日本語と日本文化
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仏教と日本人


日本人は宗教心に薄いとよく言われる。それは、宗教をどう考えるかにもよる。世界でもっとも多い宗教人口を抱える一神教(ユダヤ・キリスト教及びイスラム教)の立場からみれば、そう言えるかもしれない。現代の日本人にかかわりの深い宗教といえば、仏教と神道ということになるが、これらはどちらとも一神教ではない。なかには浄土宗のように、阿弥陀仏に帰依するという点で一神教に近い宗派もあるが、それを奉じている日本人は一部である。大部分の日本人は、一神教とは縁遠い。そんなことから、一神教を奉じる人からは、日本人は宗教意識が薄いと言われるわけである。

しかし仏教はやはり宗教の体系であるし、神道も日本人古来の宗教意識を体現したものだ。その神道に仏教が重なるような形で、日本人の宗教意識は涵養されてきた。なぜそうなったか。神道は、単純化して言えば、原始的なアニミズム信仰に柳田国男が指摘したような先祖崇拝がからんだものと考えられるが、宗教としては体系性に欠け、また精神的な深みという点で不徹底なところがあった。そこを仏教によって補強してもらい、宗教としての生き残りをはかった。それが神仏習合の進んだ理由だと言える。

宗教は、どんな形のものにせよ、信仰の部分と戒律の部分からなる。信仰は神への帰依という形をとり、一神教の場合には超越心への絶対的な帰依となる。その神をもとにして体系的な世界観を作り上げる。一方、戒律の部分は、修業のあり方をさすが、世俗的な道徳の基礎となるものである。この両面にわたって、仏教は強固な基礎を持っている。体系的な世界観に基礎づけられた信仰のあり方が一方にあり、その信仰に基礎づけられた道徳の体系がある。こうしたものが、神道と結びついて、日本独特の神仏習合の体系が出来上がっていった。

そういうわけで、日本人の宗教意識は、非常にユニークなものである。純粋な仏教でもなく、純粋な神道でもない。その両者が奇妙に混合して、日本独特の宗教意識が出来上がった。その宗教意識のなかで、深層の部分は神道的なものが占めていると思われるが、形に現われた部分は、仏教によって基礎づけられている。そういう点では、神道的な仏教と言ってよいかもしれない。

この神仏習合的な宗教が、徳川時代の末期まで、日本人の宗教意識を形成していたと言える。神仏習合が本格的に始まったのは平安末期であるが、基本的には仏教導入の始めから、伝統的な宗教意識である神道的なものと相互に影響しあいながら、仏教が日本人の間に浸透したのである。その仏教も、はじめは貴族層に限定されたものだったが、鎌倉時代以降には、日本的な宗教改革運動が花開き、仏教が庶民の間にも浸透していった。その過程で神仏習合が一段と進み、日本的な独特の仏教が成立した。それを鈴木大拙は日本的霊性と呼んだ。

この日本的霊性としての仏教的な宗教感情は、徳川時代の末期までは、非常に強く日本人の意識を支配していたと思われる。徳川時代には、仏教は個人的な宗教感情にとどまらず、道徳や世間的規律をも規定していた。世間的規律という点では、儒教の影響もあったが、儒教は基本的には武士の行動を律するものであり、宗教というよりは、支配のための戒律という面が強かった。一般庶民は、儒教よりも日本的な(神仏習合的な)仏教に強く影響されていたのである。

ところが明治維新の混乱にまぎれて、神道勢力が仏教排撃の旗を振って、いわゆる廃仏毀釈運動が起った。この運動の結果、日本各地で仏教寺院が破壊されたほか、僧侶が還俗を迫られるなど、仏教にとっての一大危機ともいえる事態が出来した。その出来事が仏教に及ぼした影響は計り知れない。それによって仏教が消滅することはなかったが、国民の仏教への信仰が揺らいだことは間違いない。今日の日本人が宗教意識に欠けるとすれば、それは廃仏毀釈運動の大きな成果だと言ってよい。

宗教というものは、人間の一生に深いかかわりを持つものである。キリスト教を例に取れば、生まれた時、結婚する時、死んだ時、といった節目ごとに宗教行事が行われる。生まれた時にはキリスト教への帰依を象徴する洗礼の儀式があるし、結婚した時には神による祝福があり、死んだ時には(原罪をもって生まれてきたことへの)神の許しがあるといった具合だ。日本の場合には、徳川時代において、同じようなことが仏教をめぐって行われた。生まれた時には寺によって登録され(人別帳等)、結婚する時には仏前に報告し、死んだ時には寺の墓に埋葬されるといった具合だ。これらの節目ごとの儀式は、廃仏毀釈の結果、神社が引き継いだ。ひとつ葬式だけは寺の専管として残った。神社が死の汚れを忌んで、葬儀を引き受けようとしなかったからだ。

