日本語と日本文化


能「賀茂」:賀茂神社の縁起譚


能「賀茂」は京都賀茂神社の縁起譚を脇能の形に仕上げたものである。その縁起譚によれば、昔賀茂の里に住んでいた秦の氏女が朝夕鴨川の水を汲んで神にささげていた。ある時川上から白羽の矢が流れてきたので、それを持ち帰って軒にさしておくと、懐胎して男子を産んだ。この母子が後に神となって、白羽の矢に化身した別雷の神とともに、賀茂神社に祭られたとある。

別雷の神といい、鴨川の水といい、水にまつわる話であるから、農耕に縁起が深い。賀茂神社は農耕にゆかりの深い神なのである。

作者は金春善竹。善竹の作品には禅問答を思わせるような難解なものがあるが、この作品は筋もわかりやすく、しかも動きに富んでいて、人気のある曲である。

前半では、里の女が賀茂神社の縁起を語り、後半では母神の軽やかな舞と別雷の神の勇壮な舞働きが演じられる。そして間狂言では、末社の神が三段の舞を舞う演出のほか、御田といって、田植神事をかたどった愉快なやりとりが演じられることもある。

通常の演出では、前シテは母神の化身たる里の女、後シテは別雷の神ということになっていて、後半に出てくる母神はツレの役回りになっている。シテが前後で一貫していないので、やや不自然に思えることから、本来は、シテは後半だけに出ていたのではないかとも推測されている。

これから紹介するのは、先日NHKが放送したものである。金春流の能で、塩田哲生がシテ、間狂言は山本東次郎が「御田」を心憎く演じていた。

舞台にはあらかじめ、白羽の矢を立てた浜木綿の作り物がすえられている。そこへ播州室の明神の神職の一行が現れる。室の明神は鴨の明神と一体であるので、わざわざ敬意を表するために参詣するのだという。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ二人、次第「清き水上尋ねてや。清き水上尋ねてや。賀茂の宮居に参らん。
ワキ詞「抑これは播州室の明神に仕へ申す神職の者なり。さても都の賀茂と当社室の明神とは御一体にて御座候へども。いまだ参詣申さず候ふ程に。此度思ひ立ち都の賀茂へと急ぎ候。
道行三人「播州潟。室のとぼその曙に。室のとぼその曙に。立つ旅衣色染むる飾磨の徒路行く舟も。上る雲居や久方の。月の都の山陰の。賀茂の宮居に着きにけり。賀茂の宮居に着きにけり。

するとそこへ里の水汲み女が二人現れる。いずれも唐織のあでやかな衣装をつけ、シテは小面、ツレは増女の面をかぶっている。

シテツレ二人、真ノ一声「御手洗や。清き心に澄む水の。賀茂の河原に出づるなり。
ツレ二ノ句「直にたのまば人の世も。
二人「神ぞ糺の道ならん。
シテサシ「半ゆく空水無月の影更けて。秋程もなみ御秡川。
二人「風も涼しき夕波に。心も澄める水桶の。もちがほならぬ身にしあれど。命の程は千早振る。神に歩を。運ぶ身の。宮居曇らぬ。心かな。
下歌「頼む誓は此神によるべの。水を汲まうよ。
上歌「御手洗の。声も涼しき夏陰や。声も涼しき夏陰や。糺の森の梢より。初音ふり行く時鳥なほ過ぎがてに行きやらで。今一通り村雨の。雲もかげろふ夕づく日。夏なき水の川隈汲まずとも影は。疎からじ汲まずとも影はうとからじ。

白羽の矢が立てられていることを不思議に思った室の神職は、水汲み女に向かって、そのわけを聞く。水汲み女は、これは賀茂神社の神体だと答える。

ワキ詞「いかにこれなる水汲む女性に尋ね申すべき事の候。
シテ詞「これはこのあたりにては見馴れ申さぬ御事なり。何処よりの御参詣にて候ふぞ。
ワキ「実によく御覧じ候ふものかな。これは播州室の明神の神職の者にて候ふが。始めて当社に参りて候。先々これなる川辺を見れば。新しく壇を築き。白木綿に白羽の矢を立て。剰へ渇仰の気色見えたり。こはそも何としたる事にて候ふぞ。
シテ「さては室の明神よりの御参詣にて候ふぞや。またこれなる御矢は。当社の御神体とも御神物とも。唯此御矢の御事なり。あからさまなる御事なりとも。渇仰申させ給ひ候へ。
ワキ「実に有難き御事かな。さて/\当社の神秘に於て。さまざまあるべき其内に。
詞「分きてこの矢の御謂。委しく語り給ふべし。

