日本語と日本文化


能「岩船」:祝言の曲


能「岩船」は筋らしい筋もなく、ただめでたさを寿ぐといった趣向の曲だが、かえってそのことが幸いしてか、祝言の曲としてよく上演される。作者や成立時期はわかっていない。音阿弥が上演したという記録が残っているので、室町時代の中ごろには成立していたと思われる。

典拠は万葉集などに見られる天岩船伝説。あめのさぐめが宝を積んだ船に乗って地上に降りてくるという単純な話だ。

能では前段で宝の市に玉を持った童子が現れ、これを帝に捧げたいといい、後段では竜神が現れて天下泰平を寿ぐ。前後に必然的なつながりもなく、複式能としては中途半端なところから、観世流や宝生流では、前段を省いて半能として上演する。

以下紹介するのは金春流の舞台。先日NHKが放映したものだ。シテは金春安明が演じていた。

舞台には帝の臣下の一行が現れる。彼らは摂州住吉の浦に宝の市を開き、高麗唐土の宝を買ひとるべしとの帝の命を受けて、住吉へと向かう途中である。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ二人次第「げに治まれる四方の国。げに治まれる四方の国。関の戸さゝで通はん。
ワキ詞「そも/\これは当今に仕へ奉る臣下なり。さても我が君賢王にましますにより。吹く風枝を鳴らさず民戸ざしをさゝず。誠にめでたき御代にて候。さる間摂州住吉の浦に。始めて浜の市を立て。高麗唐土の宝を買ひとるべしとの宣旨に任せ。唯今津の国住吉の浦に下向仕り候。
道行三人「何事も。心に叶ふ此時の。心に叶ふ此時の。ためしもありや日の本の。国豊なる秋津洲の波も音なき四つの海。高麗唐土も残なき。御調の道の末ここに。津守の浦に着きにけり。津守の浦に着きにけり。

そこへ童子姿のシテが現れる。童子面をかぶり、長い黒髪を垂らし、手には大きな玉を持っている。

シテ真ノ一琴「松風も。のどかに立つや住吉の。市の巷港出づるなり。
シテサシ「それ遠満十里の外なれども。こゝは処も住吉の。神と君とは隔なき。誓ぞ深き瑞籬の。久しき世々の例とて。こゝに御幸を深緑。松にたぐへて千代までも正しき君の御旅居。いづくも同じ日の本の。もれぬ恵ぞ有難き。
下歌「いざ/\市に出汐の月面白き松の風。
上歌「伊勢島や汐干に拾ふたま/\も。汐干に拾ふたま/\も。待ちえにけりな此御代に。鸚鵡の玉鬘かゝる時しも生れ来て。民豊なる楽を何に譬へん秋津洲や。高麗唐土も隔なき。宝の市に出でうよ。宝の市に出でうよ。

臣下たちは童子の姿を不思議に思いつつ、その手に持っている玉はどんな玉なのかと聞く。同時は天下泰平を寿ぐ徴として、これを帝に捧げるために持参したのだという。

臣下が玉の名を尋ねると、童子は「宝珠の外に其名は無し、心の如しと思しめせ」と応える。自分たちの好きなように名づけよという意味なのであろうが、それを臣下たちは「名におふ如意宝珠」と解釈する。そういう名の名高い玉があったと信じられていたのだろう。

ワキ詞「不思議やなこれなる市人を見れば。姿は唐人なるが。声は大和詞なり。又銀盤に玉をすゑて持ちたり。そも御身はいかなる人ぞ。
シテ「さん候かゝる御代ぞと仰ぎ参りたり。又是なる玉は私に持ちたる宝なれども。余りにめでたき御代なれば。龍女が宝珠とも思し召され候へ。
詞「これは君に捧物にて候。
ワキ「ありがたし/\。それ治まれる御代の験には。賢人も山より出で。聖人も君に仕ふと云へり。然れば御身は誰なれば。かゝる宝を捧ぐるやらん。委しく奏聞申すべし。
シテ「あらむつかしと問ひ給ふや。唐土合浦の玉とても。宝珠の外に其名は無し。これも津守の浦の玉。心の如しと思しめせ。
ワキ「心の如しと聞ゆるは。さては名におふ如意宝珠を。我が君にさゝげ奉るか。
シテ「運ぶ宝や高麗百済。
ワキ「唐船も西の海。
シテ「檍が原の波間より。
ワキ「現れ出でし住吉の。
シテ「神も守りの。
ワキ「道すぐに。
地「こゝに御幸を住吉の。神と君とは行合の。目のあたりあらたなる。君の光ぞめでたき。

