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祇園の別當戒秀誦經に行はるる語 今昔物語集巻二八第十一


今は昔、或る国の守の奥方のところに、祇園の別當で戒秀という定額僧が、忍び通いをしていた。守は此の事をうすうす知っていたが、知らないふりをしていた。

守が外出すると入れ替わりに、戒秀が入ってきて、我が物顔に居座った。そこへ守が引き返してみると、奥方も女中たちもあわてた様子だ。守は「やはりそうか」と思いながら、奥の部屋に入っていった。するとそこには唐櫃がおいてあって、珍しく錠をさしてある。

「きっとこの中に男を入れて、錠を差したのだろう」と思いつつ、年長の侍を一人と人夫を二人呼び入れて、「この唐櫃を祇園まで担いでいって、お経を上げてもらえ」と命じた。侍は人夫に唐櫃を担がせて出ていった。奥方たちはあわてたようだったが、何も言わずに見送ったのだった。

侍が唐櫃を祇園に運んでいくと、僧共が出てきて、「これは大事なものに違いないから、別当にお話しろ、勝手にあけてはならぬ」といって、別当を探しにやらせた。しかし使いの者は「お留守です」といいながら戻ってきた。

侍は「いつまでも長々と待っているわけにはいかぬ。俺が見るから、不振がることはない、早く開けろ」といったが、僧共は「どうしたものか」と迷っている。そのうち唐櫃の中からわびしげな声で、「所司に見てもらって開きなさい」というのが聞こえた。

僧共も使の侍も、これを聞いて怪しいとは思ったが、ほかに仕様もなかったので、恐る恐る唐櫃を開けた。すると誰あろう、別当が唐櫃から頭を出した。これをみた僧共はびっくり仰天して、みな逃げ去った。遣いの者もまた逃げて帰った。そのすきに別當は唐櫃から出て、走って隠れたのだった。

これを思うに、守は、戒秀を引きだして殴る蹴るの仕打ちをしてもよかったのだが、そうはせずに、こんな恥をかかせたのだろう。戒秀のほうも機転のきく男だったので、唐櫃の中からこんなことを言ったのだろう。


国司の妻に言い寄る僧侶の物語だ。妻が夫のほかに別の男を寝室に入れられたのは、妻問婚を前提としている。一人の女のもとに、二人の男が入れ替わりに通ってきたわけだ。

僧侶の方は身分上表立てにされるのが困る。そんな僧侶を正当な亭主の立場にある国司のほうは、散々な目に合わせる権利があるわけだが、そうはせずに、さらりと恥をかかせる。

この物語にあるようなことは、この時代にはよくあったことかもしれない。



今は昔、或る長受領の家に、祇園の別當に戒秀と云ひける定額、忍びて通ひけり。守、此の事を髴知りたりけれども、知らず顔にて過ぐしける程に、守出でたりける間に、戒秀入り替りて入り居てしたり顔に翔ひける程に、守返り來たりけるに、怪しく主も女房共もすずろひたる氣色見えければ、守、「思ふに、然こそは有らめ」と思ひて、奥の方に入りて見れば、唐櫃の有るに、例ならず錠差したり。「定めて此れに入れて錠を差したるなめり」と心得て、長しき侍一人を呼びて、夫二人を召させて、「此の唐櫃、只今祇園に持て參りて誦經にして來たれ」と云ひて、立文を持たせて唐櫃を掻き出だして侍に取らせつれば、侍、夫に差荷はせて、出でて行きぬ。然れば、主の女も女房共も奇異しき氣色は有れども、□て物も云はず。

而る間、侍、此の唐櫃を祇園に持て參りたれば、僧共出で來て、「此れは止事無き財なめり」と思ひて、「別當に疾く申せ。兼ては否開けじ」と云ひつつ、別當に案内を云はせに遺りて待つに、良久しく、「否尋ね會ひ奉らず」とて、使返り來たる。而る間、誦經の使の侍は、「長々と否待ち候はじ。己れが見候へば不審しかるまじ。且つ只開け給へ。 しく侍るぞ」と云へば、僧共、「何が有るべきや」と云ひ繚ふに、唐櫃の中に、細く侘し氣なる音を以て、「只所司開にせよ」と云ふ音有り。僧共も誦經の使の侍も、此れを聞きて、奇異しく思ひ合へる事限無し。然れども、然て有るべき事に非ねば、恐づ恐づ唐櫃を開けつ。見れば、別當、唐櫃より頭を指し出でたり。僧共此れを見て、目口□て、皆立ち去りにけり。誦經の使も逃げて返りにけり。而る間、別當は唐櫃より出でて、走り隠れにけり。

此れを思ふに、守、「戒秀を引き出だして踏み蹴むも聞耳見苦しかりなむ、只恥を見せむ」と思ひける、糸賢き事なりかし。戒秀、本より極めたる物云にて有りければ、唐櫃の中にて此くも云ふなりけり。世に此の事聞えて、可咲しくしたりとぞ讃めけるとなむ、語り傳へたるとや。


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