日本語と日本文化


狂言「棒縛り」:狂言記より


狂言記は徳川時代の初期に刊行された狂言の絵入台本集である。万治3年(1660)に正篇、元禄13年(1700)に外篇と続篇、享保5年(1730)に拾遺篇が刊行されている。それぞれ50曲づつ、計200曲からなる。

これらの台本を現行の諸流派のものと比較すると、かなりの異同がある。またすでに滅びた鷺流のものとも異同があるとされる。現行流派の台本自体、徳川時代の初期からすれば大分変化しているといわれるから無理はないが、狂言記の台本はもともと、三流派の狂言とは異なったものから取られたらしいのである。

徳川時代の初期まで、狂言界には三流派とは別に、群小の流派が併存し、狂言記はそれらに伝わっていた台本から素材を得たらしい。群小の流派は、京都や大和を中心に活動していたもののようである。

200曲の内訳をみると、殆どは諸流と共通する内容である。なかには、狂言記のみにあって、他の流派にないものがいくつか含まれているが、全体からすれば、割合は小さい。このことから、狂言は、徳川時代初期には、ほぼ今日に伝わる姿ができあがっていたと考えられる。

狂言記は、読み物として刊行されたものであるが、これをもとに演技をしても十分狂言の雰囲気を演出できる。実際に台本として用いられていた背景があるからではないか。

ここでは、拾遺篇にある「棒縛り」をとりあげて、狂言記の世界をのぞいてみたい。(この曲は、現行の諸流派もレパートリーに含めている)


「棒縛り」は自分の留守中に下人が酒を盗んで飲めないようにするため一計を案ずるというもので、まんまと二人の下人を騙して縛り上げてしまうが、下人の方も、酒が飲みたい余りに百計を案じだし、縛られたままの不自由な姿勢で酒を盗み飲むという、知恵比べの喜劇である。

下人たちが、縛られたまま酒を飲む仕草がなんとも滑稽であり、観客を爆笑に導く。現行諸流派の演目でも人気曲のひとつとなっている。

舞台にはまづ、主人と太郎冠者が現れ、次郎冠者が酒を盗んで飲めないようにするため、棒縛りにしてしまおうと計略を練るところから始まる。

主 「罷出たる者は此当りに住居致す者でござる。それがし今日は去方へ用事有て参る。それにつき、身どもの遣ふ両人の者共が、留主になれば酒を盗ふで食ろふ。憎い事で御座る。今日は思案の致した事がござる。酒を得飲まぬやうに致しやうがござる。やい、太郎冠者有か。」
太 「はあ、御前におります。」
主 「汝を呼び出す事、別の事でない。今日は去方へ参る程に、よふ留主をせい。」
太 「畏てござる。」
主 「それにつき、留主になれば次郎冠者が酒を盗ふで飲むと聞いた。何とぞして飲まぬやうに異見のせふと思ふが何とあろふ。」
太 「さればで御座る、御留主になれば酒を食べます。私がいろ異見致せど聞きませぬ。身共の存ますは、きやつが頃日棒を稽古致して遣ます程に、唯今これへ呼び出し棒をつかはしてみさせられ、すきを見て棒縛りになされましたら、 よふござりましよ。」
主 「是はよひ事を思ひ寄つた。それなら両人して捕ゑ棒縛りに致そふ。呼び出せ。」
太 「畏てござる。」
主 「かならずぬかるな。」
太 「心得ました。やい次郎冠者、召すは。」

シテの次郎冠者が現れると、二人は次郎冠者をおだてて棒の芸をさせ、隙をみて次郎冠者の両手を棒にくくりつけてしまう。長い棒を首の後ろで横にのばし、その先端に両手を縛りつける訳である。

次郎冠者を騙した太郎冠者のほうも、主人によって後ろ手に縛られ、二人は不自由な姿勢で留守番をするよう命じられる。

シテ 「何と、召すか。心得た。はあ、御前におります。」
主 「早かつた。汝を呼び出す事、別の事でない。今日は去方へ用事有て参る。よふ留主をせい。」
シテ 「畏てござる。御留主は気づかひなされますな。たとへ五人や七人盗人が参つたと申て、私壱人しても防ぎますぞ。」
主 「それは頼もしい。それにつき、頃日聞けば汝は棒を遺ふと聞いた。いつの間に稽古した。少、見たい程に遣ふて見せい。」
シテ 「いや、それは思ひも寄りませぬ。棒を遺ふ事は存ませぬ。」
太 「いや是、隠すな。頼ふだ御方によふ御存知じや。」
シテ 「扨は汝が申上げた物であろふ。私も遣ますと申程の事ではござりませぬ。此中少稽古致しました、遣ふて御目にかけましよ。」
主 「いかにもよかろ。遺ふて見せい」
シテ 「畏て御ざる。先此棒と申物がかふ持て出ますから、はや心得が御ざる。先から打て参るを、かふ致して止めます。扨向かふの者が引ます。すぐに取直し、かふ致して、これで胸を突きます。」
主 「尤よい手じや。」
シテ 「また夜道と申が無用心な物でござる。其時には後から打て参るも知れませぬによつて、とかく後を用心致して此ごとくにして参れば、先後の分に気遣はござらぬ。」
主 「太郎冠者、ぬかるな。」
太 「心得ました。餓鬼め。」
シテ 「これは何とする。」
主 「をのれは憎いやつの、よふ留主には酒を盗ふで飲みおる。かふしておいたがよい。」
太 「扨もよいなりの。」
シテ 「そちは聞こへぬ者じや。よふだました。」
主 「どつこい、をのれもやる事ではないぞ。」
太 「私は何も存ませぬ。」
主 「をのれも一所になつて酒を飲みおつて、存ませぬとは。さあまづ是でよい。其なりで二人共によふ留主せい。」
二人 「是では留主はなりますまい、盗人が入つたらどうもなりますまい。解いてをかせられ。」
主 「いや、そのなりで防げ。よふ留守せい。」

