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立正安国論:日蓮を読む


立正安国論は、文応元年(1260)、国主諫暁の書として、時の執権北条時頼宛てに幕府に呈上したものである。奥書によれば、正嘉元年(1257)の大地震に遭遇して国主諫暁を思い立ったという。この大地震に限らず、当時の日本はさまざまな天変地異が襲っていた。その原因を日蓮なりに考え、これは正法がすたれて謗法が横行していることに仏や神々が怒っているためだと結論した。したがって謗法を退け正法を復活させることが求められている。時の権力者が中心となってそれをおこなうべきである。その場合に日蓮が謗法として糾弾したのが法然の念仏宗であり、復活すべき正法としたのが法華経・涅槃経を中心とした釈迦の教えであった。しかし、日蓮の議論が時の政権を動かすことはなかった。逆に法敵の怒りをかい、命を狙われるのだった。以後日蓮は、法華経の行者として謗法と戦い続け、それがもとで常に命の危険を感じながら生きたのである。

議論は、主客の問答という形で展開していく。客は念仏僧に設定されている。その客の疑問に対して、日蓮の分身らしい主人が答える。主人の説得に客が納得し、念仏の放棄と法華経の護持を決意するところで終わる、というような構成だ。形式・内容ともに、直前に脱稿した「守護国家論」に酷似している。そんなところから、「守護国家論」を「立正安国論」の草稿とみる見方があるわけだ。

主人に託した日蓮の論法は極めて単純なものだ。まず、世の中が乱れていることを確認し、その乱れの原因を追究する。その結果正法が捨てられて謗法がはびこっていることが原因だとされる。なぜそうなるのか、その理由は釈迦の言葉を記したお経の中にある。そうしたお経には、正法が捨てられれば仏や神々は愛想をつかしてその国を去り、その後さまざまな天変地異に見舞われるだろうとの予言が書かれている。いまの事態はその予言が実現されていることをあらわしている。だから我々がなすべきことは、謗法を退け正法を復活させることだ。こう抑えたうえで主人たる日蓮は、法然の浄土宗を以て謗法を代表させ、法華経・涅槃経を以て正法を代表させる。すなわち浄土宗を攻撃して法華経を護持することが、この書を通じて日蓮の主張しているところなのである。日蓮はその仕事を自分自身の力でやりとげるのではなく、権力の力を借りながらやりたいと思った。日蓮には権力礼賛的な面があって、権力に過大な期待をかけるところがある。

法然の浄土宗はなぜ謗法なのか。それは「一代の聖教を破し、遍く十方の衆生を迷はす」からである。具体的に言うと、仏道を聖道門・浄土門にわけて、もっぱら浄土門を信ずるべしと説き、難行道と易行道にわけてもっぱら易行道を実践すべしと説き、また、正・雑にわけて浄土宗を正とし、それ以外を雑として排撃する。これらのことを通じて、釈迦の真実の言葉を記した法華経以下大乗の経典を軽んじ、もっぱら念仏をすすめることによって、衆生を迷妄に導いているというのである。こう言うといかにも理屈が通っているようにも聞こえるが、要するに法華経を軽んずるのはけしからんということだろう。日蓮は法華経に書かれていることは事実であり真理であると信じているので、それを貶める法然には我慢がならなかったのであろう。

そうした法然の教えが日本に蔓延することによって、日本をさまざまな災厄が見舞った、そう日蓮は考えるのである。その災厄を日蓮は「七難」と呼んでいる。これは薬師経をはじめさまざまな経典で言及されている。末法の時代において、仏の教えが廃れた時に国土を襲う一連の天変地異のことである。さまざまな分類法があるが、日蓮は薬師経の分類を、もっとも日本の実態に即した分類法として採用している。それは災厄を、人衆疾疫の難、他国侵逼の難、自界反逆の難、星宿変怪の難、日月薄蝕の難、非時風雨の難、過時不雨の難の七つに分類した。これらの多くはすでに現実となって現れているが、まだ現実化していないものがある。それは他国侵逼の難である。これはやがて蒙古大襲来という形で現実化することとなる。

こうした災厄の到来は、釈迦の言葉を記した諸経典においてすでに予言されていたことである。主人曰く、「夫れ、四経の文朗かなり。万人誰か疑はん、而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず、故に天下世上、諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて、擁護の志無し、仍て、善神・聖人、国を捨て所を去る、是を以て、悪鬼・外道、災を成し難を致す」と。

にもかかわらず、法然は邪節を説いて衆生を惑わしている。そんな法然を日蓮は激しく非難する。「是を以て、住持の聖僧、行いて帰らず、守護の善神去つて来ること無し。是れ偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな、数十年の間、百千万の人、魔縁に蕩かされて、多く仏教に迷へり、傍を好んで正を忘る、善神怒を為さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには」

こんな調子で、「立正安国論」の大部分は法然への攻撃に費やされる。日蓮は別に、法然個人を憎いと思ったわけではなく、たまたまそれが謗法を代表するものと思われた故に、法然攻撃に集中したのであって、禅や律に対しても敵意を抱いていた。禅への攻撃は「守護国家論」に表れていたのだが、「立正安国論」においては、謗法を浄土宗で代表させて、それへの攻撃に専念したということだろう。以後念仏宗と日蓮宗は不倶戴天の敵同士となる。

立正安国論は、主人が客を論破し、客が念仏を捨てて法華経に帰依するという具合に始末をつけている。経の最後を飾るのは次のような言葉である。「我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明かに理詳かなり、疑ふ可からず。弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速かに対治を回らして、早く泰平を致し、先ず生前を安じて、更に没後を扶けん。唯、我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」

これは日蓮に屈した念仏宗徒の言葉である。相手を攻撃するのみならず、自宗に帰依させる。それが日蓮の折伏の究極の目的だった。



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