童子は市の盛んな様子をほめ、そこをめざして多くの船が集まってくるさまを寿ぐ。

ロンギ地「千代までと菊売る市の数々に。菊売る市の数々に。四方の門辺に人さわぐ。住吉の浜の市宝の数を買ふとかや。
シテ「春の夜の一時の。千金をなすとても。喩はあらじ住吉の。松風値なき金銀珠玉いかばかり。
地「千顆万顆の玉衣の。浦ぞ津守の宮柱。
シテ「立つ市館かず/\に。
地「籬もつゞく片そぎの。
シテ「みとしろ錦綾衣。
地「頃も秋たつ夕月の。影に向ふや淡路潟。
シテ「絵島が磯は斜にて。
地「松の隙行く捨小舟。
シテ「寄るか。
地「出づるか。
シテ「住吉の。
地「岸うつ浪は茫々たり松吹く風は切々として。蜜語かくやらん。その四つの緒の音を留めし潯陽の江と申すとも。これにはよもまさじ面白の浦の景色や。

そのうち岩船がやってくると告げる。岩船が宝の船であることは、臣下たちも良く知っている。そこで何故そのような船が市に来るのかと聞くと、童子は自分こそはあのあめのさぐめなのであり、いまこの代の太平を祝うために、岩船を招き寄せたのだと答え、嵐とともに天上に去っていく。

シテ詞「又岩船のより来り候。
ワキ「そも岩船のより来るとは。御身は如何なる人やらん。
シテ「げに旅人はよも知らじ。天も納受喜見城の。宝を君に捧げ申さんと。天の岩船雲の波に。高麗唐土の宝の御船を。唯今こゝに寄すべきなり。
地「今は何をか包むべき。其岩舟を漕ぎよせし。天の探女は我ぞかし。飛びかける天の岩船尋ねてぞ。秋津島根は宮柱住吉の松の緑の空の。嵐とともに失せにけり。嵐とともに失せにけり。

来序中入 間狂言が岩船の故事を改めて紹介したあと、龍神に扮した後シテ画現れる。龍神はあめのさぐめに岩船を引かせながら、自分は勇壮な舞を舞って、天下泰平を寿ぎ、めでたしめでたしとなる。

地「久方の。天の探女が岩船を。とめし神代の。幾久し。
後シテ早笛「我はまた下界に住んで。神を敬ひ君を守る。秋津島根の。龍神なり。
地「或は神代の嘉例をうつし。
シテ「又は治まる御代に出でて。
地「宝の御船を守護し奉り勅もをもしや勅もをもしや此岩船。



地「宝をよする波の鼓。拍子を揃へてえいや/\えいさらえいさ。
シテ「引けや岩船。
地「天の探女か。
シテ「波の腰鼓。
地「ていたうの拍子を打つなりやさゞら波経めぐりて住吉の松の風吹きよせよえいさ。えいさらえいさと。おすや唐艪の。おすや唐艪の潮の満ちくる浪に乗つて。八大龍王は海上に飛行し御船の綱手を手にくりからまき。汐にひかれ波に乗つて。長居もめでたき住吉の岸に。宝の御船を着け納め。数も数万の捧物。運び入るゝや心の如く。金銀珠玉は降り満ちて。山の如くに津守の浦に。君を守りの神は千代まで栄ふる御代とぞ。なりにける。


    


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