日本語と日本文化


桃太郎と鬼が島:日本の昔話


桃太郎の話は日本の昔話の中でも最もポピュラーなものである。いまでも子供向けのキャラクターとして人気を集めているし、絵本の世界や母親のお伽話にとっては欠かせないものだ。小さな子どもが親元を離れて冒険の旅に出るというのは、世界中共通した児童文学のパターンであることからも、桃太郎の話には国や時代を超えた普遍性があるといえる。

川上の山の奥から桃に包まれてやってきた子どもが、大きくなってから鬼が島へ鬼退治に出かけ、鬼の宝物を持ち帰るという話である。中にはお姫様を連れて帰るというパターンもある。

ごく単純な話であるが、そこには日本の昔話にとって大事なモチーフがいくつか含まれている。

まず主人公の桃太郎は山の奥、つまり異界と目されるところから桃にくるまれてやってきた。古代の日本人にとって、山はこの世とあの世を結ぶ接点であり、そこには先祖の霊が漂っているとされた。その先祖の霊のうち、浮かばれぬ霊が怨霊となり、それが鬼という形をとって人間にさまざまな災厄をもたらす。だから山の奥からやってきたというのは、桃太郎が鬼の子であるとまではいえぬまでも、異種異形の人、つまり「まれびと」であることを意味する。

桃太郎は後に、お婆さんに黍団子をつくってもらい、それを持って鬼が島へ出かけるのであるが、子どもがそのような冒険をするという話の展開にとって、その子が「まれびと」としての強さを備えていることが必要だったのであろう。

次に、桃太郎が鬼退治に出かける先は鬼が島、つまり海の彼方にあるところである。日本の昔話には、浦島太郎のように海底を舞台にするものもあれば、その背景として記紀神話の山の幸の物語もある。だが普通の昔話で語られる鬼は山の中に住んでおり、山の神の化身であることをうかがわせる。その点で、桃太郎の出かける鬼が島の鬼は、通常の昔話に出てくる鬼とは聊か毛色が変わっているといえる。

しかも桃太郎の話に出てくる鬼は、ほかの物語に出てくる鬼のような荒々しい印象を与えない。桃太郎を一口で食ってやろうというような残忍さはなく、むしろ簡単に降伏して自ら進んで宝物を差し出す。

桃太郎の鬼が島遠征は、荒ぶる鬼の退治が目的なのではなく、祖霊の住むなつかしい国を訪問するというのが、そもそもの形だったのではないか。桃太郎が持ち帰る宝物は、先祖からの尊い贈り物だったのではないか。

柳田国男の説を始め、日本人の祖先を海洋民族に求める有力な説がある。記紀の神話にも、日本人の祖先の少なくとも一部が海洋民族であったと考えられる要素がある。山の幸の話もそうだし、オオクニヌシやスクナヒコナの話にも、南方起源と思われる要素が伺われる。

スサノオ神話には、母の住む根の国を訪ねる話が出てくるが、その根の国とは海の彼方にある国であった。またスクナヒコナは海の彼方から小さな舟に乗ってやってくる。沖縄では今でも海の彼方の国をニライカナイといって信仰することが行なわれているらしいが、この「ニライカナイ」とはとりもなおさず、根(ニ)の国の転化した形なのである。

こうしてみると、桃太郎の伝説には、日本人の間にある海洋民族としての想像力が紛れ込んでいるのではないか、そのように考えられるのである。

桃太郎の話には殆どの場合、猿、キジ、犬が従者として出てくる。何故これらの動物でなければならないのか、十分明らかにすることはむつかしいが、この話を鬼の話としてとらえると糸口が見えてくるかもしれない。鬼は方角からいうと、丑寅の方角に住むと、古来伝えられている。北東を鬼門というのはここから出ている。これに対して申、酉、戌はその対極に位置する。このあたりがヒントになるかもしれない。

桃太郎は黍団子を持参する。話によっては、団子を持って訪ねてくれと、鬼に呼びかけられるというパターンもある。団子には古来祖先の霊を供養する効用があると信じられていた。今日においても、お盆や節々の行事に団子を捧げて、祖先の霊を供養する風習が廃れずに続いている。だから、これは鬼を退治するのが目的なのではなく、祖先の霊に会いに行くことを物語っているのではないかとも思える。

最後に、桃太郎は何故桃から生まれたのかという疑問が残る。陶淵明が桃源郷を詩に歌ったように、中国では桃に霊力を見る見方があった。西王母の桃は長寿の霊力があると信じられていた。

あるいは中国の信仰が日本の説話の中に紛れ込んだのかもしれない。だが記紀の神話の中でも、イザナキが桃を投げつけて黄泉醜女を追っ払った話が出てくるから、日本でも古来桃に特別な霊力を見ていたのかもしれない。そんな霊力を持ったものから生まれたことを強調することで、「まれびと」としての桃太郎の力を際立たせたかったのだろう。

普通の物語では、お婆さんが川で拾った桃を持ち帰って二つに割ると、中から桃太郎が生まれてきたということになっているが、筆者が聞いた伯耆地方の話では、お婆さんは桃を食って若返ったことになっている。お爺さんにも残りの桃を食わせるとやはり若返って立派な若者になったので、二人は喜んで抱き合い、その結果子どもが生まれたというのである。

桃の形が人の尻を連想させることから思いついた、一つのエロチックなバリエーションなのであろう。


    


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