日本語と日本文化


蛇性の婬(二):雨月物語


 女、いと喜しき御心を聞え玉ふ、其の御思ひに乾<ほし>てまいりなん。都のものにてもあらず。此の近き所に年來住みこし侍るが、けふなんよき日とて那智に詣で侍るを、暴なる雨の恐しさに、やどらせ玉ふともしらでわりなくも立ちよりて侍る。こゝより遠からねば、此の小休に出で侍らんといふを、強<あながち>に此の傘もていき玉へ。何の便にも求めなん。雨は更に休みたりともなきを。さて御住ゐはいづ方ぞ。是より使ひ奉らんといへば、新宮の邊にて縣の眞女兒が家はと尋ね玉はれ。日も暮れなん。御惠のほどを指し戴て歸りなんとて、傘とりて出づるを、見送りつも、あるじが簑笠かりて家に歸りしかど、猶俤の露忘れがたく、しばしまどろむ曉の夢に、かの眞女兒が家に尋ねいきて見れば、門も家もいと大きに造りなし、蔀おろし簾埀れこめて、ゆかしげに住みなしたり。眞女子出迎ひて、御情わすれがたく待ち戀ひ奉る。此方に入らせ玉へとて奧の方にいざなひ、酒菓子種々と管待しつゝ、うれしき醉ごゝちに、つひに枕をともにしてかたるとおもへば、夜明て夢さめぬ。現ならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食も打ち忘れてうかれ出でぬ。

 新宮の郷に來て縣の眞女子が家はと尋るに、更にしりたる人なし。午時かたふくまで尋勞<わづら>ひたるに、かの了鬟東の方よりあゆみ來る。豐雄見るより大に喜び、娘子の家はいづくぞ、傘もとむとて尋ね來るといふ。了鬟打ゑみて、よくも來ませり、こなたに歩み玉へとて、前に立てゆくゆく。幾ほどもなく、こゝぞと聞ゆる所を見るに、門高く造りなし、家も大きなり。蔀おろし簾たれこめしまで、夢の裏に見しと露違はぬを、奇しと思ふ思ふ門に入る。了鬟走り入りて、おほがさの主詣で玉ふを誘ひ奉るといへば、いづ方にますぞ、こち迎へませといひつゝ立ち出るは眞女子なり。豐雄、こゝに安倍の大人とまうすは、年來物斈<まな>ぶ師にてます。彼の所に詣る便に傘とりて歸るとて推して參りぬ。御住居見おきて侍れば又こそ詣で來んといふを、眞女子強にとゞめて、まろや努<ゆめ>出し奉るなといへば、了鬟立ふたがりて、おほがさ強て惠ませ玉ふならずや、其がむくひに強てとゞめまいらすとて、腰を押して南面の所に迎へける。

 板敷の間に床疊を設けて、几帳、御厨子の餝、壁代の繪なども、皆古代のよき物にて、倫<なみ>の人の住居ならず。眞女子立ち出でて、故ありて人なき家とはなりぬれば、実<まめ>やかなる御饗もえし奉らず。只薄酒一杯すゝめ奉らんとて、高杯平杯の清らなるに、海の物山の物盛りならべて、瓶子土器さゝげて、まろや酌まゐる。豐雄また夢心してさむるやと思へど、正に現なるを却て奇しみゐたる。


