日本語と日本文化


道成寺:安珍と清姫伝説(能、謡曲鑑賞)


能「道成寺」は現行の能の中でも大曲の部類に入り、また位の高い作品として扱われている。静と動のコントラストが激しく、また鐘の作り物など、舞台の演出も派手で、緊迫感に溢れた作品であるが、演じ方がまずいと散漫に流れ、観客をいらいらさせたりしかねない。能楽師にとってはむつかしい作品とされ、したがって一定の成熟を経た節目の時期に始めて演ぜられる。

作者は観世小次郎信光。信光は紀州道成寺に伝わる「安珍と清姫伝説」をもとに「鐘巻」という作品を書いたが、後にその一部を省略して現行のような形になった。

安珍と清姫の伝説は10世紀の始めに成立し、今昔物語集などにも取り上げられている。14世紀の末には、「道成寺縁起」としてほぼ今日に伝わる形に完成された。それは次のような話である。

「延長六年(929)、奥州から熊野詣に来た修行僧安珍は、真砂庄司の娘清姫に一目惚れされた。清姫の情熱を断りきれない安珍は、熊野からの帰りに再び立ち寄ることを約束する。だが約束の日に安珍が来ないので、清姫は旅人の目もかまわず安珍を追い求める。清姫の怨念を恐れた安珍は、舟で日高川を渡り道成寺に助けを求めた。道成寺の僧は安珍を鐘の中にかくまう。安珍を追う清姫はついに大蛇となって日高川を渡り、道成寺にたどり着く。そして安珍が隠れている鐘に巻きつくと、その怒りの炎で鐘を焼き、中にいた安珍をも焼き殺してしまう」(道成寺縁起より)

信光は安珍と清姫の名を出してはいないが、恐らく「道成寺縁起」を題材に使ったのであろう。ただ「安珍と清姫伝説」をそのまま作品にしたのではなく、その後日談という形にとらえなおした。

道成寺では清姫によって焼かれた鐘を再興し、その供養を行う段に至った。ついてはこの鐘がかつて女人の怨念によって焼かれたことを反省し、供養には女人禁制を誓うのであるが、そこに清姫の亡霊が現れて、この鐘にかつての怨念を再びぶつけるという設定である。

舞台にはまず狂言方が現れ、舞台中央に置かれた鐘の造りものを天井に吊り上げる。鐘は人がゆうに入れるほどの大きさであり、それが天井からぶら下がった姿は、なかなか迫力にとんでいる。

なお、能楽舞台の天井についている吊りもの用の鈎は、この曲のほかには使われることがない。

ワキの僧は狂言方に向かって、供養には女人禁制の旨を言いつける。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ詞「これは紀州道成寺の住僧にて候。さても当寺に於てさる子細有つて。久しく撞鐘退転仕りて候ふを。この程再興し鐘を鋳させて候。今日吉日にて候ふ程に。鐘の供養をいたさばやと存じ候。いかに能力。はや鐘をば鐘楼へ上げてあるか。
狂言「さん候はや鐘楼へ上げて候ふ御覧候へ。
ワキ「今日鐘の供養を致さうずるにて有るぞ。又さる子細ある間。女人禁制にて有るぞ。かまへて一人も入れ候ふな。其分心得候へ。
狂言「畏つて候。

そこへ清姫の幽霊たる白拍子に扮したシテが現れ、狂言方に向かって鐘の供養を見せてくれという。狂言方は、僧の言いつけどおり最初は断るが、女の舞を見たさに、ついにその願いを許してしまう。

シテ次第「作りし罪も消えぬべし。作りし罪も消えぬべし。鐘の供養に参らん。
サシ「これは此国のかたはらに住む白拍子にて候。
詞「さても道成寺と申す御寺に。鐘の供養の御入り候ふ由申し候ふ程に。唯今参らばやと思ひ候。
道行「月は程なく入りしほの。月は程なく入りしほの。煙みちくる小松原。急ぐ心かまだ暮れぬ。日高の寺に着きにけり。日高の寺に着きにけり。
詞「急ぎ候ふ程に。日高の寺に着きて候。やがて供養を拝まうずるにて候。いかに申し候。
狂言「誰にて渡り候ふぞ。
シテ「これは此国の辺に住む女にて候ふが。鐘の供養の由承り候ふ程にこれ迄参りて候。そと拝ませて給はり候へ。
狂言「シカジカ。
シテ「いやこれは此国の傍に住む白拍子にて候。鐘の容疑にそと舞をまひ候ふべし。供養を拝ませて給はり候へ。
狂言「シカジカ。
シテ「あら嬉しや涯分舞をまひ候ふべし。
物着「嬉しやさらば舞はんとて。あれにまします宮人の。烏帽子を暫し仮に着て。既に拍子を進めけり。
次第「花の外には松ばかり。花の外には松ばかり。暮れそめて鐘や響くらん。

(乱拍子)ここでシテの舞う舞は乱拍子という特異なもの。長い静止の間に身をくねらすような動作を挟み、それを何度も繰り返しながら、30分以上もかけて一回転するのである。

身をくねらせるのは、蛇の動作を示唆するのであろう。とにかく、静止の状態が大半という、およそ舞らしくない舞なので、演じ方がまずいと、惨憺たる状態になる。演者の集中力と高い技能が要求される部分である。

