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日蓮を読む


日蓮は宗教者であって、われわれ普通の日本人にとっては日蓮宗という鎌倉仏教の宗派を創始した人、つまり教祖という位置づけだろう。日蓮自身は、自分をそんなふうには思っておらず、あくまでも法華経の行者という意識を持ち続けた。もっとも晩年には、蒙古大襲来などもあって、日本の現状に対する危機意識が高じた余り、自分こそがその日本を救うべき人であり、日本人の師、父母であると言い、あげくは上行菩薩の生まれ変わりとしての日蓮大菩薩であると言うまでになった。

そんな日蓮であるから、その言葉は宗教的な意味を帯びた深い言葉、心に響く言葉である。しかのみならず、我々を涅槃に導いてくださる言葉である。それは基本的には法華経の功徳なのであるが、いまは法華経を受持するものがほとんどおらず、人々が法華経の功徳に浴する機会を奪われている。これは末法の時代がしからしむるところであって、ある意味必然のなりゆきなのであるが、そうであるからこそ、法華経の教えを広めることが大事なのだ。そう日蓮は考えて、自分の生涯を法華経の布教にささげたのである。

そんなわけであるから、日蓮が生涯に書き残したおびただしい量の文書は、かれの宗教的情熱を吐露したものであり、激越な調子を帯びているものが多い。鎌倉仏教の創始者のうち、日蓮ほど多くの文書を残した人はない。それらは宗教上のライバルたちへの折伏という形をとった批判であったり、また、法華経の功徳を説いたものであった。法華経の功徳のうちもっとも重要なのは、個人の成仏であるが、それと並んで国土安全が強調される。日蓮が生きた時代は、天変地異が頻発し国土が荒れ放題になったことに加え、蒙古大襲来という外患が重なった。それを日蓮は末法のもたらすところと考え、その末法に法華経が軽んじられることで、諸仏や神々が怒られた、国土の荒廃はその結果だと考えたのである。国土を再び安全なものにし、衆生を成仏に導くには、法華経を広く布教する以外に手がない。そう日蓮は考えて、法華経の弘通に生涯をささげたのであった。

日蓮の評価は賛否が極端に分かれる。近代以降に限っていえば、民衆を多数動員した新宗教運動の大部分は日蓮宗に根を持っている。その一方、インテリ層を中心に日蓮を毛嫌いするものが多い。今日インテリの間で人気の高い仏教は禅と浄土真宗であり、日蓮を顧みる者は非常に少ない。それはなぜか。その理由を解明することは、日本人の宗教意識の特徴を明らかにすることにつながるのではないか。

宗教者の書いた文章は、シンボルや比喩に充ちていて、非常に感性的である。というより、人の知性に訴えるのではなく、感性に訴えるといったほうがよいだろう。パスカルは、知性の終わるところに信仰が始まると言ったが、宗教と知性とは相性が悪い。道元などは、それと同じようなことを言っていて、宗教的な体験は言葉では表現できないと主張した。だから道元の書いたものは極度に難解である。それは本来言葉で表現できないことを言葉で表現するという逆説的な行為のためである。

それに対して日蓮の文章は非常にわかりやすい。ということは、論理的なのである。言葉は論理に基礎付けられているわけだから、言葉が論理的であればあるほど、他者によって理解されやすい。日蓮は基本的には、他所との関係を非常に大切にした。かれは菩薩としての自覚に立って衆生の救済を己が使命としたわけだが、その救済の働きかけは、言葉を通じて行われた。だいいち、日蓮が帰依した法華経というのが、言葉によって示された書なのである。その法華経を、言葉を通じて人々に伝える。だから日蓮は言葉を非常に大切にする。人に伝えられないことは、何らの影響をも及ぼすことはできない。人になにものかを伝える行為を媒介するのは言葉である。

とにかく、鎌倉仏教の他の宗派の祖に比べても、またそれ以前の伝統仏教の高僧たちに比べても、日蓮の文章の持つわかりやすさは飛びぬけている。それはやはり、なんとかして他者に向かって法華経の教えを伝えたいという熱意が働いたからだろう。そうした熱意は、たとえば親鸞の文章にも見られないわけではない。しかし親鸞はその熱意を直感的な形で表現した。「歎異抄」は日蓮の言葉のはしくれを情緒的に表現したものだから別に置くとして、主著の「経行信証」も非常に直感的な言葉が多く使われている。道元なども同じである。それに対して日蓮は実に論理的である。ある主張の背後にはかならずその理由がある。主張と理由の関係は論理的な因果関係を擬制している。擬制というのは、かならずしも現代的な意味での形式論理を踏まえてはいないという意味だが、それにしても、主張が理由ないし根拠を伴うというのは、論理的あるいは科学的な思考にとって基本的なことだ。日蓮の思考にはそうした意味での論理性を認めることができる(科学性までは認められないだろうが)。

「立正安国論」をはじめとした日蓮の主著の多くは、他の宗派への折伏という形をとっており、きわめて論争的である。こんなに論争的な宗教書は、世界的に見ても珍しいのではないか。それは法華経を大事に思うことから出ていると思われるが、法華経の行者以外の宗派の堕落ぶりが許せなかったという事情もあるだろう。日蓮がそう考えたわけは、他の宗派が栄え法華経が抑圧されている同時代の日本になぜ天変地異や異国の侵略が絶えないのか、という素朴な思いも働いたと思われる。日蓮はそんな日本を末法の世にあると認識し、その末法の依って来る原因と、そこから脱出する方途を法華経が示していると確信して、法華経弘通と邪宗排斥を己の使命と考えたのであろう。

このように日蓮は、他宗に対しては仮借がなかったが、人間性にやさしいところがなかったわけではない。かえって逆である。上に、日蓮は論理的だといったが、それはかれの人間性が冷たいことを言うのではない。日蓮ほど人間性豊かな宗教者はいなかったと言ってよい。そのあたたかな人間性は、信者宛てに書いた手紙のなかによく表れている。そうした手紙を通じて、日蓮は悲しみにくれた相手の心に寄り添いながら、一緒になって生きていこうと励ましている。日蓮と弟子たちとの精神的結びつきは非常に強固だったといわれるが、それは日蓮のやさしい人柄の賜物だったとも言えるのである。

日蓮はある文章の中で、「鳥はなけども涙流さず、日蓮はなかねども涙ひまなし」と書いているが、これは日蓮が自身の涙もろさを自嘲しているのである。日蓮は一方で理屈を重視し、言葉を通じて相手を説得する一方、涙を通じて相手の心をつかんだといってよい。じつに多面的な人だったのである。日蓮の文章にはそうした多面性が現れている。論理的に畳みかけながらも、肝心なことろでは相手の感性に訴える。これは聖人だからこそできることだろう。俗人にはできないことである。

日蓮は現代のインテリには人気がないと言ったが、小生のような者にとっては、なかなか味わい深いものがある。インテリでも、本当のインテリならば、かならず味わうことができるはずである。是非広く読まれることを期待する次第だ。



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