(現代語訳)
女は、「ほんとうにご親切におっしゃって下さいました。そのお情けに甘え、濡れたものを乾かしてまいりましょう。私は都のものではございません。この近くに長年住んでおりますが、今日は日がよいので那智に詣でましたところ、急に雨が降り出して怖くなり、あなたがいらっしゃるのも知らずに、無理に立ち入りました。私の家はここから遠くはありませんので、雨が小止みになったら出ようと思います」と言うのを、豊雄は無理やりに、「この傘を持っていって下さい。なにかのついでに返してもらいます。雨はいっこうにやみそうもありません。ところでお住まいはどちらですか。こちらから使いを出しましょう」と言った。女は、「新宮のあたりで県の真女児の家はどこと訪ねてください。日が暮れそうです。ご好意に甘えて傘を差して帰りましょう」と言って、傘をとって出るのを、豊雄は見送ってから、主の蓑傘を借りて家に帰ったが、なおもその面影が忘れがたく、しばしまどろむ暁の夢に、かの真女児の家を訪ねていった。門も家もたいそう大きく作り、蔀を下してすだれを垂れ、ゆかしげに住んでいた。真女児が出迎え、「ご好意が忘れがたく、お待ちしておりました。こちらにお入りください」といって奥のほうへ招きいれ、酒や菓子で色々ともてなされ、うれしい気分になったところで、ついに枕を共にして語ろうという段になって、夜が明けて目が覚めた。これが本当だったらと思いやられ、朝食を取るのも忘れて浮かれ出た。

新宮の郷に来て県の真女児の家はどこかと訪ねたが、一向に知っている人がいない。昼過ぎまで訪ね歩いたところ、あの童が東の方から歩いてきた。豊雄は童を見るとおおいに喜び、「娘子の家はどこだ。傘を受け取りに来た」と言った。童は微笑んで、「よく来られました。こちらへおいでください」と言って先に立って歩いてゆく。いくほどもなく、ここだというところを見ると、門を高く作りなし、家も大きい。蔀を下ろしすだれを垂れたところまで、夢の中身とつゆ違わない。不思議と思いつつ門を入った。童が中に走り入って、傘を貸してくれた方がいらっしゃいましたというと、「どちらですか。こちらへお迎えしなさい」といいながら立ち出てきたのは真女児だった。豊雄は、「ここに安倍の大人といいますのは私が年来師事している方です。その方のところに参るついでに、傘を受け取って帰ろうと思いまいりました。お住まいはわかりましたので、またの日にまいりましょう」と言った。すると真女児は無理やりとどめて、「まろや、お出ししないように」という。童は豊雄のまえに立ちふさがって、「大傘は無理に貸してくれたのではないですか。そのお返しに無理におとどめします」といって、豊雄の腰を押して、表座敷に迎え入れた。

板敷の間に床畳を敷き、几帳、御厨子の餝、壁代の絵などみな古代の名品で、普通の人の住まいではない。真女児が立ち出でて、わけがありまして主人がおりませんので、まともなおもてなしができません。ただ薄酒を一杯さしあげましょう」といって、綺麗な高杯や平杯に海のもの山のものを盛り並べ、童が瓶子や土器を捧げ持って酌をする。豊雄はまた夢見心地になって、夢なら覚めるかと思ったが、まさに現実のことだったのでかえって不思議に思った。


(解説)
外出先で偶然真女児と出会った豊雄は、翌日早速彼女の住んでいる家を訪ねにゆく。彼女の家は紀州の新宮の郷にあるということになっている。現在の和歌山県新宮神社の門前町である。豊雄の住んでいる家は、そこより南へ数キロ先下った三輪が崎というところ。ここは新宮と那智のちょうど中間に位置している。真女児は那智神社にお参りした帰りに雨にあい、豊雄と出会ったということになっているから、その場所は那智と新宮との間にあるどこかであろう。海辺だったに違いないが、秋成の文章からは、とりあえず海の雰囲気は伝わってこない。原作が山中を舞台にしているせいかもしれない。

新宮についた豊雄が、土地の人に真女児の家の所在について訪ねても誰も知らないという。それを豊雄は不思議とも思わずに、たまたま見かけたまろやに案内されて彼女の家に行く。その家は、前日豊雄の夢の中で出てきた屋敷とそっくりであった。これも、真女児の変幻性を物語るものなのだが、のぼせ上がった豊雄にはそこのところが見えてこない。すっかり現実だと思い込んでしまう。




  
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