日本語と日本文化


蛇性の婬(四):雨月物語


 母豐雄を召して、さる物何の料に買ひつるぞ。米も錢も太郎が物なり。吾主が物とて何をか持たる。日來は爲すまゝにおきつるを、かくて太郎に惡まれなば、天地の中に何國に住むらん。賢き事をも斈<まな>びたる者が、など是ほどの事わいためぬぞといふ。豐雄、実に買ひたる物にあらず。さる由縁有りて人の得させしを、兄の見咎めてかくの玉ふなり。父、何の譽ありてさる寶をば人のくれたるぞ。更におぼつかなき事。只今所縁かたり出でよと罵る。豐雄、此事只今は面俯なり。人傳に申し出で侍らんといへば、親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと聲あらゝかなるを、太郎の嫁の刀自傍へにありて、此の事愚かなりとも聞き侍らん。入らせ玉へと宥むるに、つひ立ていりぬ。

 豐雄刀自にむかひて、兄の見咎め玉はずとも、密に姉君をかたらひてんと思ひ設けつるに、速く責なまるゝ事よ。かうかうの人の女のはかなくてあるが、後身してよとて賜へるなり。己が世しらぬ身の、御赦さへなき事は重き勘當なるべければ、今さら悔ゆるばかりなるを、姉君よく憐み玉へといふ。刀自打ち笑ひて、男子のひとり寢し玉ふが、兼ていとをしかりつるに、いとよき事ぞ。愚也ともよくいひとり侍らんとて、其の夜太郎に、かうかうの事なるは幸におぼさずや。父君の前をもよきにいひなし玉へといふ。

 太郎眉を顰めて、あやし、此の國の守の下司に縣の何某と云ふ人を聞かず。我が家保正なればさる人の亡くなり玉ひしを聞えぬ事あらじを、まづ太刀こゝにとりて來よといふに、刀自やがて携へ來るを、よくよく見をはりて、長嘘をつぎつゝもいふは、こゝに恐しき事あり。近來都の大臣殿の御願の事みたしめ玉ひて、權現におほくの寶を奉り玉ふ。さるに此神寶ども、御寶藏の中にて頓に失せしとて、大宮司より國の守に訴へ出で玉ふ。守此の賊を探り捕ふために、助の君文室の廣之、大宮司の舘に來て、今専に此事をはかり玉ふよしを聞きぬ。此の太刀いかさまにも下司などの帶くべき物にあらず。猶父に見せ奉らんとて、御前に持ちいきて、かうかうの恐しき事のあなるは、いかゞ計らひ申さんといふ。父面を青くして、こは淺ましき事の出できつるかな。日來は一毛をもぬかざるが、何の報にてかう良らぬ心や出できぬらん。他よりあらはれなば此の家をも絶やされん。祖の爲子孫の爲には、不孝の子一人惜からじ。明は訴へ出でよといふ。

 大郎夜の明るを待ちて、大宮司の舘に來り、しかしかのよしを申し出でて、此の太刀を見せ奉るに、大宮司驚きて、是なん大臣殿の獻り物なりといふに、助聞き玉ひて、猶失し物問ひあきらめん。召し捕れとて、武士ら十人ばかり、大郎を前にたてゝゆく。豐雄、かゝる事をもしらで書見ゐたるを武士ら押しかゝりて捕ふ。こは何の罪ぞといふをも聞き入れず縛めぬ。父母太郎夫婦も今は淺ましと歎きまどふばかりなり。公廳より召し玉ふ疾くあゆめとて、中にとりこめて舘に追ひもてゆく。助、豐雄をにらまへて。なんぢ神寶を盗みとりしは例なき國津罪なり。猶種々の財はいづ地に隱したる。明らかにまうせといふ。


