日本語と日本文化


日向守、書生ヲ殺ス語:今昔物語集巻二九第二十六


今は昔、日向ノ守に某というものがあった。任期が終わって次の守を待つ間、引継ぎの文書を書かせていたが、書生の中から優秀なのを選んで、そのものに古いことの書き直しをさせた。この書生は、「こんな風に書き直しをさせても、自分の口から本当のことを話されてはまずいと思って私を疑うかも知れぬ。あの男は人柄が良くないようだから、きっとひどい目に合わされるだろう。」と思うと、何とかして逃げたいと思うのだが、強そうなものが四五人、昼夜を分かたず見張っているので、逃げようもなかった。そうこうするうち二十日ばかりが過ぎ、文書は完成した。それを見た守は、「一人でこれだけの量を書いたとは感心だ。京へ上っても、このわしを頼るがいい」といって、褒美に絹を四疋くれた。

だが書生は気もそぞろで、心は騒ぐばかり。褒美の品をもらって立とうとする所を、守は親しい家来を呼んで何かひそひそ話しを始めた。書生はどきどきしてその様子をみていたが、やがてひそひそ話が終わり、家来から「ちょっと話がある、静かなところで話そう」と呼び止められた。書生はわれを忘れて聞こうとすると、たちまち二人の郎党が出てきて両腕を引っ張った。

郎党は弓矢を番えて構えている。書生が「どうするおつもりか」と尋ねると、郎党は「気の毒ではあるが、主人の命令だから致し方ない」という。書生は「そえならどうしようもないですね、でもどこで私を殺すのですか」と尋ねると、「しかるべき忍びところにいって、そこでひっそりと殺す」と郎党が答える。書生は「それならばもはや申し上げることもございません」と観念したのだった。

「今までの付き合いに免じて、ひとつ聴いて欲しいことがあります」こう書生がいうと、何事かと郎党が答えたので、書生は「80歳になる母親を家に養っております、また10歳ばかりの子もいます、その顔をもう一度見たいと思いますので、ぜひ我が家の前を通るように計らってください。そのときに顔を見ようと存じます」と頼んだ。郎党は「たやすいことだ」といって、書生を馬に乗せ、二人して馬の口縄をとりながら、病人の一行のように、しのびやかに進んでいった。

一行がその家の前を通りがかると、書生は人を遣わして母親に事情を伝えた。母親はじきに門まで出てきたが、見れば髪は真っ白で、すっかり老いていた。また10歳ばかりの子どもも母親に抱かれて出てきた。

書生は馬を止めて母親を呼び寄せると、「命を召されることになりましたが、これも前世の定めと思ってください。この子はそのうち誰か養ってくれるものが現れましょう。つけてもあなた方のことが心残りで、殺される以上に耐えがたい気持ちです。もはや中にお入りください。お顔を見られて満足です」といった。それを聞いた郎党たちはみな涙したのだった。老母のほうは、苦しさのあまり、そのまま息絶えてしまった。

そのうち郎党は痺れをきらし、もうこれまでと書生を引き立てていった。そして栗の林の中に入ると、そこで書生を射殺し、しるしに首をとっていった。

これを思うに、いったいこの日向守はどういうつもりなのだろう。偽の文書を作らせること自体大それたことであるのに、罪もないものを殺すなどとはとんでもないことだ。


今昔物語集の中には極悪非道の人物はあまり出てこないのだが、ここには正真正銘の悪人が出てくる。地方の国司である。

この国司は、在任中に散々な悪事を働いて財をなしたのでもあろう。離任するにあたって自分がなした悪事の証拠をすべて消すために、部下に公文書の書き換えを命じる。命じられた部下は、仕事が終わると用済みとばかり殺されてしまう。何とも救いのない話だ。

もっともその部下は、殺される前に、殺し屋の人情に訴えて、自分の母親や妻子と別れの挨拶をかわすことができた。その場面がなんともいじらしい。


今昔、日向ノ守□ノ□ト云ケル者有ケリ。国ニ有テ任畢ニケレバ、新司ヲ待ケル程、国ノ渡スベキ文書共構ヘ書セケル間ニ、書生ノ中ニ極ク弁ヘ賢クテ、手吉ク書ケル者一人ヲ呼籠テ、旧キ事ヲバ直シナドシテ書ケルニ、此ノ書生ノ思ケル様、「「此ル構ヘタル事共ヲ書セテハ、新司ニヤ語リヤ為ムズラム」ト、守ハ疑ハシカルラムカシ。気シカラヌ心バヘ有メレバ、定メテ悪キ事モコソ有レ」ト思エケレバ、「何カデ逃ナム」ト思フ心付ニケレドモ、強ナル者ヲ四五人付テ、夜ル昼護セケレバ、白地ニ立出ズベキ様モ無カリケリ。此ク書キ居タル間、二十日許ニモ成ニケレバ、文共皆書キ拈テケリ。其ノ時ニ、守ノ云ク、「一人シテ多ノ文ヲ此ク書ツル事、糸喜キ事也。京ニ上ヌトモ、我レヲ憑テ忘レデ有レ」ナド云テ、絹四疋ヲナム禄ニ取セタリケル。

