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近江國の篠原の墓穴に入る男の語 今昔物語集巻二十八第四四


今は昔、美濃の国へ向かっていた下衆の男がいた。近江國の篠原というところをとおりがかった折、空が暗くなって雨が降ってきたので、「どこか雨宿りするところはないか」とあたりを見回したが、人気のない野原の真ん中とて、家らしきものはなかった。だが墓穴がひとつあるのを見つけて、そのなかに入り込んで、潜んでいると、日が暮れて暗くなってきた。

雨の降り止む様子がないので、「今夜はこの墓穴で夜を明かそう」と思い、奥のほうの広いところにいって休んでいると、夜が次第に更けるとともに、何かが入ってくる音が聞こえた。暗いのではっきりとはわからない。ただ音だけが聞こえる。「ははあ、これは鬼に違いない、鬼の住む穴とも知らずに入り込んだおかげで、鬼に食われて命を落とすのだ」と心に思って嘆いていると、そのものはこっちへと近づいてきた。男は怖くてしょうがなかったが、逃げるところがないので、穴の脇のほうへ身を寄せ、音も立てずにじっとしていると、そのものは近づいてきて、何かをパタッと落とした。ついでサラサラという音がして、座り込むような音が聞こえた。どうやら人の気配である。

この男は下衆ではあったが、思慮が深く賢かったので、推測をめぐらしてみた、そこで「これは旅の途中の人間が、雨が降り日が暮れたので、自分と同様にこの墓穴に入りこんだのだろう。最初にパタンとおいたのは荷物で、次にさらさらと聞こえたのは美濃傘の音だろう」と思えたが、「もしかしたら、この墓穴に住む鬼かもしれない」とも思われ、音を立てずに、聞き耳を立てていた。

今来たこのものは、男だろうか、法師だろうか、子どもだろうか、よくわからないが、人の声で、「この墓穴には、もしかして神様がお住まいでしょうか、そうだとしたら、このお供えをさしあげます、わたしは旅のものですが、ここをとおりがかったところ、雨がいたく降り夜も更けましたので、今夜ばかりと思って、お邪魔しました」といった。そして、お供えの品を差し出したのだった。元からの男は、すこし気分が落ち着いて、「そういうことだったのか」と思ったのだった。

さて元からいた男は、置かれたものをひそかに手にとってみたところ、小さいもちが三枚あった。「さては、道中持参していたものをお供えにしたのだな」と思いながら、男は行き悩んで腹もへっていたこととて、このもちを食ったのだった。

後から来た男は、しばらくして置いたもちを手探りで探したが、見当たらない。「まさに鬼が食ったに違いない」と思ったのだろう、にわかに逃げ去った。そのとき持っていた荷物を残し、美濃傘も捨てていった。

元からいた男は「さればこそ、餅を食ったのが鬼だと思って逃げたのだな」と思いながら、残していった荷物を探ってみると、物を包んだ鹿革の袋と、美濃傘があった。「美濃のほうからやってきたのだな」と思いつつ、「帰ってくるかもしれぬ」と思って、まだ夜のうちにその袋を背負って、墓穴を出て歩いていくと、「もしかして、どこかでこのことを人に語って、一緒に連れてくるかも知れぬ」と心配になって、はるか人里はなれた山の中まで入っていった。そのうち夜も明けたのだった。

山の中で袋を開けてみると、絹・布・綿などが入っていた。思いがけず、「天が恵んでくれたのだろう」と喜びながら、ずっと歩いていった。

思わず得をした男もいたものだ。後から来た男が逃げたのは無理もない話だ。誰だって逃げたくなるだろう。元からいた男は、面憎いやつだ。この話はその男が老後家族に語ったということだ。後から来た男が誰であったか、ついに分からずじまいだった。


墓穴というものは、いまでは存在しないが、今昔物語の時代には珍しいものではなかったようだ。しかしそこは、通常の世界とは全く異なった秩序が支配する世界であって、場合によっては鬼が済むこともあった。鬼と云うのは、基本的には死んだ者がまだこの世に未練を残し、あたりをさまよっている姿なのだと、信じられていたのである。

そこで何かの事情で墓穴の中に入り込んでしまった人間は、そこに鬼がいるのではないかと真剣に恐怖した。その恐怖心が、墓穴に入り込んだ二人の人間の間で、思いもかけぬドラマを生み出させる。