矢が神体だと聞かされた室の神職は、そのいわれをさらに詳しく知ろうとする。そこで水汲み女は、白羽の矢と賀茂三所の神の縁起とを語り続ける。

シテ詞「総じて神の御事を。あざ/\しく申さねども。あら/\一義を顕すべし。むかし此賀茂の里に。秦の氏女と云ひし人。朝な夕な此川辺に出でて水を汲み神に手向けけるに。ある時川上より白羽の矢ひとつ流れ来り。此水桶にとまりしを。取りて帰り庵の軒に挿す。主思はず懐胎し男子を生めり。此子三歳と申しゝ時。人々円居して父はと問へば。此矢をさして向ひしに。此矢すなはち鳴雷となり。天に上り神となる。別雷の神これなり。
ツレ「其母御子も神となりて。賀茂三所の神所とかや。
シテ「さやうに申せば憚りの。誠の神秘は愚なる。
シテツレ二人「身に弁は如何にとも。いさしら真弓。やたけの人の。治めん御代を告げるしら羽の。八百万代の。末までも。弓筆に残す。心なり。
ワキ「よく/\聞けば有難や。さて/\其矢は上る代の。今末の代にあたらぬ矢までも。御神体なる謂は如何に。
シテ「実によく不審し給へども。隔はあらじ何事も。
ワキ「心からにて澄むも濁るも。
シテ「同じ流れのさまざまに。
ワキ「賀茂の川瀬も変る名の。
シテ「下は白川。
ワキ「上は賀茂河。
シテ「又其うちにも。
ワキ「変る名の。
地歌「石川や。瀬見の小河の清ければ。瀬見の小河の清ければ。月も流を尋ねてぞ。澄むも濁るも同じ江の。浅からぬ心もて。何疑のあるべき。年の矢の。早くも過ぐる光陰惜みても帰らぬはもとの水。流はよも尽きじ絶えせぬぞ手向なりける。
下歌「いざ/\水を汲まうよ/\。

縁起を語り終わった水汲み女は、白羽の矢に向かってうやうやしく参拝する。

ロンギ地「汲むや心もいさぎよき。賀茂の川瀬の水上は。如何なる所なるらん。
シテ「何処とか。岩根松が根凌ぎ来る。瀧つ流は白玉の。音ある水や貴船川。地「水も無く見えし大井河。それは紅葉の雨と降る。
シテ「嵐の底の。戸無瀬なる波も名にや流るらん。
地「清瀧川の水汲まば。高嶺の深雪解けぬべき。
シテ「朝日待ち居て汲まうよ。
地「汲まぬ音羽の瀧波は。
シテ「受けて頭の雪とのみ。
地「戴く桶も
シテ「身の上と。
地「誰も知れ老いらくの。暮るゝも同じ程なさ今日の日も夢の現ぞと。うつろふ影は有りながら。濁なくぞ水むすぶの神の慮。汲まうよ神の御慮汲まうよ。

水汲み女の話に感心した神職は、水汲み女がいったい何者なのかと知りたくなってたずねると、女は自分は母神の化身であることを匂わせて、木綿四手にまぎれて消えていく。

ワキ詞「実に有難き御事かな。かやうに委しく語り給ふ。御身は如何なる人やらん。
シテ詞「誰とは今は愚なり。汝知らずや神慮の趣き。迎へ給はゞ君を守りの。此神徳を告げ知らしめんと。現れ出でて。
地「恥かしや我が姿。恥かしや我が姿の。真をあらはさばあさましやなあさまにやなりなん。よし名ばかりはしら真弓の。やごとなき神ぞかしと。木綿四手に立ち紛れて神がくれになりにけりや。神がくれになりにけり。

来序中入間 間狂言のなかでも、御田は、田植えの神事を面白おかしく演じるものだ。まず末社の神職が現れ、これから神事を行うべき旨宣言して、早乙女たちを呼び出す。すると大勢(普通は6人)の早乙女が現れて、田植えのしぐさをする。それに神職が卑猥な言葉を掛けて挑発しようとする。このやり取りが非常に面白い。

後半ではまず母神が現れて、軽快な天女の舞を舞う。

後ツレ出端「あら有難のをりからやな。我此宮居に地をしめて。法界無縁の衆生をだに。一子とおぼし見そなはす。御祖の神徳仰ぐべしやな。曇らぬ御代を。守るなり。
地「守るべし守るべしやな。君の恵も今此時。
ツレ「時至るなり時至る。
地「感応あらば影向微妙の。相好荘厳まのあたりに。有難や。

天女舞 舞い終わると、ツレは背後に退き、シテの別雷の神が現れる。シテのいでたちは、大飛手の面に赤頭、唐冠といった豪壮なものである。

地歌「加茂の山並御手洗の影。加茂の山並御手洗の影。映り映ろふ緑の袖を。水に浸して。涼とる。涼とる。裳裾をうるほすをりからに。山河草木動揺して。まのあたりなる別雷の。神体来現し給へり。
後シテ早笛「我はこれ。王城を守る君臣の道。別雷の神なり。
地「或は諸天善神となつて。虚空に飛行し。
シテ「又は国土を垂跡の方便。
地「和光同塵結縁の姿。あら有難の。御事やな。

舞働 

シテ「風雨随時の御空の雲居。
地「風雨随時の御空の雲居。
シテ「別雷の雲霧を穿ち。
地「光稲妻の稲葉の露にも。
シテ「宿る程だに鳴雷の。
地「雨を起して降りくる足音は。
シテ「ほろ/\。
地「ほろ/\とゞろ/\と踏みとゞろかす。鳴神の鼓の。時も至れば五穀成就も国土を守護し。治まる時には此神徳と。威光を顕しおはしまして。御祖の神は。糺の盛に。飛び去り/\入らせ給へばなほ立ち添ふや雲霧を。別雷の。神も天路に攀ぢ上り。神も天路に攀ぢ上つて。虚空に上らせ給ひけり。


    


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