日本語と日本文化


近衞舎人秦武員、物を鳴らす語 今昔物語集巻二八第十


今は昔、左近の將曹にて秦武員という近衞舎人があった。禅林寺の僧正の御壇所に参上し、僧正が説教しているところへいって、久しく話を聞いているうちに、思いかけず屁を一発鳴らしてしまった。

僧正も、御前に沢山いた僧共も、みなこの音を聞いたのだが、はばかりが多いこととて、ものもいわずに顔を見つめ合っていた。そのうち武員は、左右の手で自分の顔を覆って、「ああ、死にたい」と叫んだ。

その声で緊張がゆるんだのか、みないっせいに笑い出した。その騒ぎのすきに、武員は立ち走って逃げた。その後、しばらくは顔を見せることもなかった。

こういうことにはタイミングというものがある。タイミングを逸して時間が過ぎると、こうはいかぬ。武員のような男であったからこそ、笑いに紛らわせ、しかも「死にたい」などと冗談をたたくこともできたが、そうでない人は、屁をしたことで、えらく不名誉な事態に陥ったことだろう。


放屁譚は日本人が昔から愛読してきた物語だが、今昔物語集の中のこの話などは、最も古い部類に属するだろう。屁をひっても悪びれず、笑いで煙に巻くという趣旨は、屁と煙との間の共通性をうまく利用している点で、秀逸な物語になっている。


今は昔、左近の將曹にて秦武員と云ふ近衞舎人有りけり。禅林寺の僧正の御壇所に參りたりければ、僧正、壺に召し入れて物語などし給ひけるに、武員、僧正の御前に蹲りて久しく候ひける間に、錯りて糸高く鳴らしてけり。

僧正も此れを聞き給ひ、御前に數た候ひける僧共も此れを皆聞きけれども、物□き事なれば、僧正も物も云はず、僧共も各顔を守り、暫く有りける程に、武員、左右の手を披げて面に覆ひて、「哀れ、死なばや」と云ひければ、其の音に付きてなむ、御前に居たりける僧共、皆咲ひ合ひたりける。其の咲ふ交に、武員は立ち走りて逃げて去にけり。其の後、武員久しく參らざりけり。

然か有らむ事共、尚聞かむままに咲ふべきなり。程經ぬれば、中々□き事にて有るなり。武員なればこそ、物可咲しく云ふ近衞舎人にて、然も「死なばや」とも云へ、然らざらむ人は、極めて苦しくて、此も彼くも否云はで居たらむは、極じく糸惜しからむかしとなむ人云ひけるとなむ、語り傳へたるとや。




  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME今昔物語集次へ





作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2012
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである