日本語と日本文化


北朝鮮の日本人埋葬地について


終戦時に朝鮮半島北部(いまの北朝鮮)にいた日本人で、そのまま現地で死んだ人については長い間何らの調査もできないままでいたが、今年初めて遺族の墓参が許され、調査の手がかりがつかめそうになった。そのことに関して先日NHKが報道した内容についてはこのブログでも取り上げたところである。(棄民:自力で脱出した日本人たち)

この墓参に続いて、「北遺族連絡会」による調査が行われた。この調査は朝鮮現代史の研究者ら学者4名と、連絡会の事務局3名の外、メディア関係者10数名が同行したそうである。その調査結果の概要を、調査員の一人である水野直樹氏が、雑誌「世界」誌上で報告している(「悲劇はなぜ起こったか~朝鮮北部の日本人埋葬地が語るもの」2014年1月号)。この問題を考えるきっかけのひとつとして、ここで紹介しておきたい。

まず、「日本の敗戦から翌年秋ごろまでの一年余りの期間に、朝鮮北部にいた40万人ほどの日本人のうち、約3万4千人が死亡するという悲劇がおこった」という。(NHKでは20万といっていた、その数字は敗戦時朝鮮北部に定住していた人々の数だと思われる)この報告は、これらの人たちが、どのような経緯で死亡し、どのような形で埋葬されたかを跡付けるとともに、何故彼らはそのような過酷な運命に巻き込まれたか、その原因についても考察している。

これら3万4千人の死亡者は、厚生省調査によれば、北朝鮮各地の71か所の墓地に埋葬されているということになっている。だがこの数字は、墓地等への埋葬が確認されたものに限られ、避難途中で行き倒れになって埋められたようなケースまでは含まれていないという。

母数の40万人の内訳は、
① 日本軍の軍人・兵士(約12万人)
② 敗戦以前から朝鮮北部に住んでいた人々(約20万人)
③ 満州からの避難民(約7万人)
となる。これらのうち、軍人・兵士はソ連進駐後に数か所の集合地に集められ、そこからシベリア送りとなった。そのうち病気やけがで働けなくなった者2万7千名が送り返され、「逆送」と呼ばれた。

朝鮮在住者の一部はいち早く日本へ脱出したが、大半がそのまま朝鮮に残った。彼らはその後帰りたくても、9月下旬には完全に足止めされるようになった。その多くは公務員、教員、会社員などであり、官舎や社宅に住んでいたため、ソ連軍による接収対象となった。

満州からの避難民の運命はもっとも過酷だったらしい。そのほか、朝鮮最北部の咸鏡北道に住んでいた日本人は、ソ連軍の侵入を逃れて南部へと移動したが、彼らもまた過酷な運命にさらされたようである。

このような状況下で、敗戦から翌年の秋までの間に、3万4千人の日本人が、死んでいったわけである。

彼らがなぜ戦後長期間朝鮮北部に足止めされ、死なねばならなかったか。一般的には、朝鮮半島の北緯38度線で米ソ占領地域がわけられ、38度線を超えて往復することが禁じられたため、朝鮮北部にいた日本人が動けなくなった、と説明されてきたが、もっと重要な理由が二つあると報告書は言う。ひとつは日本兵のシベリア抑留である。スターリンは日本兵を捕虜にしてシベリアに送り、奴隷労働に従事させることによって、ソ連国内の労働力不足を補う政策をとった。そのため、占領地域である満州や朝鮮北部にいた日本兵を洗いざらい探し出して拘束する必要があった。そのため日本人すべての移動をいったんとめる必要があった、というものである。

しかし、この事情は、46年春にはなくなった。スターリンが目標とした50万という数字を超える60万人の日本人を拘束することができたからである。したがってこれ以降は、ソ連軍も北朝鮮当局も、日本人の移動について目をつぶる態度をとるようになった。しかし、日本人の日本への組織的な引き上げがなかなか実現しなかったのは、ソ連側が引き上げの責任を日本側とその背後にいるアメリカに被せたからである。ソ連は日本人の輸送に必要な船や物資を、アメリカが負担するように主張し続けたのである。米ソ間の協定が成立して、朝鮮北部からの引揚げ船が出たのは12月16日になってからであった。その後、1年半の間に13次にわたり引揚げ船が出たが、それによって日本へ帰国した人は3万1921人(うち軍人2万2185人、なおNHKでは8000人となっていたが、それは軍人を含まない数字なのだろう)であった。民間人のほとんどは、引揚げ船が出る前に、自力で脱出したのだった。

こんなわけで、北朝鮮各地には、3万4千人にのぼる日本人の墓地や埋葬地があるが、日朝関係が進展しない中で、それらは事実上放置されたままの状態にある。また自然災害によって墓地が破壊されたり、墓地をめぐる事情を知っている人がいなくなったりして、それらの調査が次第に困難になりつつある。このままでは、図らずも北朝鮮の地に埋葬された人々は、永遠に歴史の闇の彼方に葬り去られるような事態にいたるかもしれない。報告書はこういって、日本政府による責任ある対応を求めている。




  
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