然レドモ、書生禄得ル空モ無ク、心ハ騒ギテゾ有ケル。禄得テ立ムト為ル 程ニ、守、親ク仕ケル郎等ヲ呼テ、私語ヲ久クシケレバ、書生、此レヲ見ルニ、胸□テ静心思エズ。郎等、私語畢テ出デ行クトテ、「彼ノ書生ノ主御セ。忍タル所ニテ物申サム」ト呼放チケレバ、書生、我レニモ非デ寄テ聞カムト為ルニ、忽ニ人二人ヲ以テ書生ヲ引張セツ。郎等ハ、調度ヲ負テ箭ヲ差番テ立レバ、書生、「此ハ何カニセサセ給フゾ」ト問ケレバ、郎等、「極ク糸惜クハ思ヒ進レドモ、主ノ仰セナレバ、辞ビ申シ難クテナム」ト云ヘバ、書生、「然ニコソハ候フナレ。但シ、何コニテカ殺サセ給ハムズル」ト問ヘバ、郎等、「然ルベカラム隠レニ将行テ、忍ヤカニコソハ」ト云ヘバ、書生、「仰セニ依テ此モ彼モシテ給ハムニ、事ハ申スベキ様モ無シ。

但シ、年来見奉リツ、己ガ申サム事ヲバ聞給テムヤ」ト云ケレバ、郎等、「何事ゾ」ト問フニ、書生、「年八十ナル女ナム、家ニ置テ年来養ヒ候ツル。亦十歳許ナル小童一人候フ。彼等ガ顔ヲナム、今一度見ムト思給フルヲ、彼ノ家ノ前ヲバ将渡シ給テムヤ。然ラバ、彼等ヲ呼出テ顔ヲ見候ハム」ト云ヘバ、郎等、「糸安キ事ナヽリ。然許ノ事ハ何ドカ無カラム」ト云テ、其方様ニ将行クニ、書生ヲバ馬ニ乗セテ、人二人シテ馬ノ口ヲ取テ、病人ナド将行ノ様ニ、然ル気無シニテナム将行ケル。郎等ハ、其ノ後ニ調度ヲ負テ馬ニ乗テナム行ケル。

然テ、家ノ前ヲ将渡ル程ニ、書生、人ヲ入レテ、母ニ、「然々」ト云遣タリケレバ、母、人ニ懸リテ門ノ前ニ出来タリ。実ニ見レバ、髪ハ燈心ヲ戴タル様ニテ、ユヽシ気ニ老タル嫗也ケリ。子ノ童ハ十歳許ナルヲ、妻ナム抱テ出来タリケル。馬ヲ留メテ、近ク呼寄セテ母ニ云ク、「露錯タル事モ無ケレドモ、前ノ世ノ宿世ニテ、既ニ命ヲ召シツ。痛ク歎キ給ハデ御マセ。此ノ童ニ至テハ、自然ラ人ノ子ニ成テモ有ナム。嫗共何カニシ給ハムズラムト思フナム、殺サルル堪ヘ難サヨリモ増テ悲キ。今ハ、早ウ入給ヒネ。今一度御顔ヲ見奉ラムトテ参ツル也」ト云ケルヲ、此ノ郎等、聞テ泣ケリ。馬ノ口ニ付タル者共モ泣ニケリ。母ハ、此レヲ聞テ迷ヒケル程ニ、死入タリケリ。

而ル間、郎等、此テ有ルベキ事ニ非ネバ、「永事ナ云ヒソ」ト云テ、引持 行ヌ。然テ、栗林ノ有ケル中ニ将入テ、射殺シテ頸取テ返ニケリ。此レヲ思フニ、日向ノ守、何ナル罪ヲ得ケム。詐テ文ヲ書スルソラ尚シ罪深シ。况ヤ書タル者ヲ咎無クシテ殺サム、思ヒ遣ルベシ。此レ重キ盗犯ニ異ナラズトゾ、聞ク人[ニク]ケルトナム語リ伝ヘタルトヤ。




  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME今昔物語集次へ





作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2012
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである