日本語と日本文化


婆娑羅大名・佐々木道誉(太平記の世界)


太平記の世界を吹き抜けたバサラ(婆娑羅)の風を、一つの言葉に凝集せしめようとすれば、それは佐々木道誉という名であろう。道誉は動乱に明け暮れたこの時代にあって、悪党たちのトレードマークともいうべき異形の姿で人の目を抜き、華美豪奢浪費三昧の振舞で世の物指をくつがえし、あらゆる権威を超越するかの如き不敵さが、世人をして婆娑羅大名といわしめた。様々な意味で、いかがわしさに満ちていたこの時代を象徴する人物である。

そんな佐々木道誉の破天荒な生き様の中でも、権威を恐れぬ暴虐振りを、太平記は次のように描いている。

―此比殊に時を得て、栄耀人の目を驚しける佐々木佐渡判官入道々誉が一族若党共、例のばさらに風流を尽して、西郊東山の小鷹狩して帰りけるが、妙法院の御前を打過るとて、跡にさがりたる下部共に、南底の紅葉の枝をぞ折せける。時節門主御簾の内よりも、暮なんとする秋の気色を御覧ぜられて、「霜葉紅於二月花なり。」と、風詠閑吟して興ぜさせ給けるが、色殊なる紅葉の下枝を、不得心なる下部共が引折りけるを御覧ぜられて、「人やある、あれ制せよ。」と仰られける間、坊官一人庭に立出て、「誰なれば御所中の紅葉をばさやうに折ぞ。」と制しけれ共、敢て不承引。「結句御所とは何ぞ。かたはらいたの言や。」なんど嘲哢して、弥尚大なる枝をぞ引折りける。折節御門徒の山法師、あまた宿直して候けるが、「悪ひ奴原が狼籍哉。」とて、持たる紅葉の枝を奪取、散々に打擲して門より外へ追出す。

―道誉聞之、「何なる門主にてもをわせよ、此比道誉が内の者に向て、左様の事翔ん者は覚ぬ物を。」と忿て、自ら三百余騎の勢を率し、妙法院の御所へ押寄て、則火をぞ懸たりける。折節風烈く吹て、余煙十方に覆ければ、建仁寺の輪蔵・開山堂・並塔頭・瑞光菴同時に皆焼上る。門主は御行法の最中にて、持仏堂に御座有けるが、御心早く後の小門より徒跣にて光堂の中へ逃入せ給ふ。御弟子の若宮は、常の御所に御座有けるが、板敷の下へ逃入せ給ひけるを、道誉が子息源三判官走懸て打擲し奉る。其外出世・坊官・児・侍法師共、方々へ逃散りぬ。夜中の事なれば、時の声京白河に響きわたりつゝ、兵火四方に吹覆。在京の武士共、「こは何事ぞ。」と遽騒で、上下に馳せ違ふ。事の由を聞定て後に馳帰りける人毎に、「あなあさましや、前代未聞の悪行哉。山門の嗷訴今に有なん。」と、云ぬ人こそ無りけれ。

この時代、比叡山といえば、権威の象徴であった。また、独自の僧兵を養い、政治的・軍事的な面においても絶大な力を持っていた。それを相手に乱暴狼藉の限りを尽くしたのであるから、人々は「あなあさましや」といいつつ、拍手喝采したのである。

道誉は、この事件の責任をとらされて、上総に流されることとなるが、その道中は流人というより、ならず者の行進のように映ったという。

―道誉近江の国分寺迄、若党三百余騎、打送の為にとて前後に相順ふ。其輩悉猿皮をうつぼにかけ、猿皮の腰当をして、手毎に鴬篭を持せ、道々に酒肴を設て宿々に傾城を弄ぶ。事の体尋常の流人には替り、美々敷ぞ見へたりける。是も只公家の成敗を軽忽し、山門の鬱陶を嘲弄したる翔也。

猿は、いうまでもなく比叡山の符牒のようなものである。その皮をはいで見世物とし、宿々に傾城を弄んだというのであるから、道誉のバサラぶりは常軌を逸したすさまじさであったといわねばならない。

かように、佐々木道誉の生き様は、バサラ振りばかりが強調されるのであるが、彼は単なるバサラに過ぎなかったわけではない。この類希な動乱の世を器用に生き抜き、栄耀出世の限りを尽くしてもいるのである。