(現代語訳)
母は豊雄を呼んで、「あれはなんのつもりで買ったのですか。米も銭も太郎のものです。お前は何も持っていない。日頃は好きなようにさせていたが、こうして太郎に憎まれたら、天地のどこに住むつもりか。学問を学んだ身で、なぜこんなことをしでかしたのですか」と諭す。豊雄が、「ほんとに買ったものではないのです。ある事情から人に貰ったのを、兄さんが見咎めてそういうのです」と言うと、父は、「なんの手柄があってそんなものを人がくれたのか。更におぼつかないことだ。すぐに事情を話せ」と罵る。豊雄は、「これは今のところ内密なのです。人を介してお話します」と言ったが、父は、「親兄に言えぬことを他の誰に言うというのか」と声を荒げる。長男の嫁がそばにいて、「このことは、ふつつかながら私が話を聞きましょう。さあお入りなさい」と言って、豊雄を促して別室に入った。

豊雄は兄嫁に向かって、「兄さんに見咎められないうちに、ひそかに姉さんに相談しようと思っていた矢先、早くも責められれてしまいました。こういう事情の気の毒な女性がいまして、その女性から力を貸して欲しいといわれ、独り立ちできない身で、許しを得ないでしてしまったのです。そのことは勘当に値すると、いまさらに後悔しています。姉さんよくよく憐れんで下さい」と言った。兄嫁は笑いながら、「男子が独り身でいるのをかねてから気の毒に思っていましたが、それはよいことです。ふつつかながら、わたしがよく言いなしてあげましょう」と言って、その夜夫に向かって、「こういう事情ですので、幸いだと思いませんか。父君にもよく話して取り次いであげてください」と言った。

長男は眉をしかめて、「あやしい。この国の下僚に県の何某という人があると聞かない。我が家は保正だから、死んだものがあれば知らないはずはない。とにかく太刀をここに持ってきなさい」と言った。その言葉に従って兄嫁が太刀を携えてくると、それを見た長男は、「近頃都の大臣様が、願い事がかなったお礼に、権現様に多くの宝物を奉納された。ところがそれらの宝物が、倉の中から俄に消えたといって、大宮司が国の守に訴え出た。守は盗賊を捕らえるために、助の君文室の廣之に命じて大宮司の館に派遣し、いまやもっぱらその相談をしているという。この太刀は、いかにも下司の帯びるものではない。なお、父上にもお見せしよう」と言い、父親のところに持参して、「こういう恐ろしい事情があるようなので、どうしたらよいでしょうか」と言った。父親は顔を青くして、「これはとんだことが起きたものだ。日頃他人のものは毛一本も抜かないのに、何の報いでこんなよからぬことをしたのか。他人から指摘されたら、この家の破滅になる。先祖や子孫の為には、不幸の子ども一人は惜しくない。明日訴え出よう」と言った。

長男は夜の明けるのを待って、大宮司の館にゆき、事情を話した上で、この太刀を見せたところが、大宮司は驚いて、これこそ大臣様の献上物だと言った。助がこれを聞いて、「なおほかにもなくなったものを追求しよう。召し取れ」と言って、武士ら十人ばかりに命じ、長男を前に立てて豊雄のところへ向かった。豊雄は、そんな事情を知らずに書を読んでいたが、そこへ武士らが押しかけて捕らえた。武士たちは豊雄が「これは何の罪なのですか」と訪ねても聞き入れずに捕縛した。父母や長男夫婦もいまや浅ましいと言って嘆き惑うばかり。助は豊雄をにらみつけて、「なんじ、神宝を盗み取ったのは例のない罪である。なおほかの宝はどこに隠した、はっきりと申せ」と言って責めた。


(解説)
豊雄が家に戻って寝ていると、真女児から貰った剣をめぐって親や兄から疑いを持たれる。ひとり兄嫁だけは豊雄の味方になってくれたが、やがてその剣が、何ものかによって盗まれた神宝だということがわかり、豊雄は官憲に捕縛されてしまう。兄嫁は無論、両親や兄もいかんともしがたい境遇に、豊雄は陥ってしまう。

前段に続きここでも豊雄は親掛かりの自立していない身の上として描かれている。彼は親掛かりであるばかりか、兄に対しても依存した関係にある。そんな関係にありながら、勝手なことばかりしたあげく、こんな騒ぎを引き起こすのはけしからぬ、と父親ばかりか母親までもが豊雄を責める。原作の主人公許宣が貧しいながらも一応自立しているのとは大きな相違である。




  
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