このように、仏教と日本人のかかわりは、長い歴史のなかでさまざまな変遷を経て来た。そのなかには、変わらない部分と変わった部分とがある。変わらないのは、日本の仏教が一貫して大乗仏教だったことだ。仏教が日本にはじめて伝来したのは、公式には宣化三年(538)のこととされ、その際に釈迦仏像と大乗経典が伝えられた。仏教は朝廷の庇護を得て、聖徳太子が『法華経』『勝鬘経』『維摩経』を注釈した『三経義疏』を著すなど、着実に繁栄していったが、朝廷はじめ一部の貴族層にとどまった。それは奈良、平安時代を通じても変わらない。奈良時代には、南都仏教と呼ばれる大乗仏教各派が栄え、平安時代には天台、真言の両密教が栄えたが、いずれも国家鎮護を主な役割とした、支配の正統性を期待されるようなものにとどまった。

仏教が庶民の間に広がったのは、鎌倉時代以降のことである。鎌倉時代の初期に、日本的な宗教改革運動ともいうべきものが起り、そこから浄土諸宗、禅宗、日蓮宗などの宗派が生まれた。浄土諸宗は「南無阿弥陀仏」という名号を一心にとなえることを宗旨とし、阿弥陀仏への帰依を専らにすることから、仏教のなかでは一神教的な色彩が強い。日蓮宗は仏のかわりに法華経という経典への帰依を専らとする。これらに対して禅宗は、禅定による悟りを得ることを目的としている点で、仏教各派のなかではもっとも自力救済的な面が強い。そんなこともあり禅宗、特に曹洞宗は、下級武士層を中心に広まった。浄土諸宗とりわけ真宗は農民など庶民層に広まり、日蓮宗も町衆を中心にした庶民層に広がった。これらを総称して鎌倉仏教と言う。

鎌倉仏教は、室町時代には日本全国津々浦々に浸透し、その過程で神道との集合も進んで、いわゆる日本的な仏教文化が成立した。衣食住にわたり、今日日本的と言われる文化は室町時代に成立したといえるが、日本的仏教も又その一つとして指摘できる。日本的仏教は、人びとの精神生活を豊かにする一方、信仰を掲げて権力の無法に立ち向かう推進力にもなった。全国を席巻した一向一揆や、日蓮宗を結合の絆とした京の町衆の動きなどはその典型的なものである。

徳川時代に入ると、仏教は支配の用具としての意義を持たされた。あらゆる人々は寺の檀家制度に組み入れられ、幕府や諸藩の権力は寺を通じて庶民を支配、把握したのである。それが明治に入ると廃仏毀釈の運動が起き、仏教は庶民の日常とはあまり深いかかわりをもたなくなり、その結果日本人の宗教意識が弱まるような事態も起きたわけである。

以上は、日本における仏教の歴史を俯瞰したものである。だがここでは、仏教の教義そのものには立ちいらなかった。以後、それについて、各論という形で取り上げていきたい。まず、日本の仏教が取り入れた大乗仏教について、経典の解釈や、中観派や唯識派など各教派の主張の特徴を考察し、ついで日本的な仏教といわれるものの特徴にも言及したい。