道誉は、近江の地頭佐々木宗氏の庶腹の三男として生まれた。佐々木氏の嫡流は長男が継いで六角佐々木を名乗るようになるのに対して、道誉は自ら京極佐々木氏を立てる。北条高時に気に入られ、高時の名の一字をもらって高氏と称し、高時が出家するのにも付き合った。道誉とは、そのときに号した法号なのである。しかし、世の動きに敏感だった道誉は、足利尊氏と行動をともにするようになり、常に世の動きの主流にとどまり続けた抜け目なさも持ち合わせていた。

だが、政治家としての道誉は脇へおいて、そのバサラ振りは、芸能への偏愛という面にも顕著に見られる。道誉は、立花や茶を愛し、また猿楽を保護した。この時期、近江の猿楽は、洗練された幽玄の美を以て、大和の申楽をはるかにしのぐ勢いを持っていたといわれる。

バサラ大名佐々木道誉が、晩年に催した芸能尽くしの一節を太平記が伝えている。今をときめく管領斯波高経が大宴会を計画したのに対抗して、高経の日頃の専横に泡を吹かせてやろうと、その向うを張って大宴会を催すくだりである。

―道誉兼ては可参由領状したりけるが、態と引違へて、京中の道々の物の上手共、独も不残皆引具して、大原野の花の本に宴を設け席を妝て、世に無類遊をぞしたりける。已に其日に成しかば、軽裘肥馬の家を伴ひ、大原や小塩の山にぞ趣きける。麓に車を駐て、手を採て碧蘿を攀るに、曲径幽処に通じ、禅房花木深し。寺門に当て湾渓のせゞらきを渉れば、路羊腸を遶て、橋雁歯の危をなせり。

―此に高欄を金襴にて裹て、ぎぼうしに金薄を押し、橋板に太唐氈・呉郡の綾・蜀江の錦、色々に布展べたれば、落花上に積て朝陽不到渓陰処、留得横橋一板雪相似たり。踏に足冷く歩むに履香し。遥に風磴を登れば、竹筧に甘泉を分て、石鼎に茶の湯を立置たり。松籟声を譲て芳甘春濃なれば、一椀の中に天仙をも得つべし。紫藤の屈曲せる枝毎に高く平江帯を掛て、頭の香炉に鶏舌の沈水を薫じたれば、春風香暖にして不覚栴檀林に入かと怪まる。眸を千里に供じ首を四山に廻、烟霞重畳として山川雑り峙たれば、筆を不仮丹青、十日一水の精神云に聚り、足を不移寸歩、四海五湖の風景立に得たり。

―一歩三嘆して遥に躋ば、本堂の庭に十囲の花木四本あり。此下に一丈余りの鍮石の花瓶を鋳懸て、一双の華に作り成し、其交に両囲の香炉を両机に並べて、一斤の名香を一度に焚上たれば、香風四方に散じて、人皆浮香世界の中に在が如し。其陰に幔を引曲を立双て、百味の珍膳を調へ百服の本非を飲て、懸物如山積上たり。

―猿楽優士一たび回て鸞の翅を翻し、白拍子倡家濃に春鴬の舌を暢れば、坐中の人人大口・小袖を解て抛与ふ。興闌に酔に和して、帰路に月無れば、松明天を耀す。鈿車軸轟き、細馬轡を鳴して、馳散り喚き叫びたる有様、只三尸百鬼夜深て衢を過るに不異。華開花落る事二十日、一城の人皆狂ぜるが如しと、牡丹妖艶の色を風せしも、げにさこそは有つらめと思知るゝ許也。

道誉の反骨躍如もさることながら、花木の周りを石で囲んで花瓶に見立て、生きた桜の木をさながら立花のように演出したり、その間に香炉を並べて香りを楽しむところ、また猿楽師や白拍子に芸能三昧を尽くさせるところなどは、まさにバサラの美学がたどりついた幽玄の境地というべきだろうか。

道誉が死んで、足利政権が安定化するのにつれて、世の中は秩序の枠の中にとり籠められてゆき、バサラの風は吹くべき空間を失う。しかし、バサラの精神は、地下水脈のように隠然と流れながら、この国が均衡を失するたびに吹き出ることとなる。後に現れた「かぶき」と称される現象は、まさに「バサラ」の嫡子ということができものであるし、織田信長の破天荒ぶりは、佐々木佐渡判官道誉の生まれ変わりともいえるのである。


    


HOME説話・語り物太平記

  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである