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蛇性の婬(五):雨月物語


 豐雄漸此の事を覺り、涙を流して、おのれ更に盗をなさず。かうかうの事にて縣の何某の女が、前の夫の帶びたるなりとて得させしなり。今にもかの女召して、おのれが罪なき事を覺らせ玉へ。助いよゝ怒りて、我が下司に縣の姓を名のる者ある事なし。かく僞るは刑ますます大なり。豐雄、かく捕はれていつまで僞るべき。あはれかの女召して問はせ玉へ。助、武士らに向ひて、縣の眞女子が家はいづくなるぞ、渠を押て捕へ來れといふ。

 武士らかしこまりて、又豐雄を押したてゝ彼所に行きて見るに、嚴めしく造りなせし門の柱も朽ちくさり、軒の瓦も大かたは碎けおちて、草しのぶ生ひさがり、人住むとは見えず。豐雄是を見て只あきれにあきれゐたる。武士らかけめぐりて、ちかきとなりを召しあつむ。木伐老、米かつ男ら、恐れ惑ひて跪る。武士他らにむかひて、此の家何者が住みしぞ、縣の何某が女のこゝにあるはまことかといふに、鍛冶の翁はひ出て、さる人の名はかけてもうけ玉はらず。此の家三とせばかり前までは、村主の何某といふ人の、賑はしくて住み侍るが、筑紫に商物積みてくだりし。其の船行方なくなりて後は、家に殘る人も散々になりぬるより、絶えて人の住むことなきを、此の男のきのふこゝに入りて、漸して歸りしを奇しとて、此の漆師の老がまうされしといふに、さもあれ、よく見極めて殿に申さんとて、門押ひらきて入る。

 家は外よりも荒れまさりけり。なほ奧の方に進みゆく。前栽廣く造りなしたり。池は水あせて水草も皆枯れ、野ら薮生ひかたふきたる中に、大きなる松の吹き倒れたるぞ物すざまし。客殿の格子戸をひらけば、腥き風のさと吹きおくりきたるに恐れまどひて、人々後にしりぞく。豐雄只聲を呑みて歎きゐる。武士の中に巨勢の熊梼なる者膽<きも>ふとき男にて、人々我が後に從<つき>て來れとて、板敷をあららかに踏みて進みゆく。塵は一寸ばかり積りたり。鼠の糞ひりちらしたる中に、古き帳を立て、花の如くなる女ひとりぞ座る。熊梼女にむかひて、國の守の召しつるぞ、急ぎまゐれといへど、答へもせであるを、近く進みて捕ふとせしに、忽地も裂るばかりの霹靂鳴り響くに、許多の人迯る間もなくてそこに倒る。

 然て見るに、女はいづち行けん見えずなりにけり。此の床の上に輝々しき物あり。人々恐る恐るいきて見るに、狛錦、呉の綾、倭文、かとり、楯、槍、靭、くはの類、此の失せつる神寶なりき。武士らこれをとりもたせて、怪しかりつる事どもを詳に訴ふ。助も大宮司も妖怪のなせる事をさとりて、豐雄を責む事をゆるくす。されど當罪免れず。守の舘にわたされて牢裏に繋がる。大宅の父子多くの物を賄して罪を贖ふにより、百日がほどに赦さるゝ事を得たり。かくて世にたち接はらんも面俯なり。姉の大和におはすを訪らひて、しばし彼所に住まんといふ。げにかう憂きめ見つる後は重き病をも得るものなり。ゆきて月ごろを過せとて。人を添へて出でたゝす。


(現代語訳)
豊雄はやっと事情を覚って、涙を流しながら、「私は盗みなどしておりません。しかじかのことで、県の何某の女が、前の夫が帯びていたというのをくれたのです。すぐにもあの女を召して、私の無実を確認してください」と言うと、助はいよいよ怒って、「わしの下僚に県の姓を名乗るものはおらん。こんな嘘をつくと罪がますます重くなるぞ」と言った。豊雄は、「こんな囚われの身で、いつまで嘘を言いましょう。どうかあの女を召して聞いてください」と重ねて言ったところ、助は武士に向かって、「県の真女児の家はどこか、その女を捕らえて来い」と命じた。

武士たちがかしこまって、豊雄を押し立ててその家に行って見ると、いかめしく作った門の柱も朽ち果て、軒の瓦もおおかた砕け落ち、草忍が生い茂って、人が住んでいるとは見えない。豊雄はこれを見てただあきれ果てていた。武士たちは近所を駆け巡り、近くに住んでいるものを召し集めた。樵の老人や米搗きの男たちが恐る恐るひざまついた。武士たちがその者らに、「この家は何者が住んでいたのだ。何某の女がここにいるというのは本当か」と聞いたところ、鍛冶屋の翁が這い出て来て、「村主の何某という人が豊かに暮らしておりましたが、筑紫に商いに行きました。その船が行方知れずになって以来、家に残された人も散り散りになって、絶えて人の住むこともありませんでしたが、この男が昨日やってきて、しばらくいて帰っていったのを怪しいと、この漆師の翁が申しておりました」と言った。武士たちは、「とにかくよく見極めて殿に報告しよう」と言いながら、門を押し開いて中に入った。

家の中は外よりも荒れていた。なお奥のほうへと進んでゆく。前栽を広く作ってある。池は水が干上がって水草も枯れ、藪が生い茂っている中に、大きな松の木が風で倒れたさまがすさまじい。客殿の格子戸を開くと、生臭い風が吹いてきたので、みな恐れ惑ってうしろに退いた。豊雄はただ声を呑んで嘆いていた。武士の中に巨勢の熊梼という肝の太い男がいたが、その男が、「みんなおれの後について来い」と言って、板敷を荒々しく踏みながら進んだ。板敷には塵が一寸も積もっていた。鼠の糞がひりちらかった中に、古い帳を立てて、花のような女がひとり座っている。熊梼が女に向かって、「国の守の命令だ。急いでまいれ」と呼びかけたが、答えずにいるので、近づいて捕らえようとしたところ、たちまち地が割けるばかりに霹靂が鳴り響いたので、多くの人が逃げる余裕もなくそこに倒れた。

さて、見渡してみると、女はどこへ行ったか姿が見えない。床の上にキラキラしいものがあるので、恐る恐る近づいて見ると、狛錦、呉の綾、倭文、かとり、楯、槍、靭、鍬の類など以前なくなった神宝である。武士たちはそれらを持たせて帰り、怪しい出来事を殿に報告した。助も大宮司も、これが妖怪の仕業だと覚り、豊雄の追及を緩めた。だが罪は免れず、守の館に渡されて牢屋につながれた。父と兄が多くの賄賂を贈って罪をあがなったので、百日ほどで釈放されたが、このまま世の中にまじわるのは不体裁だとして、大和にいる姉を頼り、しばしそこで暮らそうということになった。父と兄は、「こんなにひどい目にあった後は重い病にかかりやすいものだ、大和に行って何月かそこで過ごせ」と言って、豊雄に人を添えて出発させたのだった。


(解説)
捕らえられた豊雄は、自分の無実を晴らすために、官憲たちとともに真女児の家を訪れる。すると、壮大な構えだった邸宅は荒れ果てて、人が住んでいる様子がない、官憲が内部に立ち入ってさらに詳細に調べようとしたところが、一人の女が座っているのが見えた。だがその女は、官憲の問いかけに答えようとせず、地が割けるばかりの雷鳴とともに、姿を消してしまった。

ここで始めて、官憲や豊雄の家族たちも、その真女児が妖怪だということに納得する。この妖怪という言葉は、原作で用いられたものをそのまま使ったものだ。「吉備津の釜」では、鬼と表現していたものを、ここでは妖怪とすることで、秋成はそのエクゾチックな不気味さを訴えようとしたのだと、思われる。


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