今は昔、美濃國の方へ行きける下衆男の、近江國の篠原と云ふ所を通りける程に、空暗がりて雨降りければ、「立ち宿りぬべき所や有る」と見廻らしけるに、人氣遠き野中なれば、立ち寄るべき所無かりけるに、墓穴の有りけるを見付けて、其れに這ひ入りて、暫く有りける程に、日も暮れて暗く成りにけり。雨は止まず降りければ、「今夜許は此の墓穴にて夜を明かさむ」と思ひて、奥樣を見るに廣かりければ、糸吉く打息みて寄り居たるに、夜打深更くる程に聞くに、物の入り來たる音す。暗ければ何物とも見えず。只音許なれば、「此れは鬼にこそは有らめ。早う、鬼の住みける墓穴を知らずして立ち入りて、今夜命を亡ひてむずる事」を心に思ひ歎きける程に、此の來たる物、只來たりに入り來たれば、男怖しと思ふ事限無し。然れども、逃ぐべき方無ければ、傍に寄りて、音も爲で曲まり居たれば、此の物近く來たりて、先づ物をはくと下し置くなり。次にさやさやと鳴る物を置く。其の後に居ぬる音す。此れ、人の氣色なり。

此の男、下衆なれども、思量有り心賢かりける奴にて、此れを思ひ廻らすに、「此れは人の物へ行きけるが、雨も降る、日暮る、我が入りつる樣に此の墓穴に入りて、前に置きつるは、持ちたりける物をはくと置きつる音なめり。次には蓑を脱ぎて置く音のさらさらとは聞えつるなめり」と思へども、尚、「此れは此の墓穴に住む鬼なめり」と思へば、只音も爲で、耳を立てて聞き居たるに、此の今來たる者、男にや有らむ、法師にや有らむ、童にや有らむ、知らず、人の音にて云ふ樣、「此の墓穴には、若し住み給ふ神などや御する。然らば此れ食せ。己れは物へ罷りつる者の、此こを通りつる間に、雨は痛う降る、夜は深更けぬれば、今夜許と思ひて、此の墓穴に入りて候ふなり」と云ひて、物を祭る樣にして置けば、本の男、其の時にぞ少し心落ち居て、「□ればこそ」と思ひ合はせける。

然て、其の置きつる物を、近き程なれば、竊かに、「何ぞ」と思ひて手を指し遣りて捜れば、小き餅を三枚置きたり。然れば、本の男、「實の人の、道を行きけるが、持ちたる物を祭るにこそ有りけれ」と心得て、道は行き極じて、物の欲しがりけるままに、此の餅を取りて竊かに食ひつ。

今の者、暫し許有りて、此の置きつる餅を捜りけるに、無し。其の時に、「實に鬼の有りて食ひてけるなめり」と思ひけるにや、男、俄かに立ち走るままに、持ちたりつる物をも取らず、蓑笠をも棄てて走り出でて去りぬ。身の成らむ樣も知らず逃げて去りければ、本の男、「然ればこそ。人の來たりけるが、餅を食ひたるに恐ぢて逃げぬるなりけり、吉く食ひてける」と思ひて、此の棄てて去りぬる物を捜れば、物一物入れたる袋を、鹿の皮を以て裹みたり。亦蓑笠有り。「美濃邊より上りける奴なりけり」と思ひて、「若し伺ひもぞ爲る」と思ひければ、未だ夜の内に、其の袋を掻負ひて、其の蓑笠を打着て、墓穴を出でて行きける程に、「若し有りつる奴や人郷に行き行きて、此の事を語りて、人などを具して來たらむ」と思ひければ、遙かに人離れたる所に、山の中に行きて、暫く有りける程に、夜も明けにけり。

其の時に、其の袋を開きて見ければ、絹・布・綿などを一物入れたりけり。思ひ懸けぬ事なれば、「天の然るべくて給へる」と思ひて、喜びて、其れよりなむ行きける所へは行きにける。思はぬ所得したる奴かな。今の奴は逃ぐる、尤も理なりかし。現はに誰れも逃げなむ。本の男の心、糸蠢付し。此の事は、本の男の老の畢に妻子の前に語るを聞き傳へたるなり。今の奴は遂に誰れとも知らで止みにけり。

然れば心賢き奴は、下衆なれども、此かる時にも萬を心得て、吉く翔ひて、思ひ懸けぬ所得をも爲るなりけり。然るにても、本の男、餅を食ひて、今の奴の逃げにけるを、何に可咲しと思ひけむ。希有の事なれば、此くなむ、語り傳へたるとなり。


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