仏教入門

佐々木閑「大乗仏教」


高崎直道「唯識入門」

渡辺照宏「お経の話」

田上太秀「涅槃経を読む」

柳宗悦「南無阿弥陀仏」

柳宗悦「南阿阿弥陀仏」その二:浄土諸宗の比較


仏教の思想

智慧と慈悲<ブッダ>:仏教の思想①


仏教の現代的意義:梅原猛の仏教概論

存在の分析<アビダルマ>:仏教の思想②

ダルマの体系:倶舎論の構成

アビダルマの宗教史的位置づけ

空の論理<中観派の思想>:仏教の思想③

認識と超越<唯識>:仏教の思想④

大乗の実践哲学:上山春平

絶対の真理<天台>:仏教の思想⑤5

日本天台と鎌倉仏教

法華経の構成

無限の世界観<華厳>:仏教の思想⑥ 

華厳経の構成

三界唯心:華厳経十地品

四種法界と円融無礙

無の探求<中国禅>:仏教の思想⑦

中国禅の特色

日本の禅

不安と欣求<中国浄土>:仏教の思想⑧

梅原猛の中国浄土論

生命の海<空海>:仏教の思想⑨

曼荼羅の世界

空海と最澄

絶望と歓喜<親鸞>:仏教の思想⑩

梅原猛の親鸞論

法然と親鸞

古仏のまねび<道元>:仏教の思想⑪

永遠のいのち:仏教の思想⑫

梅原猛の日蓮論

日蓮の思想と行動


論の解説:仏教研究

廻諍論を読む


廻諍論を読むその二:アビダルマ批判

明らかなことば:中論への月称の注釈

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中辺分別論:唯識派の三性説

唯識二十論

中論を読む

中論を読むその二:原因(縁)の考察

中論を読むその三:運動(去ることと来ること)の考察

中論を読むその四:六根、五蘊、界の考察

中論を読むその五:貪りに汚れること貪りに汚れた人との考察

中論を読むその六:つくられたもの(有為)の考察

中論を読むその七:行為と行為主体との考察

中論を読むその八:火と薪との考察

中論を読むその九:自性と無自性の考察

中論を読むその十:業と果報との考察

中論を読むその十一:アートマンの考察

中論を読むその十二:原因と結果との考察

中論を読むその十三:転倒した見解の考察

中論を読むその十四:四つのすぐれた真理の考察

中論を読むその十五:ニルヴァーナの考察

大乗起信論を読む

大乗起信論を読むその二:法と義

大乗起信論を読むその三:心のあり方

大乗起信論を読むその四:まよいとさとり

大乗起信論を読むその五:対象的世界の虚妄性

大乗起信論を読むその六:対治邪執について

大乗起信論を読むその七:発心について

大乗起信論を読むその八:信心のための修行について


仏教経典の研究:お経を読む

金剛般若経を読む


金剛般若経を読むその二:聖者について

金剛般若経を読むその三:甚深あるいは即非の論理について

金剛般若経を読むその四:如来について

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八千頌般若経を読むその二:般若波羅蜜とはなにか

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八千頌般若経を読むその四:常諦菩薩の求法

般若心経を読む

維摩経を読む

維摩経を読むその二:仏国土の清浄について

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維摩経を読むその四:菩薩たちとヴィマラキールティの対話

維摩経を読むその五:文殊菩薩とヴィマラキールティの対話

維摩経を読むその六:天女と如来の家系

維摩経を読むその七:不二の法門

維摩経を読むその八:世尊とヴィマラキールティの対話

宝積経迦葉品を読む

中道の思想:宝積経迦葉品

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勝鬘経を読むその二:一乗と無名住地

勝蔓経を読むその三:一諦としての苦滅諦

勝鬘経を読むその四:如来蔵

法華経を読む

法華経を読むその二:方便品

法華経を読むその三:譬喩品

法華経を読むその四:信解品

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法華経を読むその六:授記品

法華経を読むその七:化城喩品

法華経を読むその八:五百弟子授記品

法華経を読むその九:授学無学人記品

法華経を読むその十:法師品

法華経を読むその十一:見宝塔品

法華経を読むその十二:提婆達多品

法華経を読むその十三:勧持品

法華経を読むその十四:安楽行品

法華経を読むその十五:従地湧出品

法華経を読むその十六:如来寿量品

法華経を読むその十七:分別功徳品

法華経を読むその十八:随喜功徳品

法華経を読むその十九:法師功徳品

法華経を読むその二十:常不軽菩薩品

法華経を読むその二十一:如来神力品

法華経を読むその二十二:嘱累品

法華経を読むその二十三:薬王菩薩本事品

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法華経を読むその二十五:観世音菩薩普門品

法華経を読むその二十六:陀羅尼品

法華経を読むその二十七:妙荘厳王本事品

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華厳経を読む

華厳経を読むその二:普光法堂会

華厳経を読むその三:菩薩の浄行と功徳

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華厳経十地品(十地経)を読む

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十地経を読むその八:第七はるか遠くにいたる菩薩の地

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十地経を読むその十:第九いつどこにいても正しい知恵のある菩薩の地

十地経を読むその十一:第十かぎりない法の雲のような菩薩の地

十地経を読むその十二:終章この経の委嘱


日蓮を読む

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