日本語と日本文化


能「橋弁慶」:五条の橋の義経と弁慶


能「橋弁慶」は「安宅」や「船弁慶」とともに、義経・弁慶伝説に題材をとった作品である。通常の伝説では、五条の橋に夜な夜な現れて人を切るのは弁慶のほうであり、それを義経が退治したことが機縁になって、二人は主従として結ばれる。しかしこの話では役どころが逆転している。つまり五条の橋で人を切るのは義経ということになっており、それを弁慶が退治しに行くのである。

作品のなかで義経はまだ十二三歳の少年という設定になっている。しかもいでたちは女姿である。一方弁慶は屈強の僧兵であるから、この両者が戦うというのは、普通の想像力を超えた事態である。このアンバランスが、作品に一種の華やかさをもたらしている。

作者は不祥だが、日吉左阿弥という説もある。物語の進行を重視した現在物の作品である。

演能時間40分ほどの小品だが、二人の切りあいを軸にして、なかなかの迫力がある。本来もっと長かったものを、いまのような形に縮めたとも考えられる。シテの最初の台詞があまりにも唐突で、前段に母親との間での何らかのやりとりがあったことを予想させるからである。

観世流の「笛の段」という小書きでは、前シテに常盤御前がでてきて、牛若に説諭する場面がある。これがあるいは前半部分として、本来ついていたものなのかもしれない。

舞台にはシテの弁慶が従者を伴って登場する。弁慶は僧身で直面である。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

弁慶がこれから五条の天神へ行こうというと、従者がそれを思いとどまらせようとする。五条の橋には夜な夜な、年は幼いが恐ろしい者が現れて通行人を切り捨てているから危険だというのである。それを聞いた弁慶は、いったんは思いとどまろうとするが、面子にかけて退治してやろうとする気持ちになる。

シテ詞「これは西塔の傍に住む武蔵坊弁慶にて候。われ宿願の子細あつて。五条の天神へ。丑の時詣を仕り候。今日満参にて候ふ程に。唯今参らばやと存じ候。いかに誰かある。
トモ「御前に候。
シテ「五条の天神へ参らうずるにてあるぞ。その分心得候へ。
トモ「畏つて候。又申すべき事の候。昨日五条の橋を通り候ふ所に。十二三ばかりなる幼き者。小太刀にて斬つて廻り候ふは。さながら蝶鳥{てふとり}の如くなる由申し候。先々今夜の御物詣は。思し召し御止まりあれかしと存じ候。
シテ「言語道断の事を申す者かな。たとへば天魔鬼神なりとも。大勢には適ふまじ。おつとり込めて討たざらん。
トモ「おつとりこむれば不思議にはづれ。敵{かたき}を手元に寄せ付けず。
シテ「手近く寄れば。
トモ「目にも。
シテ「見えず。
地「神変{じんべん}奇特不思議なる。神変奇特不思議なる。化生{けしやう}の者に寄せ合はせ。かしこう御身討たすらん。都広しと申せども。これ程の者あらじ。げに奇特なる者かな。
シテ詞「さあらば今夜は思ひ止まらうずるにてあるぞ。いや弁慶ほどの者の。聞き遁げは無念なり。今夜夜更けば橋に行き。化生の者を平らげんと。
地上歌「夕程なく暮方の。夕程なく暮方の。雲の気色も引きかへて。風すさまじく更くる夜を。遅しとこそは待ち居たれ。遅しとこそは待ち居たれ。

中入早鼓間 弁慶らが中入りすると、二人の間狂言が現れて、五条の橋に夜な夜な幼いものが現れて、通りがかりのものを切りつけるという話をする。二人はあまりの恐ろしさに、早々に逃げ去っていく。

そこに、子方の牛若丸が女姿で登場する。一声が唐突に聞こえるのは、前述のような事情が隠されているからである。

子方一声「さても牛若は母の仰の重ければ。
詞「明けなぱ寺へのぼるべし。今宵ばかりの名残なれば。五条の橋に泣立ち出でて。川波添へて立ち待ちに。月の光を待つべしと。夕波の。気色はそれか夜嵐の。夕程なき秋の風。
地上歌「面白の気色やな。面白の気色やな。そゞろ浮き立つわが心。波も玉散る白露の。夕顔の花の色。五条の橋の橋板を。とゞろ/\と踏み鳴らし。音も静かに更くる夜に。通る人をぞ待ち居たる。通る人をぞ待ち居たる。

