思い切って、ほら話にちかいことを言い出す。

主「何ぞ珍しい話はないか。太郎冠者、ヤイ何をしてゐる。ほかに珍しい話はないかといふことじゃ。
太郎冠者「まだ何やらござったが。それそれ山の芋が鰻になるとは定じゃと申してござる。
主「某もさうと聞いたれども、これは合点のいかぬことじゃ。
太郎冠者「イヤイヤこれは真実なると申しまする。そのなり様は四五月のころ、雨の長う降り続いて、えて山の崩るるものでござるが、その崩れたる間より山の芋がちょっと現れ、下の谷へこけ落ち、これが鰻になると申してござる。
主「いかさまこれはなるまいでもない。ほかに珍しい話はないか。
太郎冠者「また田辺の別当のくちなは太刀と申すことを話いてござるが、聞かせられてござるか。
主「イヤ何とも聞かぬが、いかやうなことじゃ。
太郎冠者「まづ田辺の別当は大有徳な人でござるが、別当の太刀は名作物で、余の人にはくちなはと見え、すは盗人とも申さば、おのれと抜け出で、盗人を追ひ走らかすと申しまするが、何と奇特なことではござらぬか。
主「まことにこれは奇特なことじゃ。

太郎冠者の奇想天外な話に主人はすっかり感心するが、そこのところを狙って太郎冠者はすかさず、主人の立ちもこのとおり竹杖に成り上がりましたといって、竹杖を見せる。

太郎冠者「総じて人の立身出世致す時分は、えていろいろの物が成り上がると申しまするが、こなたにもちとめでたいことがござる。
主「それはいかようなことじゃ。
太郎冠者「おっつけ御加増を取らせられ、クワっと御立身をなされう御瑞相に、ちと物が変じて成り上がりましてござる。
主「何が。
太郎冠者「こなたのお太刀が変じてこのやうな竹杖に成り上がりました。
主「アノやくたいなし、しさりをれ。
太郎冠者「ハアー。
主「エーイ。
太郎冠者「ハアー。

無論主人が納得するわけはないから、太郎冠者はさんざん責められることになるのだが、和泉流の狂言ではこの後に、主従が協力してすっぱを捕らえる。

首尾よく捕らえたすっぱを、主人は背後から羽交い絞めにし、太郎冠者に縄をかけるよう命じる。だが太郎冠者は手元が来るって、すっぱを羽交い絞めにした主人に縄をかけてしまうのだ。


    


HOME能楽の世界

  
.
検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2010
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである