日本語と日本文化


翁:能にして能にあらず


NHKテレビ恒例の新春能番組が、今年は意外にも「翁」を放送した。「意外にも」というのは、「翁」は能にして能にあらずといわれるように、通常の能楽とは異なり、筋らしい筋もなく、呪術的で単調な舞が続くのみの、どちらかというと、あまり面白くない番組だからだ。

だが、能楽師たちにとっては、この曲は自分たちの存在意義にかかわるほどの大事な曲なのである。能の源流となった申楽の、そもそもの形をいまに伝えているものがこの「翁」であり、悠久のときをまたいで発展してきた能楽の、いわば原点ともなったものだからである。

この曲は、いまでも、正月をはじめ節々に演じられる。観客にとっては決して面白いものではないが、能というものの原点を感じさせてくれる。

今日の能楽各流の源流となった大和の猿楽は、もともと興福寺などの大和の大寺社に従属していた。普段は小集団に分かれて、農村を舞台に物真似芸などを披露していたが、寺社の催しの際には参集して、芸を奉納することを義務付けられていた。その奉納の芸を最もよく伝えているのが「翁」なのである。

「翁」は、その際の奉納の芸として、寺社の神格をたたえたり、あるいは農村の神々を寿ぐことを期待された。今に残っている神的で祝祭的な性格は、こうしたことに由来している。

世阿弥以後、猿楽は洗練されて能楽となり、芸術的な完成度も高いものとなったが、能楽師たちは、自分たちの芸の原点であった「翁」をずっと大事にしてきた。その演じられ方は、今日においても、ほかの能とは異なった、特別の扱いを受けている。

まず、出演者は舞台に先立って精進潔斎するという。舞台に上がるに際しても、地謡方は素襖に烏帽子といった礼装、小鼓も三丁である。出演者たちは、面箱を先頭に、全員が橋掛かりから順次並んで登場する。能を演ずるというより、神事に従うといった趣である。

今回の番組では、観世栄夫が翁を演じ、野村萬蔵が三番叟を演じていた。

まず、翁が直面で登場し、例の呪文を唱えながら、ツレの千歳とやり取りしながら舞う。後半は、翁が白色尉の面を付けて踊る。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用)

翁「とう/\たらり/\ら。たらりあがりらゝりとう。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
翁「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
翁「鶴と亀との齢にて。幸ひ心に任せたり。
翁「とう/\たらり/\ら。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
千歳「鳴るは瀧の水。鳴るは瀧の水。日は照るとも。
地「絶えずとうたりありうとうとうとう。
千歳「絶えずとうたり常にとうたり。

とうとうたらりといい、たらりらーという、その言葉は、謡曲の詞章と同じようなアクセントを以て発せられるが、言葉自体には、我々現代人の理解に届くようなものはない。ただただ、まじないの響きに聞こえるのみである。

ここで、ツレが舞う千歳之舞は、優雅というよりは、ばたばたとして、忙しさを感じさせるほどだ。

千歳「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
千歳「鶴と亀との齢にて。処は久しく栄え給ふべしや。鶴は千代経る君は如何経る。
地「萬代こそ経れ。ありうとうとうとう。

(千歳之舞)

翁「総角やとんどや。
地「尋ばかりやとんどや。
翁「座して居たれども。
地「参らうれんげりやとんどや。
翁「松やさき。翁や先に生れけん。いざ姫小松年くらべせん。
地「そよやりちや。
翁ワカ「凡そ千年の鶴は。万歳楽と諷ふたり。又万代の池の亀は。甲に三極を備へたり。渚の砂。索々として朝の日の色を朗じ。瀧の水。冷々として夜の月鮮かに浮んだり。天下泰平国土安穏。今日の御祈祷なり。在原や。なぞの。翁ども。
地「あれはなぞの翁ども。そやいづくの翁とうとう。
翁「そよや。

(翁之舞)ここで舞われる翁の舞は、千歳之舞よりは神々しく見える。舞はゆったりとしたなかにも、力強い勢いを感じさせる。

翁「千秋万歳の。歓の舞なれば。一舞まはう万歳楽。
地「万歳楽。
翁「万歳楽。
地「万歳楽。

このように、ほとんど意味をなさない呪文と、単調な舞が30分ばかり続き、最後に、翁と地謡との言葉の掛け合いがあって、一曲が閉じる。その掛け合いは、万歳楽を祈る人々の、永遠の願いを反復するかのようである

翁に次いで、三番叟が同じような順序で舞う。こちらは黒色尉の面をつけ、鈴を鳴らしながら舞う。翁よりは、やや動きに富んでいる分だけ、ましかもしれない。野村万蔵の軽快な動きが色を添えてもいた。

それでも舞の神事的な雰囲気は、普通の能楽の持つ雰囲気とは全く異なったものだ。観客は、芸能を見ているというよりは、儀式を目撃しているような感を覚える。


    


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