日本語と日本文化


バサラ(婆娑羅)の時代:太平記の世界


太平記の魅力の中でも最も大なるものは、後醍醐天皇を頂点として、登場人物たちが実にユニークであることだ。日本の長い歴史の中で、こんなにも短い期間に、かくもエネルギーに満ちた人物がひしめき合った時代は、そう多くはない。しかも、権力者にとどまらず、社会のあらゆる層に、そのような人物を見出すのである。

この時代を彩った特異な人物像の特徴を一言でいえば、それは「バサラ(婆娑羅)」である。

バサラ(婆娑羅)とは、異様な風体や乱暴な振る舞いを称していった言葉である。鎌倉時代までは、摺衣(すりごろも)や柿帷子(かきかたびら)などの異様の服装は禁忌とされ、非人の間でのみ認められていたに過ぎなかった。それが太平記の時代になると、悪党と呼ばれた新興の武士勢力の間に広まり、異様な服装をきらびやかに飾り立てて、乱暴を事とするものを輩出した。時の人々は、それらのものを「バサラ(婆娑羅)」と呼んだのである。

とくに、建武の新政をきっかけに、それら新興の武士勢力(悪党と呼ばれた)が表舞台に躍り出てくると、バサラの風潮は社会のあらゆる層に広がった。名和長年のような成り上がりの武将はいうに及ばず、佐々木道誉や土岐頼遠のような守護大名、果ては高師直のような足利政権の中枢人物までもが、「バサラの風」を吹かしたのである。後醍醐天皇が頼りとした武力を悪党たちが担ったという事情が、追い風となって働いたのはいうまでもない。

「バサラ」とは、奇異な服装を見せびらかすということのほかに、乱暴な行為をもさしていた。だがそれは、単に乱暴狼藉というにとどまらなかった。権威への挑戦、秩序の破壊といった側面があり、それが時には為政者たちを憂慮させもしたのである。

このような半権威の象徴的な出来事として、太平記は土岐頼遠の所業を取り上げている。

後伏見院の供養の仏事を終えて、牛車に乗った光厳院の一行が京の町を進んでいるうち、遊興帰りの頼遠の一行と鉢合わせする。院の従者は、頼遠に対して馬より下りて直れと命ずるが、頼遠はからからと打ち笑い、院に対して無礼の限りを尽くすのである。

―土岐弾正少弼頼遠は、御幸も不知けるにや、此比時を得て世をも不恐、心の侭に行迹(ふるまひ)ければ、馬をかけ居て、「此比洛中にて、頼遠などを下すべき者は覚ぬ者を、云は如何なる馬鹿者ぞ。一々に奴原蟇目負せてくれよ。」と罵りければ、前駈御随身馳散て声々に、「如何なる田舎人なれば加様に狼籍をば行迹ぞ。院の御幸にて有ぞ。」と呼りければ、頼遠酔狂の気や萌しけん、是を聞てからからと打笑ひ、「何に院と云ふか、犬と云か、犬ならば射て落さん。」と云侭に、御車を真中に取篭て馬を懸寄せて、追物射にこそ射たりけれ。

院を犬と罵倒する姿勢には、既製の権威に対するこれっぽっちの尊敬の念もない。罵倒された院のほうはただ呆然とするばかり。世の中の秩序が形もなくひっくり返ってしまったことにあきれるばかりである。

さすがに、このような行為は、足利幕府によっても断罪され、頼遠はついに斬首されるのであるが、その心意気のうちに、「バサラ」の美学を読み取ることができる。

高師直の場合は、足利家の執事であり、幕府方の最高権力者の一人であったことを勘案すると、そのバサラぶりは常軌を逸したものであった。京へ進出した師直は、護良親王の御母堂の屋敷を接収してそこに華美な館をたて、高貴の姫たちを呼び込んでは次々と子を生ませたことから、落首に「執事の宮廻りに手向を受けぬ神もなし」と揶揄された。さる姫君を口説こうと、徒然草の作者兼好法師に恋文の代筆をさせたとは、うそか本当かわからぬが、恋達者師直の真骨頂ともいえる逸話である。

塩冶判官の妻に横恋慕して、ついに強姦するところなどは、悪の権化に相応しい所業として、人々の目には映った。これがもとで、高師直の悪役のイメージは決定的となり、やがては時代を隔てて、仮名手本忠臣蔵の敵役にもされたのである。

この師直の半権威を象徴するものとして、太平記は師直兄弟がはいたとされる次のような言葉を書きとめている。

「都に王と云ふ人のましまして、若干の所領をふさげ、内裏・院の御所と云ふ所の有りて、馬より下りる六借さよ。若王なくて叶ふまじき道理あらば、木を以て造るか、金を以て鋳るかして、生たる院・国王をば何方へも皆流し捨て奉らばや」

師直の強気なバサラぶりの背景には、彼が組織した軍事組織の力があった。彼の子飼の兵力は、畿内周辺から集めた悪党からなっていたのであり、これら悪党たちの力を借りて、楠木正行や畠山親房を倒すこともできたのである。悪党たちはみなバサラの徒であった。師直はその代表選手だったのだ。

この時代、バサラがいかに社会を席巻していたか、建武式目政道の事第一条が物語っている。

「近日婆娑羅と号して、専ら過差を好み、綾羅錦繍、精好銀剣、風流服飾、目を驚かさざるはなし、頗る物狂といふべきか、富者はいよいよこれを誇り、貧者は及ばざるを恥づ、俗の凋弊これより甚しきはなし、もっとも厳制あるべきか」

ところで、バサラといえば、どうしても佐々木道誉をはずすことができない。だが、道誉については、別に一稿をたてて紹介したいと思う。


    


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