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Under Saturn:大江健三郎「懐かしい年への手紙」


大江健三郎は、自分が深く心酔した芸術家へのこだわりを作品のなかで表現してきた。ブレイクやマルカム・ラウリーといった作家が、比較的早い時期の大江の作品のなかで、強いこだわりを以て言及されてきたが、「懐かしい年への手紙」では、イェイツとダンテが取り上げられる。イェイツについては、それ以前の作品でも言及したことがあったが、ダンテについて本格的に言及するのは、この作品が初めてだろう。

イェイツは、アイルランド出身の詩人で、幻想的な作風で知られる。かれは、アイルランド北部にあるスライゴという村の出身で、その村に生涯こだわり続けたという点で、四国の山の中の自分の生まれ故郷に生涯こだわり続けた大江とよく似ている。スライゴは山の中ではなく、湖が点在する海辺の土地だということだが、ノスタルジックな思いをさそうという点では、相通じるところがあるらしい。

大江がこの小説のなかで取り上げるイェイツの作品は、「Under Saturn」と題するソネット形式の短い詩である。この詩は、自分の故郷へのイェイツ自身のこだわりを、ノスタルジックに歌ったものであるが、そのノスタルジックな思いが、四国の山のなかの自分の故郷への、この小説の語り手の思いに重なるものがあるというふうに描かれている。つまり、語り手の故郷への思いを代弁するものとして、イェイツのこの詩が引用されているわけである。原文はつぎのようなものである。

  Do not because this day I have grown saturnine
  Imagine that lost love, inseparable from my thought
  Because I have no other youth, can make me pine;
  For how should I forget the wisdom that you brought,
  The comfort that you made? Although my wits have gone
  On a fantastic ride, my horse's flanks are spurred
  By childish memories of an old cross Pollexfen,
  And of a Middleton, whose name you never heard,
  And of a red-haired Yeats whose looks, although he died
  Before my time, seem like a vivid memory.
  You heard that labouring man who had served my people. He said
  Upon the open road, near to the Sligo quay -
  No, no, not said, but cried it out - 'You have come again,
  And surely after twenty years it was time to come.'
  I am thinking of a child's vow sworn in vain
  Never to leave that valley his fathers called their home.

大江はまず、冒頭の三行を引用する。しかしそれをあえて日本語には訳さない。そのままで読者の前に投げ出している。その理由を、語り手を通じて次のようにいう。「言葉が倒置されているために僕にはなかなか意味が読みとれぬのに、ギー兄さんはその点では僕を助けてくれなかった。まず原詩を覚えるまで読み返しつづければ、意味は自然に浮かび上がってくるし、その段階になればよくわかることだが、詩を読むことで重要なのは、それを覚えるまで読み返す行為であって、その意味を日本語にして理解することなど末の末だ、ともギー兄さんはいうのだった」

大江も同じように考えているのだろうか。おそらくそうなのであろう、それゆえにこそ、あえて日本語に訳さなかったのだろう。もっとも、大江は、この詩の最後のほうの数行は日本語に訳している。その部分は、イェイツの自分の故郷へのこだわりをもっともドラスティックに表現したもので、そのこだわりが語り手である大江自身のこだわりに重なるからこそ、やはりそれを日本語に移して、読者とそのこだわりを共有したかったのだろう。

その部分の大江による訳は次のようなものだ。「父祖たちが家郷と呼んだ谷間から 離れることはないものと / むなしくたてた子供の誓いを思っている・・・」

「むなしくたてた子供の誓い」というのは、イェイツは子どものときにたてたその誓いを破るようにして、一旦は故郷を捨てたからだ。そのイェイツと同じようにして、大江も故郷を捨てて東京へ出てきてしまったのだったが、そのことによる悔恨が、イェイツのこの詩の一節によってかきたてられたということなのだろう。二人は、故郷への強い執着を通じて、互いに結び合っているわけである。もっとも、イェイツは大江を知らないわけだから、大江からのイェイツへの一方的な思いなのだろうが。

この詩のタイトル「Under Saturn」を日本語に訳すと、「憂鬱な気分で」とでもなるだろうか。ここに小生による全文の拙い日本語訳を紹介する。

  この日僕の機嫌が悪かったからといって
  失恋のせいだと思わないでほしい
  その恋は僕にとって掛買いのないものだったのだが
  だって、きみがくれた智慧とか喜びを
  どうして忘れられるだろうか 僕の思いは
  拍車をかけられた馬のように馳せ巡る
  ポレクスフェン家の人への子供っぽい思い出に駆られて
  また君の知らないミドルトン家の人の思い出にも駆られて
  赤毛のイェーツ家の人は もうとっくに死んでしまったが
  僕の記憶には生き生きと残っている
  僕らの村の牧師のことを聞いたことがあるだろう
  あの人がスライゴ埠頭へ向かう道で言ったんだ
  いや そうじゃない 叫んだんだ よく来たなって
  もう二十年も経ったんだから 帰る時期だったんだって
  僕は父祖たちが自分の故郷と呼んだ谷間を決して去るまいと 
  子供心にむなしく誓ったことを考えているんだ
 
ポレクスフェン家というのは、イェイツの妻になったスーザンの実家の姓である。かれらは同じ村の出身だったのである。




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