縛られた二人は目の前におかれた酒を飲みたくて仕方がない。そこで知恵を絞ったあげく、まず棒縛りになった次郎冠者が、棒と体を傾けて、括られた手先で甕の蓋をはずし、柄杓で酒をくんで太郎冠者に飲ませる。

一方次郎冠者は、太郎冠者の後ろ手に縛られた手先に柄杓をもたせ、そこに自分の口を近づけて酒を飲む。

二人 「申し。これ、是はいかな事、はやどちやらござつた。」
シテ 「やい、是は何とも迷惑な事じやな。」
太 「されば、みな是は汝が酒を飲ふだゆへじや。」
シテ 「それは汝も同じ事じや。やあ、何と思ふぞ、此やうにしていれば、いつもより取分酒が飲みたいなあ。」
太 「なか、身どもも其通りじや。何とぞ蓋を開け汲みさへしたら飲もふが。やあ、見れば、そちが手先が叶ふは。蓋を取れ。」
シテ 「誠に身共はまだ手先は叶ふ。蓋を取ろふか。さあ、まんまと蓋を取つたは。汲もふか。これに盃が有。汲んで先身どもが飲もふ。これはいかな事。飲もふと思ふても口が届かぬ。気の毒な。何とせふなあ。」
太 「やあ、思ひ付た。先それは身共に飲ませ。」
シテ 「心得た、さあ飲め。」
太 「飲ふだは。扨も此体で飲めばいつより別而むまい事じや。どうぞして、そちにも飲ましたいが。思ひ付けた。又酒を汲んで身どもに持たせ。」
シテ 「心得た。さあ持て。」
太 「持つたぞ。これへ寄つて飲め。」
シテ 「まことにこれでは飲まるゝは。飲むぞ。扨もむまい事かな。またそちに差そふ。先ちと下にいて謡はふ。」
太 「一段よかろ。」んざあ。」

酔ってすっかりいい気分になった二人は、小舞を舞って浮かれ騒ぎ、次第にエスカレートする。

シテ 「扨も、おもしろい。さあ、又身共食べふ。もはや一息には飲まれぬ。下に置かふ。やい太郎冠者、受け持つた。肴に何ぞ小舞を舞へ。」
太 「いや、此なりでは舞われぬ。」
シテ 「どふなりと心持ち斗舞へ」
太 「それなら何も慰みじや。舞はふ (小舞)番匠屋の娘子の、召たりや帷子、肩にかんな箱、腰に小のみ小手斧、さいづちやのこぎり、忘れたりや墨差、裾にかんな屑吹きや散らした、ぱつと散らした、お方に名残が惜しけれどよ、浦浜の手操舟が急ぐ程にの、やがて来ふぞほい。」
シテ 「ゑいやあ。」
二人 「ざゞんざあ浜松の音はざゞんざあ。」
シテ 「さあ、またわごりよ飲め。先ゆるりと飲ましめ。」
太 「やい次郎冠者、身共も受け持つた。肴に舞を舞へ。」
シテ 「それなら、いまの返しに舞はふか」
太 「よかろ。舞へ。」
シテ 「(小舞)十七八は、竿に干した細布。取りよりやいとし、たぐりよりやいとし。糸より細い腰をしむればい(三つ拍子ありて、)たんとなをいとし。」
太 「ゑいやあ。扨もおもしろい事かな。もはやいかふ酔ふたは。」
シテ 「さあ、先盃をまん中に置いて謡わふ。」
二人 「兵の交はり、頼み有中の酒宴かな 扨もおもしろい事かな。」

帰って来た主人は、二人が酒を盗み飲んで浮かれているのをみると、大いに怒る。二人は酒の杯に主人の顔が映っているのを、さんざんにからかい、いや増しに主人の怒りを煽る。

主 「両人の者共を留主において御ざる。何としておる存ぜぬ。急で帰らふ。是はいかな事、酒盛りの音がする。謡を謡ふ。あのごとくに縛つておいてもまだ酒を飲みをる。憎いやつかな。」
シテ 「やい、あれを見よ。頼ふだ人の影が盃の中へ映る。不思議な事の。身共の存るは、しわい人じやによつて、此やうに縛つておいてもまだ酒を盗んで飲むかと思はるゝ執心が是へ映る物であろ。」
太 「そふであろ。」
シテ 「いざ此様子を謡に謡はふ。」
太 「一段よかろ。」
シテ 「月は一つ影は二つ。」
二人 「満塩の夜の盃に主を乗せて主とも思はぬ内の者かな。」
主 「何じや、主とも思はぬ。餓鬼め、やるまいぞ。」
太 「あゝ、許させられ。」
主 「をのれまだそこにをるか。」
シテ 「あゝ、許させられ。」
主 「やるまひぞ。」

一部仮名遣いが不正確であったりするが、作品の雰囲気は十分に伝わってくる。


    


HOME能楽の世界狂言

  
.
検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである