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懐かしい年への手紙:大江健三郎を読む


「懐かしい年への手紙」は、自伝的な要素が強い作品である。大江健三郎自身がそのことを認めている。この小説の初版付録に収められたインタビューのなかで、かれは次のように言っているのだ。「確かに僕がこれまでに書いたすべての小説のなかで、もっとも自伝的な仕事といえば、この作品だと思います。それは四国の山間の小さな村で生まれ育った、しかも戦争の間に少年期を過ごした人間の、戦後から安保闘争をへて高度成長にいたる、個人的な同時代史ということにもなるでしょう」

自伝的な仕事といっても、事実だけで構成されているわけではない。事実にフィクションを交えている。そのことを大江は、「僕自身の文字通りの自伝というのじゃなくて、たとえば家族関係にしても小説的なフィクションをまじえて書いているわけです」と言っている。この小説のなかの主人公の家族関係が、どこまで大江の実際の家族関係を反映しているのかは、小生にはわからないが、大江の小説の中でそれまで脇役としてほとんど存在感を示してこなかった妻を、オユーさんという名前で登場させ(彼女の現実の名はゆかりである)、かなり重要な役割を持たせているのを始め、三人の子供たちへの視線など、一定程度彼の家族の現実を反映させているのではないかと思われる。

明らかなフィクションで、しかもこの小説において決定的に重要な役割を持たされているのはギー兄さんという人物像である。大江はこの人物に二つの役割を持たせている。ひとつは、大江の姿を映し出す鏡として、大江の自己批判を代弁する役割であり、もう一つは、「万延元年のフットボール」や「同時代ゲーム」などを通じて大江が描いて来た、彼の故郷の伝説の語り手としての役割である。大江は自分の生まれ育った四国の山間の村に異常な執着を見せ、その執着を作品のなかで書き続けてきたわけだが、それをギー兄さんという人物像を通して再現しているのである。

大江が生まれ育った四国の山間に伝わる伝説というのは、それまでの大江の様々な作品のモチーフとなってきたものだが、読者のほとんどはそれをフィクションだと受け取って来たに違いない。しかしこの「懐かしい年への手紙」を読むと、この伝説の存在自体はフィクションではなく、実際に語り継がれてきたものだとの印象を持たされる。大江が「同時代ゲーム」や「M/Tと森のフシギの物語」で語って来た伝説は、大江のフィクションではなく、実際に彼が生まれ育った村に代々語り継がれてきたものだったのではないかと、読者は思わされるのである。

実際にそうなのかどうかは、一読者である小生にはわからない。結構ありそうな気がする。そう思わされるのは、大江の筆に感化されているからだろう。それほど大江の筆は、人をしてのめりこませる勢いがある。しかもこの小説は、ギー兄さんを通じて、大江の生まれ育った四国の山間の小さな村の伝説に読者の関心を改めて呼び起こさせるとともに、そのギー兄さんに新たな伝説を演じさせてもいる。ギー兄さんは、単に村の伝説の語り手であるにとどまらず、自分自身が新たな伝説の主人公になりそうな勢いなのだ。伝説の古層に新たな層を重ね合わせ、全体として新しい物語に作り直していく、というのがこの小説を通じて大江が目ざしたことらしい。

ギー兄さんの、鏡に映した自伝という側面については、これにも二重の役割を認めることができる。ひとつは、大江が自分自身について抱いている自己イメージを他者の口を通じて批判的に語る役割、批判者としての役割であり、もうひとつは、大江にとってかくありたいと思うような、ある種の理想像の体現者としての役割である。前者の役割については、比較的にわかりやすい。大江が自分自身について批判的に抱いているイメージを、ギー兄さんが代わって語ってくれるわけだ。その批判の言葉は、非常に的を得たものとして聞こえるが、大江の自尊心を打ち砕くようなトゲは持っていない。いわば暖かいまなざしで大江を見ているように感じさせる。大江にとっては、耳が痛いところもありながら、基本的には暖かいアドバイスのように聞こえる。

一方、ギー兄さんは、大江のかくありたいと思う理想像を体現した存在としても描かれる。その点では、大江はギー兄さんと一体化しているわけだ。大江は、ギー兄さんは自分の理想像であって、そういう人間になりたいというような気持ちを吐露しているようであり、実際に、自分が大学を卒業して作家になる道を選ばずに、四国の山間の小さな村である故郷にそのままとどまりつづけたとしたら、ギー兄さんのような人間になっただろうと発言している(先述のインタビュー)

そのギー兄さんは、かなり屈折した人間像として描かれている。その屈折ぶりは、大江自身の屈折を反映しているのであろう。ギー兄さんは、どちらかといえば孤独を好むタイプで、大江少年とともに、四国の山間の小さな村でひそかに暮らすことを望む人として描かれているが、時には人々を先導して、なにか新しい事柄を成就する努力をするかと思えば、衝動から殺人を犯し、十年間も投獄された挙句に、娑婆に戻ってからは、現実世界全体を敵に回して戦うというような面もある。その挙句に殺されてしまうのだが、それについて、ギー兄さん本人はもとより、大江にも怒りを覚えている様子がない。それはある意味必然な勢いだったのだといった諦念が文章からは伝わって聞こえて来る。

このギー兄さんの生き方は、言ってみればアナーキストな生き方と言えるのだが、そうした生き方は大江自身にも言えるようで、大江は、自分は基本的にはアナーキーな心情を持ち続けてきたと白状している。そのアナーキーな心情をもったアナーキストの理想像のようなものを、大江はギー兄さんのうちに体現させたと受け取れる。大江は、政治的発言を大胆に行う作家として知られるが、その発言をよく読むと、そこにアナーキストの心情を読み取れるようである。

ギー兄さんが、語り手である大江の分身に向って言う言葉で、もっとも的を得ていると思われるのは、暢気坊主という言葉である。これは少年時代から語り手を観察してきたギー兄さんが、語り手の基本的な性格をあらわすものとして使っているのだが、そこには、物事を適当にあしらい、過度にのめりこまない、つまりアンガージュしないといった姿勢に対する皮肉が含まれている。それに対してギー兄さん自身は、あまりに深くアンガージュしすぎて、そのためにひどい目にあう傾向が強い。安保闘争のデモで、右翼の暴力団から瀕死の重傷を負わされたり、自分を囲む世界全体を敵にまわしてまでも、自分の計画を押し通そうとするようなところがある。そういう傾向は、波風を自ら立てることにつながる。実際ギー兄さんは自分の立てた波風に飲まれるようにして死んでいくのである。

一方、語り手である大江の分身は、死んだギー兄さんの霊に向けて、ギー兄さんと共に生きた懐かしい年への思いをこめて、手紙を書き続けると言いながら、この小説を終えるわけで、そこに読者は、語り手の暢気坊主ぶりを感じさせられるわけである。



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