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空の論理:中観派の思想


「仏教の思想」シリーズ(角川書店版)第三巻「空の論理」は、龍樹を開祖とする「中観派」の思想を解説したものである。前半では仏教学者梶山雄一により「中観思想」の成立と歴史的発展過程が概説され、後半では哲学者上山春平により中観」思想の基本的な特徴が強調される。その合間に、両者による対談が挟まれていることは、このシリーズの他の巻と同様である。

龍樹はインド人であり、サンスクリット語ではナーガールジュナといった。ナーガは龍という意味であり、アールジュナは樹木という意味だというから、龍樹はサンスクリット語を意訳したわけである。仏滅後五百年あまりのち、西暦でいえば紀元三世紀前後(150-250の間)に活躍した人らしい。彼の主著は「中論」という。両極端を拝して中庸を説くという趣旨の題名だが、そのことから「中観派」という言葉が生まれた。「中観派」の思想は、大乗経典のうちでもっとも早く成立した般若経にもとづいて、空の思想を哲学的な形で展開したものである。空の思想は大乗仏教の根本思想として、その後の大乗仏教の発展に多大な影響を及ぼした。唯識派は中観派との対立から生じたものだ。

空の思想というのは、意識の対象はもとより、意識自体にも実体を認めない考え方だ。仏教以外のインド思想の諸潮流(サーンキャ派、ヴァイシェーシカ派など)や、仏教のなかでも小乗と称される教派(説一切有部、経量部など)では、対象や意識の実在性が認められていた。そうした実在性を前提として、存在を分類・整理し、範疇に分別するというのがそれら従来の立場だった。それゆえ「分別派」と呼ばれることがある。それに対して龍樹は、意識の対象や意識そのものも含めて、すべての存在は空であるとした。空とは、欠けていること、実体がないことを意味する。この世の一切には実体はない、一切空であるとするのが龍樹の立場である。龍樹はその立場を、般若経に依拠しながら展開した。したがって龍樹の思想は基本的には、般若経への注釈という性格を帯びている。

龍樹は自分の主張を、正面から肯定命題の形でなすのではなく、論敵への反論という形で展開する。「中論」は大部分が、そうした批判・攻撃からなっていると梶川は言う。その論法は多岐にわたるが、梶川が特に注目するのは、論理的なディレンマとか四句否定というものである。これは相手の主張を前提にしながら、それを否定する方法であって、その否定を通じて自分の主張の正当性を主張するものである。ところがディレンマといい、四句否定といい、通常の形式論理とはかなり異なった論理構造となっている。たとえばディレンマは、互いに矛盾する事態を双方とも否定することから生じる事態であり、四句否定は、「ものはいかなるものでも、どこにあっても、けっして自身から、他のものから、自他の二つから、また原因無くして生じたものではない」とするような論法であるが、どちらも形式論理では説明できない。龍樹はそのことを逆手にとって、形式論理は通常の存在についての論理であり、それで説明できないことは、われわれが存在と考えるものが、実は実体のない空だからだ、という具合に自分の空性の主張の根拠とするわけである。

これからもわかるとおり、龍樹の論理はかなり異質である。その論理は、同一の時間を前提とすればたしかに成り立たない。しかし異なる時間を導入すれば成り立つ場合がある。Aと非Aは両立しないというのが形式論理の立場だが、それは同一の時間を前提としているからであって、時間の相を異にすれば、Aが非Aになってもおかしくはない。そうした論理を梶山は弁証法論理と言って、龍樹の論理にはその弁証法が組み込まれているというわけである。

龍樹のそうした論争的ともいえる姿勢は、彼の性格を反映していると梶山は言う。龍樹はかなり好戦的な性格で、そのため波乱に満ちた生涯を送った。その点は、おだやかで波乱のない生涯を送った釈迦牟尼とは大きな違いである。そこには、釈迦牟尼の死後数百年が経って、釈迦牟尼の教えが曲解されるようになった事態への、龍樹なりの危機意識が働いているという。その危機意識が龍樹を、大乗仏教の最初の偉大な思想家にしたのだというのである。

中観派は龍樹の後に、二つの大きな転換を経た。一つは中期中間派の興隆であり、もう一つは後期中間派の台頭である。中期中間派はさらに、帰謬論証派と自立論証派とに別れるが、いづれも論理の徹底を特徴とする。それには、インドにおける論理学の発展が影響していた(ニヤーヤ学派など)。論理学が発展するにしたがって、空の論理も一層精緻になることを求められ、そこから煩瑣な議論が追求されるようになった。だが、中観派の論理には、通常の形式論理では説明できないところがあり、かえってその説明できないことを空の根拠とするようなところがあるので、中期中観派の論理は破綻しがちであった、というのが梶山の見立てである。

後期中観派は、唯識派の台頭に刺激された。唯識派は別名を瑜伽行派ともいうように、ヨガによる実践的修業を重んじたのだが、後期中観派もヨガを取り入れ、実践的な性格を強めた。それゆえ瑜伽行中観派とも呼ばれる。

以上を通じて言えることは、中観派の思想は空の論理にもとづくものであり、それは般若経の空の思想を展開したものだということだ。般若経は大乗仏教の礎石となったものである。それゆえ中観派の思想は、大乗仏教の思想を基礎づけたという位置づけになる、というのが梶山の見立てである。



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