牛若が橋の上で待ち構えているところに弁慶が登場する。僧兵姿で大薙刀をもち、いかにも戦に出かけてきたことを思わせる。

後シテ詞一声「すでにこの夜も明方の。山塔の鐘もすぎまの雲の。光り輝く月の夜に。着たる鎧は黒革の。をどしにをどせる大鎧。草摺長に着なしつゝ。もとより好む大薙刀。真中{まんなか}取つて打ちかつぎ。ゆらり/\と出でたる有様。いかなる天魔鬼神なりとも。面{おもて}を向くべきやうあらじと。我が
身ながらも物頼もしうて。手に立つ敵の恋しさよ。
子方「川風もはや更け過ぐる橋の面に。通る人もなきぞとて。心すごげにやすらへば。
シテ「弁慶かくとも白波の。立ちより渡る橋板を。さも荒らかに踏み鳴らせば。
子方「牛若彼を見るよりも。すはやうれしや人来るぞと。薄衣{うすぎぬ}なほも引き被き。傍に寄り添ひ佇めば。
シテ「弁慶彼を見付けつゝ。立廻り、詞をかけんと思へども。見れば女の姿なり。われは出家の事なれば。思ひ煩ひ過ぎて行く。
子方「牛若彼をなぷつて見んと。行き違ひざまに薙刀の。柄元をはつしと蹴上ぐれば。
シテ「すはしれ者よもの見せんと。

ふたりは出会いのやり取りをした後で、いよいよ戦い始める。弁慶が大薙刀を振り回し、牛若がひらりひらりと交わすさまは、通常の伝説の内容と異なるところはない。そして勝利するのがシテの弁慶ではなく、子方の牛若である点も、通常の伝説と同じである。

地「薙刀やがて取り直し。薙刀やがて取り直し。いでもの見せん手なみの程と。斬つてかゝれば牛若は。少しも騒がず突つ立ち直つて。薄衣引き除けつゝ。しづしづと太刀抜き放つて。つつ支へたる薙刀の。切先に太刀打ち合はせ。つめつ開いつ戦ひしが。何とかしたりけん。手許に牛若寄るとぞ見えしがたゝみ重ねて打つ太刀に。さしもの弁慶合はせ兼ねて。橋桁を二三間しさつて。肝をぞ消したりける。あら物々しあれ程の。あら物々しあれ程の。小姓一人を斬ればとて。手並にいかで洩らすべきと。薙刀柄長くおつ取りのべて。走りかゝつてちやうと切れば。そむけて右に。飛びちがふ取り直して裾を。薙ぎ払へば。跳りあがつて足もためず。宙を払へば頭{かうべ}を地に付け。千々に戦ふ大薙刀。打ち落されて力なく。組まんと寄れば切り払ふ。すがらんとするも便なし。せん方なくて弁慶は。希代なる少人{せうじん}かなとて呆れはててぞ立つたりける。

弁慶は牛若にさんざんなぶられてついに降参、牛若の従者になることを願い出て、二人は固い絆で結ばれる。

ロンギ「不思議や御身誰なれば。まだ稚{いとけな}き姿にて。かほどけなげにましますぞ。委しく名乗りおはしませ。
子方「今は何をか包むべき。我は源牛若。
地「義朝の御子か。
子方「さて汝は。
地「西塔の武蔵。弁慶なり。互に名告り合ひ。互に名告り合ひ。降参申さん御免あれ少人の御事。われは出家。位も氏もけなげさも。 よき主{しう}なれば頼むなり。粗忽にや思しめすらんさりながら。これ又三世の奇縁の始。今より後は。主従{しうじう}ぞ。と。契約堅く申しつゝ。薄衣被{かづ}かせ奉り弁慶も薙刀打ちかついで。九条の御所へぞ参りける。


    


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