ワカ「道成の卿。承り。始めて伽藍。橘の。道成興行の寺なればとて。道成寺とは。名づけたりや。
地「山寺のや。

(急ノ舞)ここで、それまでの静は一転して急ノ舞に変わる。この激変も、曲の見所である。シテは、鐘の下に潜ると、両手で鐘を支え、ついには落ちてきた鐘の中に姿を隠す。

シテ「春の夕ぐれ。来てみれば。
地「入相の鐘に花ぞ散りける。花ぞちりける花ぞ散りける。
シテ「さるほどに/\。寺々の鐘。
地「月落ち鳥鳴いて霜雪天に。満汐ほどなく日高の寺の。江村の漁火。愁に対して人人眠ればよき隙ぞと。立舞ふ様に狙ひよりて。撞かんとせしが。思へば此鐘恨めしやとて。龍頭に手をかけ飛ぶとぞみえし。ひきかづきてぞ失せにける。

(狂言「シカジカ」)女の怨念によって鐘が落ちたのを見た狂言は、慌てふためいていいわけをする。僧は、女人禁制のいわれについて改めて語る。

ワキ詞「言語道断。か様の儀を存じてこそ。固く女人禁制の由申して候ふに。曲事にてあるぞ。なう/\皆々かう渡り候へ。此鐘に付いて女人禁制と申しつる謂の候ふを御存じ候ふか。
ワキツレ「いや何とも存ぜず候。
ワキ「さらば其謂を語つて聞かせ申し候ふべし。
ワキツレ「懇に御物語り候へ。
ワキ語「むかし此処に。まなごの庄司と云ふ者あり。彼の者一人の息女を持つ。又其頃奥より熊野へ年詣する山伏のありしが。庄司が許を宿坊と定め。いつも彼の処に来りぬ。庄司娘を寵愛の余りに。あの客僧こそ汝がつまよ夫よなんどと戯れしを。をさな心に誠と思ひ年月を送る。又ある時かの客僧庄司がもとに来りしに。彼の女夜更け人静まつて後。客僧の閨に行き。いつまでわらはおばかくて置き給ふぞ。急ぎむかへ給へと申しゝかば。客僧大きにさわぎ。さあらぬ由にもてなし。夜にまぎれ忍び出で此寺に来り。ひらに頼むよし申しゝかば。隠すべき所なければ。撞鐘をおろし其内に此客僧を隠しおく。さて彼の女は山伏を。遁すまじとて追つかくる。をりふし日高川の水以ての外に増りしかば。川の上しもをかなたこなたへ走りまはりしが。一念の毒蛇となつて。川を易易と泳ぎ越し此寺に来り。こゝかしこを尋ねしが。鐘のおりたるを怪しめ。龍頭をくはへ七まとひ纏ひ。焔をいだし尾を以て叩けば。鐘はすなはち湯となつて終に山伏を取りをはんぬ。なんぼう恐ろしき物語にて候ふぞ。
ワキツレ「言語道断。かゝる恐ろしき御物語こそ候はね。
ワキ「その時の女の執心残つて。また此鐘に障碍をなすと存じ候。我人の行功も。かやうのためにてこそ候へ。涯分祈つて此鐘を二度鐘楼へ上げうずるにて候。
ワキツレ「尤もしかるべう候。

僧たちは、女の怨念を調伏せんと、数珠を摺りながら名号を唱える。

ワキノツト「水かへつて日高川原の。真砂の数は尽くるとも。行者の法力尽くべきかと。
ワキツレ「みな一同に声をあげ。
ワキ「東方に降三世明王。
ワキツレ「南方に軍荼利夜叉明王。
ワキ「西方に大威徳明王。
ワキツレ「北方に金剛夜叉明王。
ワキ「中央に大日大聖不動。
ワキ、ワキツレ二人「動くか動かぬか索の。曩謨三曼陀縛曰羅赦。旋多摩訶路遮那。娑婆多耶吽多羅相ア満。聴我説者得大智慧。知我身者即身成仏と。今の蛇身を祈るうへは。
ワキ「何の恨か有明の。撞鐘こそ。
地「すはすは動くぞ祈れたゞ。すはすは動くぞ祈れたゞ。引けや手ん手に千手の陀羅尼。不動の慈救の偈。明王の火焔の。黒烟を立てゝぞ祈りける。祈り祈られつかねど此鐘ひゞきいで。引かねど此鐘躍るとぞ見えし。程なく鐘楼に引きあげたり。あれ見よ蛇体は。現れたり。

(イノリ)やがて引き上げられた鐘の下から、蛇体に変じた女が現れる。般若の面に蛇の文様をあしらった白い衣である。(鐘の中にいた間に物着)

蛇体の女に向かって、僧たちは数珠を摺り続け、名号を浴びせかける。その法力によって、蛇体の女はついに調伏され、自ら猛火となって我が身を焼き、橋掛かりの奥へと消え去っていく。

キリ地「謹請東方青龍清浄。謹請西方白体白龍謹請中央黄体黄龍一大三千大千世界の恒沙の龍王哀愍納受。哀愍じきんのみぎんなればいづくに大蛇のあるべきぞと。祈り祈られかつぱと転ぶが。又起き上つて忽ちに。鐘に向つてつく息は。猛火となつてその身をやく。日高の川浪深淵に飛んでぞ入りにける。望足りぬと験者達はわが本坊にぞ帰りける。我が本坊にぞ帰りける。


    


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