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法華経を読むその十八:随喜功徳品


「分別功徳品」第十七と「随喜功徳品」第十八とは、総論と各論の関係にあるといえる。「分別功徳品」は、法華経が仏の教えを記したものであることを前提にして、仏の滅後に法華経を受持することによる功徳を総論的に説いたのであるが、それを踏まえてこの「随喜功徳品」は、その功徳を具体的に説いたものである。題名から推察される通り、ここで説かれる功徳は、末後の五品のうちの初随喜である。

末後の五品とは、釈迦仏滅後において法華経を受持することでもたらされる功徳をいう。初随喜はその初めに置かれているもので、法華経を読んで深い喜びを感じることである。単に喜びを感じるだけではなく、喜んで従うことを意味する。 仏の教えに喜んで従うとは、単に自分自身の一身にかかわる喜びにとどまらず、他の人を教化する喜びをも意味する。大乗の教えとは、広く衆生の救済を目指すものなのである。

引き続き弥勒菩薩が、釈迦仏と衆生の間に入って、釈迦仏の教えを衆生に伝えるという形をとる。釈迦仏は、法華経をあまねく説き広めることの重要さを説く。ある人に説けば、その人が他の人に説き、さらに次の人へというふうに、次々と連鎖して五十人にいたったとする。五十人目の人が自分に伝えられた言葉を口に出して読むとしても、その功徳は、仏塔を建てるよりも大きい。ましてや、最初の言葉を説かれた人の功徳ははかりしれない。要するに法華経の教えを伝え広めることには、大きな功徳があるのであり、それは喜びを伴なうものなのだ。

法華経の功徳はかくも大きいものであるから、衆生は必ずやその教えを聞きたがるであろう。それらの人々へは、次のように接すればよい。
  若し一人をも勧め 将引(ひきい)て法華を聴かしむることありて
  この経は甚妙にして 千万劫にも遇い難しと言わば
  即ち教を受けて往きて聴くこと 乃至 須臾も聞かんに
  斯の人の副報は 今当に分別して説くべし

ここで法華経は、教えを説く者ならず、教えを聞く者についても、その人格円満で心魂のやさしさ、それに加えて容貌の端正さを強調する。それが法華経の考えている理想の人間像を思わせる。これは本門についで偈でも繰り返されるのであるが、ここではその偈の部分を抜き出しておこう。
  世世に口の患なく 歯は疎にも黄にも黒くもあらず
  唇は厚くもあがりも欠けもせず 悪むべき相あることなからん
  舌は乾きも黒くも短くもあらず 鼻は高く修(なが)くして且つ直し
  額は広くして平正に 面目は悉く端厳にして
  人に見んと憙(ねが)わるることを為ん 口の気は臭穢なくして
  優鉢華の香 常に其の口より出でん

お経の末尾は、随喜の功徳を強調する次の偈で終わる。
  若し法を講ずる処に於て 人を勧めて坐して経を聴かしめば
  是の福の因縁をもって 釈・梵・転輪の座を得ん
  何(いか)に況んや一心に聴き 其の義趣を解説し
  説の如く修行せんをや 其の福限るべからず
法華経の教えを一心に聞き、その説く所を深く理解し、説く所にしたがって修業すれば、かならずや、無限の福、すなわち成仏の喜びが得られるであろうというのである。



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