日本語と日本文化


能「西行桜」


能「西行桜」は世阿弥の傑作のひとつである。西行の歌に着想を得て、歌人と花の精との即妙なやりとりを描きながら、桜の花の持つ濃艶な雰囲気をかもし出している。

花の精を主題にしたものには他に、「藤」、「梅」、「杜若」などがある。これらの作品をはじめ、花の精といえば女性の形をとるのが普通だ。ところがこの作品では、桜の花の精は老翁の姿をとって現れる。

筋といえるようなものはない。京の西山に住む西行の庵に桜の古木があって、その花を目当てに人が集まってくるが、西行にはそれがうっとうしい。そこで「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」と詠んだところ、西行の夢枕に桜の精があらわれ、先ほどの歌の趣旨を問いただす。

そして西行に向かって、桜は非情無心の草木であるから浮世の咎とは縁がないのだという。

それでも老翁の姿をとった桜の精は、歌聖西行と出会えたことを喜び、桜の花を讃えながら舞う。やがて夜の白む頃、桜は西行に別れを告げて消えていき、西行の夢も覚める。

西行はいうまでもなく、桜をこよなく愛し、吉野の桜を始め、桜の歌を多く作った。それまで単に花といえば、梅をさすことが多かったのに対し、西行以降桜をさすようになったほど、桜と西行とは縁が深い。有名な「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」の歌にある花も、桜をさしているのである。

まず舞台には、桜の古木をイメージした作り物がすえられる。桜の精であるシテがその中にあらかじめ入っていて、後半そこから出てくる演出である。ついでワキの西行があらわれてそのままワキ座につき、狂言を相手に、庵の中には誰も入れるなと命ずる。

そのあと都のものに扮するワキツレ三名が現れ、名乗りを上げる。彼らは西行の庵に咲く桜の花を見るため、わざわざ都から足を運んできたのである。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキツレ三人次第「頃待ち得たる桜狩。頃待ち得たる桜狩。山路の春に急がん。
ワキツレ詞「かやうに候ふ者は。下京辺に住居仕る者にて候。さても我春になり候へば。こゝかしこの花をながめ。さながら山野に日を送り候。 昨日は東山
地主の桜を一見仕りて候。今日はまた西山西行の庵室の花。盛なるよし承り及び候ふ程に。花見の人々を伴ひ。唯今西山西行の庵室へと急ぎ候。
道行三人「百千鳥。囀る春は物毎に。囀る春は物毎に。あらたまりゆく日数経て。頃も弥生の。空なれや。やよ止まりて花の友。知るも知らぬも諸共に。誰も花なる。心かな誰も花なる心かな。

一行は西行の庵に着くと、狂言に対して是非中に入れて桜の花を見せてくれと頼むが、狂言は先ほど誰も入れるなといわれている手前、改めて主人の意向を聞いてまいるといって、西行の下にいく。

ワキツレ詞「急ぎ候ふ程に。これははや西行の庵室に着きて候。暫く皆々御待ち候へ。某案内を申さうずるにて候。いかに案内申し候。
狂言「誰にて渡り候ふぞ。
ワキツレ「さん候これは都方の者にて候ふが。此御庵室の花。盛なる由承り及び。遥々これまで参りて候。そと御見せ候へ。
狂言「易き間の御事にて候へども。禁制にて候さりながら。御機嫌を見てそと申して見うずるにて候。暫く御待ち候へ。
男「心得申し候。

西行は都からわざわざ桜を見に来たものの事を聞いて、つれなく追い返すのもなんだと思い直し、中に入れることを許す。

ワキサシ「夫れ春の花は上求本来の梢にあらはれ。秋の月下化冥暗の水に宿る。誰か知る行く水に。三伏の夏もなく。澗底の松の風。一声の秋を催す事。草木国土。おのづから。見仏聞法の。結縁たり。
詞「さりながら四つの時にも勝れたるは花実の折なるべし。あら面白や候。
狂言「日本一の御機嫌にて候やがて申さう。如何に申し候。都より此御庭の花を見たき由申して。これ迄みな/\御いでにて候。
ワキ詞「何と都よりと申して。此庵室の花をながめん為に。これまで皆々来り給ふと申すか。
狂言「さん候。
ワキ「およそ洛陽の花盛。何処もと云ひながら。西行が庵室の花。花も一木我も独と見るものを。花ゆゑありかを知られん事いかゞなれども。これまで遥々来れる志を。見せではいかで帰すべき。あの柴垣の戸を開き内へ入れ候へ。
狂言「畏つて候。いかに方々へ申し候。よき御機嫌に申して候へば。見せ申せとの御事にて候ふほどに。いそいで此方へ御出で候へ。

許しを得て中に入った人々は桜の花を愛でながら風流を喜ぶ。それを見ていた西行は心の中に苦々しいものを感じて、「花見んと群れつつ人の来るのみぞ」の歌を詠じる。

ワキツレ「心得申し候。
ワキツレ三人「桜花咲きにけらしな足びきの。山のかひより見えしまゝ。此木の本に立ち寄れば。
ワキ「我は又心ことなる花の本に。飛花落葉を観じつゝ独り心を澄ますところに。
ワキツレ「貴賎群集の色々に。心の花も盛にて。
ワキ「昔の春にかへる有様。
ワキツレ「かくれ所の山といへども。
ワキ「さながら花の。
ワキツレ「都なれば。
地歌「捨人も。花には何と隠家の。花には何と隠家の。処は嵯峨の奥なれども。春には訪はれて山までも浮世の嵯峨になるものを。実にや捨てゝだに。此世の外はなきものを何くか終の。住家なる何くか終の住家なる。
ワキ詞「いかに面々。是まで遥々来り給ふ志。返す返すも優しうこそ候へさりながら。捨てゝ住む世の友とては。花独なる木の本に。身には待たれぬ花の友。少し心の外なれば。花見んと群れつゝ人の来るのみぞ。あたら桜の。とがには有りける。
地「あたら桜の蔭暮れて。月になる夜の木の本に。家路忘れて諸共に。今宵は花の下臥して。夜と共にながめ明かさん。

人々が去ったところで、前半が終わり、後半部分が始まる。通常の複式無限能のように、前シテがいったん中入りすることはなく、シテは作り物の中から現れる。

老翁の姿をしたシテは、西行に向かって、先ほどの歌の心を問いただす。

シテ「埋木の人知れぬ身と沈めども。心の花は残りけるぞや。花見んと群れつゝ人の来るのみぞ。あたら桜の。とがには有りける。
ワキ「不思議や朽ちたる花の空木より。白髪の老人現れて。
詞「西行が歌を詠ずる有様。さも不思議なる仁体なり。
シテ「これは夢中の翁なるが。いまの詠歌の心をなほも。たづねん為に来りたり。
ワキ「そもや夢中の翁とは。夢に来れる人なるべし。
詞「それにつきても唯今の。詠歌の心を尋ねんとは。歌に不審の有るやらん。シテ「いや上人の御歌に。何か不審の有るべきなれども。群れつゝ人の来るのみぞ。あたら桜のとがにはありける。
詞「さて桜のとがは何やらん。
ワキ「いやこれは唯浮世を厭ふ山住なるに。貴賎群集の厭はしき。心を少し詠ずるなり。
シテ「おそれながら此御意こそ。少し不審に候へとよ。浮世と見るも山と見るも。唯其人の心にあり。 非情無心の草木の。花に浮世のとがはあらじ。
ワキ「実に/\これは理なり。さて/\かやうに理をなす。おん身は如何さま花木の精か。
シテ「誠は花の精なるが。此身もともに老木の桜の。
ワキ「花物いはぬ草木なれども。
シテ「とがなき謂を木綿花の。
ワキ「影唇を。
シテ「動かすなり。
地「恥かしや老木の。花も少なく枝朽ちてあたら桜の。とがのなき由を申し開く花の。精にて候ふなり。およそ心なき草木も。花実の折は忘れめや。草木国土皆成仏の御法なるべし。

翁は、自分は西行の夢に現れた桜の精だと名乗り、桜の讃歌ともいうべき言葉を述べる。クセの部分は「居グセ」である。

シテ詞「有雑や上人の御値遇に引かれて。恵の露普く。花檻前に笑んで声いまだ聞かず。鳥林下に鳴いて涙尽き難し。
地クリ「夫れ朝に落花を踏んで相。伴なつて出づ。夕には飛鳥に随つて一時にかへる。
シテサシ「九重に咲けども花の八重桜。
地「幾代の春を重ぬらん。
シテ「然るに花の名高きは。
地「まづ初花を急ぐなる。近衛殿の糸桜。
クセ「見渡せば。柳桜をこき交ぜて。都は春の錦。燦爛たり。千本の桜を植ゑ置き其色を。所の名に見する。千本の花盛。雲路や雪に残るらん。毘沙門堂の花盛。四王天の栄花もこれにはいかで勝るべき。上なる黒谷。下河原。むかし遍昭僧正の。
シテ「浮世を厭ひし花頂山。
地「鷲の御山の花の色。枯れにし。鶴の林まで思ひ知られてあはれなり。清水
寺の地主の花松吹く風の音羽山。こゝはまた嵐山。戸無瀬に落つる。滝つ波までも。花は大井河。ゐせきに。雪やかゝるらん。
シテ「すはや数添ふ時の鼓。
地「後夜の鐘の音。響きぞ添ふ。
シテ詞「あら名残惜の夜遊やな。をしむべし/\。得難きは時。逢ひ難きは友なるべし。春宵一刻価千金。花に清香月に影。春の夜の。

序ノ舞(この作品の最大の見所で、太鼓を伴うことによって、桜のあでやかさを引き立てる演出がなされる)

ワカ「花の影より。明け初めて。
地「鐘をも待たぬ別こそあれ。別こそあれ。別こそあれ。
シテ「待てしばし待てしばし夜はまだ深きぞ。
地「白むは花の影なりけり。よそはまだ小倉の山陰にのこる夜桜の。花の枕の。
シテ「夢は覚めにけり。
地「夢は覚めにけり嵐も雪も散り敷くや。花を踏んでは同じく惜む少年の春の夜は明けにけりや翁さびて跡もなし翁さびて跡もなし。


    


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